それしか言ったら、いかんけん

「このまえ、課長さんの奥さんにソコのスーパーで会って、ご無沙汰ですねえって話したんよ。最近、お仕事の方が忙しいみたいで、うちの旦那も遅くまで帰ってこんのです。って。

　そしたら、え？　うちの人が言うには、最近は繁忙期も落ち着いて、部下はみんな早めに帰りよると。主人も今日は早いらしいけん、久しぶりに夕飯張り切ろう思って、買い物に来たんですよと。

　あれ？　でも、日曜日にまで休日出勤せんといかんくらいなんですよね、言うたら。

　そんなこと、先月っきりありませんよ。って仰る。

　それで、あたしが首ひねりよったら慌てて奥さんが、いやでも私の勘違いかもしれんから、あんまり気にせんといてくださいね。変なこと、疑ったりもせんでね。また今度、主人にも聞いてみときますね。って言ってくれて、そのまま、牛乳買いに行ったんよ。

　牛乳、タイムセールで一人二パックまでなんやけど、課長さんとこは子供もおらず二人暮らしで、牛乳もあんまり減らんらしくてね、一パック譲ってくれたんよ。最近、うちは牛乳の減り速いやんか？　やけん助かるわあ言うて、今度お礼に何か持って行きますゆう約束したんよね。ほんと、美人やし、善い人やねえ、課長さんの奥さん。

　で、その今度っていうのが今日やったんよ。

　一昨日、お義母さんが送ってくれたミカンを持って行ったんやけど、知っとった？　うちにミカンがあったこと。あんた、ひとっつも食べてなかったやん。知らんかったんやろ、ミカン有るんさ。なんで知らんの？　え？

　あたしと、最近、全然おしゃべりせんけんやんなあ。

　まあ、ええんよ、そのことは。

　課長さんの家にミカン持って行ったとき、奥さんが、ちょっと外で話しませんか、言うけん、近くの公園のベンチに座ることになったわけ。

　この公園、猫が来るらしいですよ。宮脇さん、あなたの旦那さん、最近ここのベンチによく座っとるみたい。

　……もしかして、猫に牛乳あげたりしよります？

　あたし、それで納得したし、安心したんよ。最近、牛乳の減りが速かったんは、あんたが猫にあげよったせいで、帰りが遅かったんは、公園で長いこと寄り道しよったせいなんやなあって。あんたは昔から心根が優しい人やもんね。よかった、そういうことなら、よかったって。

　奥さんが、違う、なんて言うけん、あたし、泣いてしまうかと思ったわ。

　あのね、宮脇さんの旦那さんが公園に居るのを見たって教えてくれたのは、うちの主人の以前の部署の部下で、今は育休に入ってらっしゃる尾崎さんなんです。なんでも、お子さんを連れて公園に行ったとき。宮脇さんの旦那さんが、ベンチに薄っぺらい通勤鞄を置いて、公園の片隅にある植え込みの中に、ぼそぼそと話しかけてはベンチに戻り、少し休憩してはまた植え込みに向いて、それを延々と続けていたらしいんです。わかります？　お子さんとお散歩する時間というと、真昼間ですよ。平日の昼下がり。昼休憩もとっくに終わっている時間に、公園に居たというんです。だいたい、ここの公園は会社からほとほと距離ありますから、もしちゃんと働いているなら、昼休憩に抜け出して来ようと思うこともないでしょう。

　それって、ねえ湯山さん。はっきりしてください。そういうことなら、湯山さんはもう知ってらっしゃるんでしょう？　知らなかったら、おかしいですもの。

　つまり、あんた、あたしに大事なこと隠してるんやろって。生活に大きく関わって、二人で真剣に考えんといかんこと、ようよう言えずにすっかり黙ってしまっとんやろって。あのさ、あたし、奥さんの話を聞きながら、あんたに問い詰める方法を必死で考えよった。あんたを傷つけんように、やけど、誤魔化されんように。あんた、クビになったんやろ。そんな風に、まっすぐ聞いたらええんやろか。それとも、何かあたしに言わんといかんことあるんやないん？　って感じで聞いた方が、誤魔化しよったことまで全部謝ってくれるやろか、なんて。

　湯山さん、うちの旦那、会社辞めさせられたんですね？　それで、あたしにも誰にも言えずに、仕事行ったフリして猫に牛乳あげよんや。

　でも、奥さんはまた、首を横に振るやんか。

　ねえ宮脇さん、猫に牛乳あげるだけで、朝から夜までお家に帰らないのはおかしいと思われません？

　それは、旦那が仕事してた時期はまだ忙しくて、ほら、いつも日付が変わる頃に帰ってきてましたでしょう？　その頃の退社時間に合わせて、深夜に帰ってきてるだけじゃないんでしょうか？

　それこそ、繁忙期は終わったって言って、早くお家に帰ったらいいことじゃありませんか。違うんよ、宮脇さん。私、スーパーで会った時、旦那さんのこと主人に聞いてみるって言ったはずですけど、宣言通り、聞きまして。何て言ったと思います？　宮脇なら、最近は、会社を休んどるよ。

　休んどる。

　休んどるって。たちまち安心してほしいのは、会社をクビになったわけじゃないということですよ。でも、会社を休みだす前から、それこそ、繁忙期中だった二週間前くらいから、様子がおかしかったみたい。

　宮脇なら、最近は、会社を休んどるよ。確か一週間前くらいに、長期休暇を取りますとメールで連絡してきよったわい。最近は、休みの理由なんか聞いたらいかんし、上司から休むなとも言ったらいかん雰囲気やけん、俺からは、わかったわかった言うくらいで、なんで休むかについては訊かんかったけどな。でも、休みの理由くらい、大体は想像つくね。

　ちょうど繁忙期の頃やけん、二週間前くらいか。このご時世にこんなことは、あってええことやないんやけど、勘弁して聞きよってや。宮脇な、深夜に仕事が終わって、もう疲れてぐったりして、注意も散漫な状態で、車、運転して家に帰りよったんやと。それで、あの、うちの近所にある公園よ。あのあたりで、猫を撥ねてしもたんやって。それを翌日、えらい悔やみよってな。仕事中もどんよりして、申し訳ない、すいません、すいません言いながらパソコンに向き合うとんよ。心の傷は時間が解決、明日には立ち直っとるやろ思うて見よったんやけど、日に日に口数は減るばかり、顔色も青なるばかり。人が心配して声かけても、すいませんでしたと謝るばかり。ふと口を開いたと思ったら、すいませんでした。ふらふらしよるけん、人にぶつかるやろ。そしたら、やっぱり、すいませんでした。こらぁいかんわと思いよったら、繁忙期が終わった頃に、長い休みを取る言うんやけん、逆に安心したくらいよ。お家でゆっくり休みよるんやろ、それがええ、それがええ。

　あんたそれ、要は、宮脇さん、公園のところで猫、轢きましたんね。

　うん、猫。

　奥さん、あのね。猫って、祟るらしいですよ。

　課長さんの奥さんの話は、そんなところで終わったよ。

　あんたさ、猫を車で轢いたことを悔やんで、毎日毎日、仕事休んでまで、牛乳お供えしに行きよったんか。そりゃあ、心優しい、あんたのことやもん。わかるよ、思いつめることやってあるやろ。いくら、あんたが深夜に帰ってくるけんって、生活リズムが全然合わんけんって、あんたの調子が悪そうなことに、気づけず支えることもせず、浮気すら疑っとったあたしも悪かったと思う。

　でもね、あたしだって、ただ帰りが遅いからというだけで、浮気を疑ったわけじゃないんよ。

　だって、あんたの車。助手席とか、後部座席とか、至る所に長い髪の毛が落ちとるんやもん。あんたの短い髪じゃない、あたしの髪の色とも違う、黒くて長い、ボサボサの女の髪が、車の床とか座席の背もたれとかに、いっぱいくっついとるんやもん。

　ねえ、殺されて祟るものって、何も猫だけじゃないやろ。

　あんたが車で撥ねたのって、本当に猫やったん？

　本当に猫やったとしても、それは、ただの猫やったん？

　それか、あんたが猫やと思っただけで、本当は……。

　もしかして、もう全部わかった上で、一人で解決してしまったんかなあ？　日中、家にも会社にもおらんと何しよったかって、本当は、誰にも相談せずに、一人で遺族の方と話をつけに行ってたってことなんかなあ？

　ねえ。何も言えんのね？

　あんた、今、何に、何をやらされとるん？　何に牛乳お供えしよん？　誰に許しを乞いよるん？　何とか言ってや、何でずっと黙っとん。そんなに顔色変えてさ、ずっとうつむいたままで、察せるわけあるか。それとも、本当に……。

　ねえ、本当に、何も言えんようにされとん？」

　……。……。

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「す、いま、せん、で、した」