キャタウォール家の令嬢
『リリルーシア、よく聞け。お前はキャタウォール侯爵家の長女、いずれ婿を取り跡継ぎになるのだ。自分の行動には責任を持ちなさい』
『はい、おとうさま』
『リリルーシア。そんなに汚れて何を考えている! 跡継ぎともあろう者が、妹の遊びに付き合って恥を晒すとは何事だ。姉としての責任を持ちなさい』
『もうしわけありません、お父さま』
『お父様、今日の授業は……』
『リリルーシア、お前はもう後継教育を受ける必要がない。我がキャタウォール家はやっと、何年も待ち侘びた男児を授かったのだ。これからは弟の利益になるような良き嫁ぎ先を見つけることだけ考えろ。侯爵家の令嬢としての責任を果たすのだ』
『……はい、お父様』
『リリルーシア、いつまで泣いているんだ。お前は死んだ母に代わり、妹と弟の教育をしなければならない。徹底して完璧な令嬢と跡取りに育て上げるのだ。キャタウォール家の女主人代理として責任ある行動をしなさい』
『はい、お父様』
『ナタリーサ! 危ないわ、そんなところに登ってはダメよ!』
『大丈夫よ、木登りくらい慣れてるもの! お姉さまったらいちいちうるさいんだから』
『リリルーシアお嬢様、ジョージお坊ちゃんがお嬢様を呼んで泣いてらっしゃいます』
『待って、今行くわ。ナタリーサ! そこから早く降りるのよ!』
『リリルーシアお嬢様、屋敷の修繕についてなのですが……』
『リリルーシア様! ナタリーサ様の新しい家庭教師の件で……』
『お嬢様、ジョージお坊ちゃんの教育方針について……』
『待って、ごめんなさい。一つずつ聞くわ。それよりナタリーサを……』
『きゃーーっ!』
『ナタリーサ!!!』
『妹から目を離すなんて、いったい何を考えているんだ!? お前のせいで我が家門の大切な娘がキズモノになったではないか! 顔に傷など作って、嫁ぎ先が見つからなければどうしてくれる!? 嫁ぎ先もない娘を一生養えとでも言うのか!? この責任をどう取るつもりだ!?』
『申し訳ございません、お父様』
『ひどいわ、お姉さま! お姉さまが助けてくれなかったから傷ができたのよ! こんな顔で私、どうやって生きていけばいいの? キズモノだってイジメられて、お嫁にだっていけないわ! 責任とってよ!』
『ごめんね、ごめんなさい、ナタリーサ……私が何とかするから』
『お姉様、私ね、騎士のサミュエル卿に恋をしたの。あの逞しい腕! 素敵だと思わない? でも彼には婚約者がいてね、腹が立ったから、ついうっかり泥を浴びせてドレスをズタズタに引き裂いちゃったの。この傷のせいで悲観的になっちゃうんだわ。これってお姉様の責任だと思うのだけれど……』
『分かったわ、あなたの代わりに謝罪して、補償を出すわ』
『お姉様、私やっぱり伯爵令息のドナルド様が好きだわ。だから、彼の恋人にヘビやカエルを送り付けてあげたんだけど、うちの家門から送ったのがバレちゃったの。私の代わりに責任とってくれる?』
『分かったわ。私がやったことにするから』
『お姉様! 私、運命の相手を見つけたわ! お姉様の婚約者、ウィリアムよ! 私、彼のお嫁さんになるわ! だから彼を私に譲ってね』
『ナタリーサ、でも彼は……』
『何よ! 私の顔に傷を付けておいて、自分の幸せばっかり考える気なの? お姉様には責任感がないのかしら。少しは可哀想な私の身にもなってよ!』
『分かったわ。あなたが望むのなら……』
『リリルーシア! この役立たずめ! 家門に泥を塗ることばかりしおって! 妹のナタリーサを少しは見習ったらどうだ!? キャタウォール家の令嬢に生まれた責任を考え直せ!』
『はい、お父様……』
『責任を持て』
『責任を果たせ』
『責任をとって』
『責任を考えろ』
『お前の責任だ!』
「……ル、」
「……リリル!」
揺り起こされたリリルーシアは、荒い呼吸のまま自分を呼ぶ声の主を見た。
「大丈夫か? 随分うなされていたぞ……悪い夢でも見たのか?」
心配そうな声が降って来て、リリルーシアはその声に心から安堵した。
幼い頃から責任を持てと繰り返し刷り込まれ、家族を守ることと家門のために果たすべき責任ばかりを考えてきたリリルーシア。
母が死んでからは尚更、妹と弟のために、父のために、家族のために、と過ごしてきた。
だからリリルーシアは、忘れていた。
誰かに心配され、守られ、愛される。そんな当たり前の幸福を。
「リリル……そんなに不安そうな顔をしないでくれ。ここには俺しかいない。お前を不安にさせるものも、お前に害をもたらす者も何もない。あったとしても必ず俺がお前を守る。だからどうか、安心してくれ」
「……にゃぁ」
弱々しく鳴いたリリルーシアは、何度も自分の体を撫でていくジェラルドの手に、泣きたくなるほど安心してしまった。
リリルーシアが猫ではないと知った今でも、何一つ変わらないジェラルドの温もり。
嗅ぎ慣れたジェラルドの匂いを胸いっぱいに吸い込んだリリルーシアは、喉をゴロゴロと鳴らしながらジェラルドの胸にすり寄った。
「っ……!?」
驚いたジェラルドが手を止めると、リリルーシアは催促するようにジェラルドの手に頭を寄せ、そのザラついた舌でペロリと舐めた。
「はうっ……どうしたらいいんだ!? 俺の天使が可愛過ぎて鼻血が出そうだっ……!」
ジェラルドは震えながら愛猫の愛らしさに身悶え、鼻を押さえたのだった。
(……ふふ。嫌な夢を見たせいで感傷に浸っていたのに。どうしてこの人、私の前ではこんなに残念なのかしら)
瑠璃色の瞳でジェラルドを見上げるリリルーシアは、モヤモヤとした黒い感情が晴れていくのを感じていた。
「ヘンリー! 改めて事件の見直しをする。リリルーシア・キャタウォールが犯人でない可能性を徹底的に調べろ!」
「どうしたのですか、急に?」
翌日ヘンリーは、愛猫を抱いて意気込んでいる王太子に驚きながらも二人(一人と一匹)を見た。
満面の笑みの幸せそうなジェラルドと、心なしか疲れているような王太子の愛猫。
一晩でいったい何があったのか……
首を傾げるヘンリーに、ジェラルドは真面目な顔で説明を始めた。
「考えてみてくれ。お前がエリザベスに毒を盛った犯人だとして、わざわざ全ての真相を知るエリザベスが目覚めるように治療したりするか?」
「はあ? 質問の意図がよく分かりませんが、そんなことをする犯人はいないでしょう」
「そうだろう。だから、リリルーシア・キャタウォールが犯人である可能性は低い」
「……とうとう狂いました? 全く殿下の仰っている理屈が分からないのですが」
長年ジェラルドの側に付いているヘンリーにさえ理解できないことを言い出したジェラルドは、自信満々に胸を張って言った。
「そういうわけで、まずはキャタウォール侯爵家に行こう」
「……本当にお猫様を連れて行くのですか?」
「ああ。当然じゃないか」
馬車の中でジェラルドは、膝に乗せたリリルーシアを当然のように撫でていた。
「いくら鈴があるとは言え、逃げ出したりしたらどうするおつもりですか」
「絶対にそんなことにはならない。なあ、リリル?」
「にゃー(そうね。逃げたって、行く当てもないもの)」
「そうだろう? 心配しなくても大丈夫だ。俺が必ずお前の無実を証明して、名誉を挽回させてやるからな」
「にゃ……(ありがとう)」
瑠璃色の瞳でゆっくりと瞬きをするリリルーシアを見て、嬉しそうに目を細めるジェラルド。
一連のやり取りを見ていたヘンリーは、静かに頭を抱えていた。
「殿下はお猫様と会話するまでになりましたか。いつかこんな日が来るとは思ってましたが……」
ブツブツと呟くヘンリーは無視して、ジェラルドは目的地に着くまで、膝の上で大人しくしている愛猫を撫で続けたのだった。
キャタウォール侯爵は、猫を伴い突然やって来た王太子の来訪に、見るからに不機嫌そうな顔をしていた。
「突然来られましても、大した歓迎もできませんので困りますな」
猫を連れた王太子に軽蔑の視線を向ける侯爵の態度に、ヘンリーは目を眇めた。
「悪いな、侯爵。そなたの令嬢のことで聞きたいことがあって来たのだ」
悪びれるふうもなくジェラルドがそう言うと、侯爵の顔は余計に不機嫌さを増した。
「リリルーシアのことでしたら知りません。あんな性悪女は私の娘ではありません。あれは普段から悪行を重ねてましたからね。使用人達の誰もが証言しましょう」
自分は無関係だという態度を貫く侯爵に、ジェラルドは念を押す。
「では、侯爵を始めとしたキャタウォール家は、リリルーシアが普段から悪事の数々を行っていたと言うのだな? その根拠は?」
「誰でもいいから証言しなさい」
侯爵がすぐそこにいたメイドに目を向けると、明らかに動揺したメイドが小さく呟いた。
「それは……お嬢様は問題行為の数々について、自分でやったとお認めになりましたので……」
他の使用人達も、一様に目を逸らした。どう考えても何か怪しい。
しかし、キャタウォール侯爵はそう思わなかったらしい。
「これでハッキリしましたでしょう。あの娘はどうしようもない悪女なのです。小さい頃はまだマシだったのに、どこで育て方を間違ってしまったのか。例え王女殿下の件に関係していたとしても、リリルーシアとは縁を切りますので我が家門を巻き込まないで頂きたいです」
どこまでも図々しい侯爵にヘンリーは剣を抜きそうになるが、ジェラルドが目でそれを制した。
「そうか。リリルーシアとは縁を切る……か。心に留めておこう」
ジェラルドは、腕の中の愛猫をひと撫でした。
「有り難いお言葉です、流石はお話の分かる殿下。それではもう我が家に用はないことでしょう。お気を付けてお帰り下さい」
「ああ。邪魔をしたな」
さっさと追い返したい意図が丸見えの侯爵の言葉にも、ジェラルドは怒りを見せずに踵を返した。
「殿下。侯爵とは言え、あのような態度を見逃してよろしかったのですか?」
苛立ちを滲ませたヘンリーが問えば、ジェラルドはニヤリと笑った。
「今は泳がせておくのが得策だ。俺に考えがある」
と、馬車に向かう途中で。ジェラルド達は後ろから呼び止められた。
「あの、王太子殿下。少しだけお時間を頂けないでしょうか」
侯爵の目を盗みジェラルドにそっと声を掛けて来たのは、リリルーシアの弟、ジョージだった。