王太子の見つけもの
王太子ジェラルドは、報告を受けて急ぎ妹の宮へ向かった。
生意気なところもあるが、何だかんだ言って仲の良い妹のエリザベスが、真っ青な顔で寝台に横たわっている姿にジェラルドは想像以上のショックを受けた。
「辛うじて一命を取り留めましたが、意識が戻ることは絶望的でしょう」
侍医の言葉に絶句しながら、ジェラルドは呆然と妹を見下ろした。
「いったい何があったんだ!?」
遅れて来た父である国王が、動かぬ娘を見て声を荒げる。
王女宮の庭園であった一部始終と、目撃者であるナタリーサ・ポーパッズの証言から、犯人はリリルーシア・キャタウォールであると聞かされた国王は、声を震わせた。
「あの悪女め……! 妹と間違えてエリザベスを毒殺しようとしただと!? 直ちに悪女リリルーシア・キャタウォールを捕らえよ!」
泣き崩れる王妃の肩を抱きながら、娘を見下ろす国王。王太子ジェラルドは、居ても立っても居られず妹の部屋を飛び出した。
「殿下、どちらへ……?」
速足で歩くジェラルドを心配した側近のヘンリーが問い掛けると、ジェラルドは小声で答える。
「現場を見に行く」
「……御意」
ジェラルドの無念を感じ取ったヘンリーは、それ以上何も言わず庭園へ向かう王太子に付き従った。
セッティングされたままのテーブルが残されたその場所に着いたジェラルドは、そこに飛散する妹の血痕を見て唇を噛む。
「私も調査に加わる。これまでに分かっている情報を報告するよう伝えてくれ」
ジェラルドの命令を受けたヘンリーが、調査にあたっていた騎士の一人を連れて戻って来る。王太子に礼をした騎士は、早速報告を始めた。
「唯一の目撃者、ナタリーサ・ポーパッズ夫人の話ですと、姉であるリリルーシア・キャタウォールから急に王女との謁見について来るよう言われたそうです。姉妹を快く迎えたエリザベス王女殿下の計らいで、こちらでティータイムを取られていた際に、リリルーシア・キャタウォールの淹れた茶を飲んだ王女殿下が倒れられたと……」
ジェラルドは報告を聞きながら、妹が座っていたであろう席を見下ろしていた。
「何故リリルーシア・キャタウォールは、エリザベスの元に来たのだ?」
「……それは、理由は不明です。このテーブルをセッティングした後、王女殿下が人払いをされたようなので」
「だが、ポーパッズ夫人はその場にいて姉とエリザベスの会話を聞いていたのだろう?」
「そうですが……ショックで記憶が曖昧だと……」
顎に手を当てて考え込んだジェラルドは、次にエリザベスの侍女を連れてくるよう命じた。
「エリザベスは何故、突然の来客を受け入れたんだ?」
涙を流すエリザベスの侍女は、それでも王太子の問いに気丈に答えた。
「エリザベス様は、噂のキャタウォール姉妹が訪ねて来たことに興味を惹かれたようでした。とても楽しげにお茶のセッティングをお命じになりました」
好奇心旺盛な妹の気性をよく分かっているジェラルドは、その時の状況がありありと思い浮かんで目を閉じた。
普通の令嬢なら何事かと警戒するところを、あの妹はきっと面白がっていたのだろう。その結果、毒を飲む羽目に……。好奇心は猫をも殺すという諺があるが、妹の笑顔を思い出したジェラルドはやり切れない思いで拳を握り締めた。
「リリルーシア・キャタウォールの捜索はどうなっている?」
「それが……不思議なことに、宮から出た痕跡が無いのです。にも関わらず、どこにも姿が見えません。邪術の類を使用した可能性も含めて捜査にあたっています」
「そうか。何にせよリリルーシア・キャタウォールが事件に関係しているのは間違いない。一刻も早く見つけてくれ」
「全力を尽くします」
捜索に戻った騎士を見送ったジェラルドは、改めて散乱したテーブルの上を見渡した。綺麗に飾られた花は倒れ、色とりどりの菓子が無惨に散らかっている。
客を歓迎しようとした妹の心遣いと、それらが踏み躙られた後のその状況にジェラルドは静かな怒りを覚えた。
「殿下……」
常になく気落ちしているジェラルドを見て心配するヘンリーが声を掛けようとすると。ジェラルドが急にテーブルに顔を近づけた。
「ちょっと待て……これは何だ? 文字ではないか?」
ジェラルドが目を留めたのは、テーブルの上の血痕だった。飛び散った血の中に、一つだけ不自然な形が見えたのだ。
「確かに血で書かれた文字のようではありますが、こんな形の字はありません。何かの拍子に偶然できたのでは?」
記号のような妙な形を見下ろしたヘンリーは首を傾げたが、ジェラルドにはその形に見覚えがあった。
「……いや、違う。これは釧語だ。エリザベスが自分の意思で書いたもので間違いない」
いつだったか妹に見せられたことのある東洋の国の言語を思い出したジェラルドは、確信を持って妹の血文字を見下ろした。
「あっ、エリザベス殿下の留学先は釧でしたね。何かの手掛かりかもしれません、直ぐに調べさせます!」
ヘンリーが人を呼んでいる間も、ジェラルドは妹が残したであろう異国の文字をジッと見つめていた。
もしエリザベスが、意識が遠のく中でこれを書いたのだとしたら。毒の苦しみに悶えながらも誰かに何かを伝えたかったのだろう。そして、血の残る現場に足を運び、エリザベスの残したメッセージを見つけられるようなその相手は、他でもない兄である自分だけだ。
妹が兄に伝えようとしてくれた何かを、絶対に解き明かす。そう決意したジェラルドは、寝台の上で死んだように眠り続けている妹を思い出して奥歯を噛み締めた。
「エリザベス……」
拳をテーブルに叩き付けたジェラルド。その時だった。ジェラルドは、何かの気配を感じて茂みの方に目を向けた。
「今、何か動かなかったか?」
ジェラルドの声に、ヘンリーも視線を背後へと向ける。
すると、整えられた庭園の花が咲き乱れる茂みがガサゴソと不自然に揺れ、手前に植えられたスズランを掻き分けるようにして、白い塊がヨタヨタと這い出して来た。
姿を現したのは、真っ白な一匹の猫だった。
「みゃ、……みゃー……」
弱々しく鳴いた白猫は、驚いて言葉を失うジェラルドを見上げると、その場でパタリと倒れてしまった。一瞬だけ見えた瑠璃色の瞳はとても怯えて見えた。
ヘンリーがゴクリと唾を飲む。これはまずいことになるぞ、と察したヘンリーの予感は大いに当たっていた。
倒れた白猫の前で、王太子ジェラルドが尋常ではない様子でガタガタと震え出したのだ。
「ね、猫! 猫! 猫! 猫が……ッ! こんなに弱って可哀想に! 大変だ、今すぐ保護しなければッ!!」
「ああ、もう! 殿下、猫好きを発揮されるのは構いませんが、今はまだ王女殿下の事件の調査中です! 落ち着いて下さい!」
無類の猫好きである王太子ジェラルドは、普段は冷静であるにも関わらず、猫を前にした時だけ人格が変わる。そんな彼が目の前で弱った猫が倒れる様を見たのだ。冷静沈着な王太子ジェラルドは、それはそれはもう我を忘れて取り乱していた。
「落ち着いてなどいられるかっ! 見ろッ、震えているじゃないか! ピンク色の鼻先も肉球も白くなってる! なんてことだ! モフモフの毛並みが土で汚れて……ああぁぁッ!」
「分かりましたから! その猫は丁重に保護して殿下の自室に運びますから! どうかいつもの殿下に戻って下さい!」
先程までの、妹王女を想って哀愁を漂わせていた殿下は何処に行ったのかと。狂ったような王太子を見ながらヘンリーは頭を抱えたのだった。