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ラピスラズリの呪い




 リリルーシアが指名手配される直前のこと。


 リリルーシアは王都にあるタウンハウスの自室で、訪ねて来たナタリーサと向かい合って座っていた。


「お願いよ、お姉様。いつも私の願いを叶えてくれたでしょう? 今回も私の為に協力して!」


 涙ながらに懇願する妹ナタリーサに向けて、リリルーシアは頑なに首を横に振る。


「いい加減にしなさい、ナタリーサ。あなたはウィリアムが公爵になれば公爵夫人になる身なのよ。馬鹿なことを考えてはいけないわ」


 ピシャリと言い切ったリリルーシアは、噂とは違い上品な仕草でお茶を飲むと、澄んだ瑠璃色の瞳を妹へと向けた。


「それに、私はもう自分の責任を果たしたわ。私のせいで傷を負ってしまったあなたが虐げられることがないよう、お父様や周囲の同情を引くように仕向けてあげたし、嫁ぎ先だってあなたが望む通りに用意してあげたじゃない。これ以上を私に望むのは欲張り過ぎよ」


 今までずっと、リリルーシアが〝悪女〟を演じてきたのは、妹であるナタリーサの為だった。


 自分のせいで顔に傷を残してしまった妹が、傷のことなど関係なく人々から愛され、良き家に嫁に貰われること。それがここまでの人生でのリリルーシアの目標であり、妹への責任の果たし方だった。


 自分が悪役になることで見事にそれらを成し遂げた今、リリルーシアの最重要課題は妹のことではなく、自分の嫁ぎ先。悪評があり婚約破棄されたリリルーシアは真面な嫁ぎ先など望めないが、いつまでもキャタウォール家の穀潰しでいるわけにもいかない。


 さっさと嫁ぎ先を見つけて、ついでに家門同士に益をもたらすような良縁を結ぶことこそが、これまで迷惑を掛けてきた父や跡取りの弟に対する責任であるとリリルーシアは自負していた。


 適当に年老いた金持ち貴族の後妻にでも収まろうと思っていたリリルーシアは、縁談探しの真っ最中なのだ。


 嫁いだ後の妹にこれ以上手を貸す理由など、既に責任を果たしたリリルーシアにはない。


「ひどいわ、お姉様! 私がこのまま不幸になってもいいの?」


 とうとう泣き始めた妹を見て、リリルーシアは溜息を吐いた。


「あのね、ナタリーサ。あなたはもう既婚者よ。何もできない子供ではないの。これからは自分のことは自分で解決なさい。いつまでも私に頼っていては、幸せになれないわよ」


 至極真っ当な姉の言葉にナタリーサが心を動かすことはなかった。無邪気と言えば聞こえはいいが、無鉄砲で我儘な気質のあるナタリーサは、自分のことを慮ってくれる姉に対して、〝見捨てられた〟とお門違いな逆恨みを抱いたのだ。


「だったら……最後に、一緒に王女様のところに行ってくれない? あとは自分で話をつけるから。それぐらいならいいでしょう?」


「……分かったわ。あなたの我儘に付き合うのはこれで最後、一緒に行くだけよ」


 何年も妹の為に尽力してきたリリルーシアは、結局妹の我儘に頷いてしまった。


 後に激しくこの時のことを後悔することになるリリルーシアは、どこまでも手の掛かる妹に呆れながら優雅にカップを置いたのだった。







「単刀直入に申し上げますわ、エリザベス殿下。私の夫との密通を止めてください」


 直球過ぎるナタリーサの言葉に、姉リリルーシアも、王女エリザベスも、口を開けて固まってしまった。


 ナタリーサが姉を伴い王女宮に押しかける形で実現した三人でのお茶会は、冒頭から暴走するナタリーサのせいで不穏な空気に包まれる。


「コホン。……ナタリーサ、貴女。何か誤解しているのではなくて?」


 ハラハラしながら状況を見守るリリルーシアとは反対に、咳払い一つで冷静さを取り戻した王女エリザベスが、ナタリーサに苦言を呈す。


「ウィリアムと私が密通ですって? いったい何処からそんな出鱈目な噂を聞いたのかしら。私には全く身に覚えがないわ」


 スッと扇子を取り出して口元を隠したエリザベスがそう言えば、ナタリーサは涙目で声を震わせた。


「嘘を吐かないでください。私、知ってます。ウィリアムの初恋はエリザベス様だったんでしょう? ウィリアムは今でもあなたのことが忘れられないの。王女様は何もかも持っているんだから私の夫を奪わないで!」


 三人がお茶をする王女の宮の庭園は、内密にどうしても話があるというナタリーサの希望で人払いがされていた。美しく整えられた王女宮の庭園に、息苦しい沈黙が落ちる。


「エリザベス王女殿下。妹の無礼を謝罪致します」


 沈黙を破ったのは、妹の付き添いで来たリリルーシアだった。


 眉を上げたエリザベスと目が合うと、リリルーシアは深く頭を下げた。


「更なる非礼を承知で、妹への口出しを許可して頂けますでしょうか」


「……ええ、許すわ」


 王女の許しを受け頭を下げたリリルーシアは、顔を上げると泣きじゃくる妹に目を向ける。


「ナタリーサ。あなたは今、我が国の王女殿下にとても失礼なことを申し上げているのよ。憶測や決め付けで言っていいことではないわ。あなたの気持ちも分かるけれど、礼儀を弁えなさい」


 温かくも厳しく妹を諭すリリルーシアを見て、王女エリザベスは静かに目を瞠った。


 噂では傍若無人で傲慢な姉だとされるリリルーシアは理性的で冷静、お淑やかで清廉なはずのナタリーサは王族への礼儀すらなっていない無法者。それもとんでもない勘違いで王女に言い掛かりを付けてくるような女。


 世間の噂がいかに信用ならないか目の当たりにしたエリザベスは、改めてナタリーサに話し掛けた。


「そもそも何故、そのような誤解をしたのか理解できないわ。私とウィリアムは幼馴染だけれど、最後に二人で会ったのはずっと前の子供の頃のことよ。特にこの数年は、私が留学していたこともあって全く会っていなかったわ」


 誤解を解くよう歩み寄る姿勢を見せたエリザベスへ、ナタリーサが向けた反応は酷いものだった。


「嘘よ! 嘘、嘘! だってあの人、結婚式であなたの顔を見てからあなたの話ばっかり! 挙げ句の果てには寝言であなたの名前を呼んだの!」


 ーーウィリアム。あの男。


 リリルーシアは両手で顔を覆った。一時は婚約者だったこともあるリリルーシアは、ウィリアムのことをそれなりに知っている。優柔不断で惚れっぽく飽きやすい。ナタリーサが彼と結婚したいと言い出した時は止めたのだが、ウィリアムに惚れ込んでいたナタリーサは聞く耳を持たず。結局はどうしてもウィリアムがいいという妹の強烈な要望により、二人の仲を取り持ったリリルーシア。


 だからやめろと言ったでしょうに……と言いたいが。何もかもが今更でしかない。


 それはそれとして。世間の噂と違い、思い込みが激しく癇癪持ちな妹。これまでナタリーサが起こした数々の問題を、自分がやったと肩代わりして来たリリルーシアだが。王女殿下に向けて声を荒げる妹の、言い逃れようのない不敬罪必至な姿には目眩がする。


「ウィリアムが私をどう思っているのかは知らないけれど、私は彼に一切そういった感情はないと断言するわ。だからあとは家に帰って本人と話しなさい」


 しかし、同じようにウィリアムの気質を知っているらしいエリザベスは、呆れ果てながらナタリーサにそれだけ言うと、この話は終わりとでも言うかのようにカップを手に取った。


「あら、お茶が冷めてしまったわね」


「私がお淹れしますわ」


 リリルーシアが席を立とうとすると、涙声のナタリーサが姉を遮った。


「いいえ、お騒がせしてしまったので、お詫びも兼ねて私がお淹れします」


 やっと少しは冷静になってくれたのかと、しゃくり上げながらもそう言ったナタリーサに、リリルーシアもエリザベスもホッと息を吐いた。


「ええ、ではお願いするわ」


 優しい声音のエリザベスの言葉。それは実質、王女がナタリーサの無礼を赦すと宣言しているようなものだった。席を立ってティーポットの方へ移動したナタリーサを視界から外し、エリザベスはリリルーシアへ声を掛ける。


「ところでリリルーシア。貴女、噂とは随分違うのね」


「恐縮でございますわ、エリザベス王女殿下。妹の無礼をお赦し頂いただけでなく、私までお気に掛けて下さるなんて」


 礼儀正しく受け答えするリリルーシアを見て、王女であるエリザベスは意味深に微笑んだ。


「貴女、猫はお好き?」


「……猫、ですか?」


「いえね、私の猫好きなお兄……コホン。知り合いに、嫁探しをしている方がいるの。貴女、婚約者を妹に取られて新しい縁談を探しているのではなくて? もし良ければ紹介しようかと思うのだけれど」


「まあ、それはとても有り難いですわ! 私、猫は嫌いではありません。是非お願い致します!」


 まさかの王女からの提案に、リリルーシアは思わず両手を叩いた。王女の紹介。これ以上の良縁があるだろうか。


 どうなることかと思ったが、妹について来て本当に良かった。


 想像以上に喜ぶリリルーシアに気を良くしたのか、微笑んだエリザベスが早速日取りを決めようと言ったところで、ナタリーサが新たな茶を持って来た。


「ありがとう。さあ、温かいお茶で仕切り直しましょう」


 散々だった空気を払拭するかのように玲瓏な声を上げた王女エリザベスが、ナタリーサの淹れた茶に口を付ける。


 同じようにカップに口を付けようとしたリリルーシアは、視界の端で何かが揺れたのを見て手を止めた。


「うっ……ッ」


「エリザベス王女殿下……?」


 様子のおかしいエリザベスが目に入ったリリルーシアは、カップを置いて席を立った。


 次の瞬間。鮮やかな赤い血を吐いて、エリザベスが倒れ込む。


「王女殿下!?」


 駆け寄ったリリルーシアが悲鳴を上げそうになったところで、リリルーシアは口を塞がれ信じられないものを見た。


 妹のナタリーサが、リリルーシアの口を押さえて笑っているのだ。


「お姉様ったら。大きい声を出さないで。今誰かに来られたら、私が捕まっちゃうでしょう?」


 まさか、とリリルーシアは目を見開いた。


 思い込みの醜い嫉妬に駆られ、王女に毒を盛るなんて……


 自分の妹がとんでもないことをしでかしてしまったと理解したリリルーシアは、震えが止まらなかった。


「嘘吐きの王女。私のウィリアムに手を出すから悪いのよ。ああ、お姉様。そんなに心配しなくても大丈夫よ、私は捕まらないわ。いつも通りお姉様が私の代わりに罪を被ってくれるもの。そうでしょう?」


 わけの分からないことを言い出したナタリーサに、リリルーシアは恐怖した。


「これを見て、お姉様」


 ナタリーサが片手で取り出したのは、首から下げたチェーンの先に付いたラピスラズリだった。


「今までの恩があるから殺したりはしないけど、お姉様がいると邪魔なのよね。これは動物に姿が変わる呪いよ。せいぜい頑張って逃げてね。できれば一生戻って来ないでくれると助かるわ」


 ラピスラズリから発せられた黒い何かがリリルーシアに取り憑いて、リリルーシアの意識が遠のいた。


 薄れゆく意識の中でリリルーシアは、大声で泣き叫ぶ妹の声を聞き、茂みの中に投げ捨てられる感触を感じながら、ぐったりと気を失ったのだった。













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妹には特大のざまぁがないとやってられないな
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