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夫婦の愛憎






「どうやら毒の後遺症で記憶の一部が曖昧になっておられるようです。記憶が戻られるかは定かではありません」


 エリザベスを診察した侍医の言葉に、ジェラルドは眉を下げて、寝台の上で身を起こす妹を見た。


 兄から心配そうな目を向けられたエリザベスは、戸惑いながらも朗らかに笑ってみせる。


「私なら大丈夫よ。体が重い気がするけれど、吐き気や目眩はないもの。それよりも、何があったのか教えて下さる?」


 ジェラルドは、あの日あったことを妹に一から説明して聞かせた。話を聞くうちにエリザベスは、驚きの表情を浮かべていった。


「私が、あの婚約破棄略奪婚騒ぎで有名なキャタウォール姉妹とお茶をしたですって!? どうして覚えていないのかしら……! 勿体ないことをしたわ!」


「はあ……エリザベス。お前は自分が危険な目に遭ったという自覚があるのか?」


「だって。あのキャタウォール姉妹よ? 三人でお茶をしただなんて。どんなお茶会だったのかしら。とっても気になるわ」


 好奇心旺盛な妹の言葉に、ジェラルドは片手で頭を抱えた。目が覚めて間もない病み上がりだというのに、対するエリザベスは驚くほど元気だった。今度は目をキラキラさせて、ジェラルドの隣を見ている。


「それよりもお兄様、さっきから気になっていたのだけれど……もしかして、念願の猫を飼い始めたの? お父様のお許しをもらえたのね? とっても可愛い子だわ! ツヤツヤでモフモフの白い毛並み、小さなピンク色のお鼻、瑠璃色の瞳……」


 それまで嬉しそうに兄の愛猫を褒めていたエリザベスは、白猫の瞳を見て言葉を止めた。


「エリザベス?」


 急に黙り込んだ妹に、ジェラルドが怪訝な目を向ける。するとエリザベスは、戸惑ったように猫の瞳を覗き込んだ。


「……変ね。私、この子と同じ瑠璃色の瞳をつい最近見た気がするわ」


「……! 本当か? いつその瞳を見たか、よく思い出してくれ」


 深い瑠璃色の珍しい瞳。その瞳は恐らく、エリザベスが人間姿のリリルーシアと会った時に見たはずだ。記憶の片鱗かもしれないと、ジェラルドは期待を込めて妹を見た。


「んー……やっぱり思い出せないわ」


 しかしエリザベスは、結局あの日のことを思い出せなかった。


「そうか。無理をする必要はないが、何か思い出したら言ってくれ。お前をこんな目に遭わせた犯人を捕まえなくては」


 真剣な兄に、エリザベスはキョトンと首を傾げる。


「不思議ね。どうしてまだ犯人が捕まっていないの?」


 本当に何も覚えていないらしいエリザベスに、ジェラルドは事件の調査についても説明した。


「リリルーシア・キャタウォールが指名手配されていて失踪中ですって? 更には私が〝不〟という文字を残していたと。確かにおかしな事件だわ。お兄様、その場にいたナタリーサ・ポーパッズは何と言っているの?」


「それが……」


 ジェラルドは言い淀んだ。ナタリーサの証言は、エリザベスとウィリアムの不貞を一方的に決め付けるような発言だったからだ。


 ウィリアムのストーカー行為に悩んでいたエリザベスに、そんな話をしたくはなかった。


 珍しく黙り込んだ兄を見て、エリザベスも何か察するものがあったのか話題を変えた。


「いいわ。ナタリーサはお兄様が言い淀むような証言をしたわけね。それじゃあお兄様は誰が犯人だと思うの? リリルーシア? それともナタリーサ?」


「証拠があるわけではない。……が、俺はリリルーシア・キャタウォールは無実だと思っている」


「お兄様がそんなふうに言うなんて珍しいわね」


 エリザベスは、目をパチパチと瞬かせた。


「とにかく、実際に会ったナタリーサ・ポーパッズが信用に値しない人間だったのは確かだ」


 そう断言した兄に、寝台の上で声を荒げるエリザベス。


「もどかしいわ! どうして私には記憶が無いのかしら?」


「落ち着け。あまり興奮するのは良くないぞ」


 口を尖らせたエリザベスは、恨めし気に兄を見る。


「そもそもどうして私は助かったの? 二度と目を覚さないとまで言われていたんでしょう?」


 妹の問いに、ジェラルドは傍らに座るリリルーシアを撫でてみせた。


「リリルのお陰だ」


「お兄様の猫が?」


「リリルには毒を浄化する力があるんだ。リリルが毎日お前の元に通って毒を浄化してくれたお陰で、お前はこうして目を覚ました」


「まあ! それならこのリリルは私の命の恩人ね。ありがとう、リリル」


 手を叩いたエリザベスが指を差し出すと、リリルーシアは大人しくその指先にちょんと鼻先を付けて挨拶を交わした。


「可愛い。良かったわね、お兄様。夢の猫を飼えて。あとはお嫁さんがいれば完璧なんだけど。こうなったら私がお兄様の妃候補を見付けてあげるわ!」


 胸を張る妹を見て、ジェラルドは思わず吹き出した。


「失礼ね。どうして笑うの?」


「いや。あの日も、お前はそう言って意気込んでいたんだぞ。まったくお前は。毒くらいじゃ変わらないな」


 ジェラルドは久しぶりに、心の底から笑えた気がした。




「それにしても。私が目覚めたと知ったら、犯人は再び私を狙いに来るでしょうね……」


 ふと、そう呟いたエリザベスはパッと顔を上げて兄を見る。


「お兄様、私を利用するのはどう? 囮にして犯人を誘き寄せるの」


 妹のとんでもない提案に、ジェラルドは呆れた顔をした。


「何を言い出すんだ。そんなことできるはずないだろう」


「あら。私はエリザベス・ウィスカーズ。ウィスカーズ王家の正統な血筋を受け継ぐ誇り高き王女よ。王家に牙を剥く不届者を捕まえるために囮になるくらい、どうってことないわ」


 言い募る妹に、ジェラルドはよくよく言い聞かせる。


「ダメだ。お前は目覚めたばかりなんだぞ。無理はさせられない。お前が目覚めたことも、犯人が捕まるまでは極秘にする予定だ」


「そんなんじゃいつまで経っても私、外に出られないじゃない。お兄様こそよく考えて。これは王族毒殺未遂なのよ? 一刻も早く犯人を見付けるべきだわ。指名手配されているリリルーシアが犯人ではないと思うなら、尚更急いだ方がいいでしょう?」


「それは……」


 痛いところを突かれたジェラルドは、リリルーシアを見た。真っ白な王太子の愛猫は、困ったような瑠璃色の目でジェラルドを見つめ返す。


「……考えさせてくれ」












「リリル、少しいいか」


 自室に戻ったジェラルドは、ヘンリーを下がらせると二人になった室内で愛する愛猫に向き直った。


「みゃー」


 お利口な姿勢でおすわりをしたリリルーシアは、小さな口を開けて返事をする。


「獣医の話を元に色々と調べた結果、恐らくお前が掛けられたのは、単なる呪いじゃない。動物の姿を得ることで、異能を授かる秘術だ。この秘術は満月の光によってのみ、一時的に元の姿に戻れる」


 それを聞いたリリルーシアは、間違いないとコクコク頷いた。と同時に、密かにリリルーシアの身に起こったであろうことを調べていてくれたジェラルドに、感激の目を向けた。


「お前にこの秘術を掛けた人物がいたはずだ。お前は真相を知ってるのだろう? やはりエリザベスに毒を盛ったのは……お前の妹の、ナタリーサの仕業じゃないのか?」


 リリルーシアの目を見ながら、ジェラルドは核心に触れた。リリルーシアは、一度目を閉じると。妹の顔を思い浮かべる。


 これまで自分を犠牲にして尽くし、育ててきた妹。妹が道を踏み外したのは、姉である自分の責任じゃないのか。


 様々なことが頭を巡りながらも、リリルーシアは顔を上げると、ジェラルドに向かって頷いてみせた。


「やはりか。そしてナタリーサはその罪を着せるためにお前を動物の姿に変え、姉が王女に毒を盛って失踪したと嘘を吐いて罪をなすり付けたと……許せないな」


 低い声で吐き捨てたジェラルドは、リリルーシアの体を抱き上げると膝に乗せた。


「お前は猫になることで、毒を浄化する力を授かったんだ。だからエリザベスの治療もできた。感謝している」


 すっかり慣れた王太子の膝の上で、リリルーシアは大人しくジェラルドの話に耳を傾けた。


「この術は掛けられた際に連想していた動物の姿になることが多いらしい。異能もその時に必要なものを授かるケースが多い。術式には媒体が必要なはずだ。何か、呪いを掛けられた時に宝石のようなものを見なかったか? そしてその時に猫を思い描いていなかったか?」


 思い返してみれば、あの時リリルーシアはエリザベス王女と猫の話をしていた。そしてエリザベス王女が毒に倒れたのを見てショックを受け、毒を浄化する異能を授かったのだとしたら辻褄が合う。


 リリルーシアは、ジェラルドの胸に肉球を乗せながらコクコクと頷いた。その仕草の愛らしさに悶絶しながらも、ジェラルドは口から飛び出しそうになる愛猫への愛を何とか耐えた。


「問題は、お前の妹がどうやってそんな品物を手に入れたのかだ。ポーパッズ公爵の館なら、そういった曰く付きのお宝が眠っていてもおかしくない。この呪いは……残念ながら、完全に解くのは難しいかもしれない。しかし、術に使われた媒体があれば、何か糸口が見つかるはずだ。一度、ナタリーサの夫のウィリアムに探りを入れてみようと思う」


 リリルーシアは、感謝の意味を込めてジェラルドの鼻をペロリと舐めた。


「うっ!」


 膝の上に最愛を乗せているジェラルドは、愛するリリルーシアを落とさぬように、静かに身悶えるのだった。









「殿下! エリザベスは無事なのですか!?」


「ウィリアム」


 ジェラルドは、自分から呼び出しておいて、ウィリアムの顔を見て眉を寄せた。


「エリザベスはずっと目を覚まさないと聞きました! どうか一目だけでも会わせて下さい!」


 勿論、妹に付き纏っていたというのも大いに関係ある。が、それ以上に得体の知れない苛立ちがジェラルドを襲っていた。


 目の前のこの男、ウィリアム・ポーパッズは、ほんの少し前までリリルーシアの婚約者だった男なのだ。


 そう考えただけでジェラルドは、ウィリアムを斬り捨てたくて仕方なくなった。が、今は怒りを抑えなければいけない。この男から聞き出すべき情報があるのだ。


「エリザベスは治療が成功して順調に回復中だ。もうじき目を覚ますだろう。それよりウィリアム。エリザベスに会いたいのなら、公爵家に眠る宝の話を聞かせてくれ」


「宝? なぜ殿下がそのようなことを?」


「個人的に探しているものがあってな。公爵家に眠っているのではないかと耳にしたのだ。協力してくれたらエリザベスの見舞許可を考えてやろう」


「本当ですか!? 何でも協力します、何ならお探しの物を差し上げます! それはどんな物ですか?」


 エリザベスのことしか頭にないらしいウィリアムは、前のめりになってジェラルドに問い掛けた。


「宝石……何か不思議な言い伝えのある宝石はないか?」


 ジェラルドがそう言うと、少しだけ考え込んだウィリアムは思い付いたように嬉しそうな顔を上げる。


「ああ、ラピスラズリのロケットですか? あれには確か、先祖が馬やら犬やらにされた呪いがどうとかの言い伝えがあったような」


「それだ。間違いない。それを見せてもらうことはできるか?」


「殿下の為なら何だってお持ちします。ですからどうか、エリザベスを見舞う話、何卒よろしくお願いします!」


 興奮しながら勇んで帰って行ったウィリアムの背中を、ジェラルドは貼り付けていた笑顔を消して冷ややかに見送った。







「ウィリアム、いったいどこに行っていたの!?」


 帰宅したウィリアムは、妻であるナタリーサから甲高い声を浴びせられた。


「俺がどこに行こうと勝手だろう」


「勝手じゃないわ。私はあなたの妻なのだもの。夫の予定くらい把握してないと!」


 ギャンギャンと煩い妻に、ウィリアムは投げやりに言い放った。


「エリザベスの見舞許可を貰いに行ったんだ」


「何ですって?」


 それを聞いたナタリーサは、鋭い声を上げた。


「エリザベスは回復してもうすぐ目覚めるらしい。その時に一番先に側にいてやらなければ。エリザベスもきっとそれを望んでいるだろうからな」


 夢見るような夫の言葉に、ナタリーサは身を震わせる。


「王女が目覚める? だって、毒で二度と目を覚まさないって言ってたじゃない!」


「治療に成功したようだ。あとは時間の問題だとか」


 肩をすくめるウィリアムは、ナタリーサに目も向けず通り過ぎようとした。


「ちょっと待ってよ! まだ話は終わってないわ!」


「あー、煩いな! 毒を盛ったのはお前の姉じゃないか! そもそもお前のその態度はなんだ!? 結婚前は清楚なふりをしておいて、蓋を開けてみれば我儘ばかり! キズモノを貰ってやったというのに! もう付き合いきれない!」


 バンッとテーブルを叩いたウィリアムは、憎々しげな目を妻に向けた。


「それと、宝物庫には手を出すなとあれほど言っただろう! 執事長から聞いたぞ。あの中からラピスラズリを持ち出したのはお前だな!? 今すぐ返せ!」


 手を差し出したウィリアムに、ナタリーサは首から下げて隠していたラピスラズリのロケットを外すと、渋々ウィリアムに返した。


「ちょっと借りただけよ……」


「はあ。お前がこんなとんでもない女だと知っていたら、結婚などしなかった。リリルーシアの方がまだマシだったくらいだ」


 それを聞いたナタリーサは、燃えるような憎悪に拳を握り締める。


「まあ、エリザベスに敵う女なんぞいないが。結婚式に参列したエリザベスを見て、俺がどれほど後悔したことか。お前のような女に妥協するんじゃなかった」


 怒りに震える妻を鼻で笑って去って行くウィリアム。


「エリザベス……あの女! 今度こそ殺してやる」










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― 新着の感想 ―
[良い点] 完全には解けない呪い・・・?! これは逆に満月の光を浴びると猫に変身とか、ジェラルドにとっては月イチのご褒美タイムになったりして(笑) [一言] 旦那の方も相当なクソだった。これは後顧…
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