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姉弟の絆





 屋敷では父の目があるからと、リリルーシアの弟であるジョージは市街のとある路地で落ち合いたいと王太子に願い出た。


 その言葉を受けて指定された場所に来たジェラルドとリリルーシア、ヘンリーは、ジョージが来るまで時間を潰すことにした。


 そんな時にジェラルドがやることと言えば、折角ここまで連れてきた愛する愛猫を愛でること一択。


「はあ……。外で見るお前はまた格別に可愛いな。何だこの光を反射させる真っ白な毛は。サラサラで柔らかくて綺麗で温かくてモフモフだなんて最強じゃないか。この賢そうなヒゲ。このピンと尖った耳。ピンク色の小さな鼻。キラキラと輝く瞳。妖艶で美しい尻尾。見れば見るほど、どこもかしこも可愛い。何時間でも見ていられる」


「……殿下。先程から残念な独り言が漏れていますよ」


「仕方ないだろう! 口に出さずにはいられないほど可愛いんだ。可愛いものを可愛いと言って何が悪い! こんなに可愛いんだ、愛でずにはいられないだろう! ああ、世界一愛しい。可愛い。愛してる、リリル」


 ヘンリーの前で顔や頰を撫で回され、残念なスイッチの入ったジェラルドからあちこちにキスの雨を落とされたリリルーシアは、それはそれはもう羞恥に震えていた。


 かと言ってこんな街中で逃げるわけにもいかず。ただただジェラルドの膝の上で耐えるしかない。これが本当に恥ずかしい。


(なんで!? 殿下は私の正体を知ったはずなのに、なんで変わらずにこの溺愛攻撃をしてくるの……!? 正気?)


「ニャーウ!(恥ずかしいからやめて!)」


 ジェラルドの惜しみない愛にリリルーシアが悶え叫んでいると。ふと、路地の奥で何かが動いた。


「なんだ、ここにも猫がいるじゃないか!」


 物陰から現れた野良猫に、興奮したような声を上げたのはジェラルドだった。


「また始まった……殿下。殿下にはもうお猫様がいるではありませんか。猫と見れば何でも飛び付いて。節操がないと思われますよ」


「オホン。勿論、世界一可愛いのは俺のリリルだ。うちの子が一番可愛いに決まっている。しかし、他の猫もリリル程ではないが可愛いのは間違いないだろう?」


「またよく分からない屁理屈を……」


 人間の姿であれば確実に全身茹蛸のように赤くなっているであろうリリルーシア。そんな愛猫を抱いたままのジェラルドは、寄ってくる猫達を見て最初はホクホクと幸せそうだった。しかし、次第に様子がおかしいことに気付く。


「それにしても……少々寄って来すぎな気がしないか?」


「そうですね。それも雄猫ばかり……」


「ナーオ」


 向かって来た雄猫が普段は聞かないような鳴き声を上げ、他の猫も似たような声を上げることにジェラルドは驚いた。その腕の中にいたリリルーシアも、耳をピクンと動かしてジェラルドの腕に掴まる。何だか嫌な予感がする。


「これは?」


「ああ、なるほど。この雄猫達は、殿下のお猫様に発情しているのではありませんか?」


「…………は?」


 ヘンリーの言葉に、ジェラルドは固まった。


「殿下のお猫様は確かに稀に見る美猫ですから。お上品で頭も良い妙齢のレディです。雄猫達が寄ってくるのも無理はありません」


 なんだかんだで〝王太子殿下の愛猫様〟に肩入れしている様子のヘンリーが納得したように頷く間も、ジェラルドは間抜けな顔で固まっていた。


「………………はつじょう?」


「ニャニャ(勘弁して欲しいわ)」


 ギラギラした瞳でリリルーシアを見上げる雄猫達を見下ろしながら溜息を吐くリリルーシア。そんなリリルーシアを腕に抱いたままだったジェラルドは、スッと立ち上がると雄猫達から距離を取った。


「殿下?」


「ヘンリー……。どうしよう」


「如何いたしました?」


「……俺は今、生まれて初めて猫が憎たらしくなった」


「それは……! 重症ではないですか!」


「ああ。まさか猫に対してこんな感情を抱く日が来るなんて。いや、確かにこの猫達も可愛いとは思うんだ。しかし、俺のリリルをそんな目で狙っている雄がいるかと思うと……」


 ヘンリーは、ハッと口を押さえて後退った。


「まさかとは思いますが殿下、猫相手に嫉妬ですか?」


「…………」


 否定せず、より強く愛猫を抱き締めるジェラルドに、ヘンリーは心底呆れ果てたのだった。











「遅くなり申し訳ございません。父の目のあるところではできない話でしたから。王太子殿下の貴重なお時間を頂き感謝いたします」


「ああ。こちらこそ、話を聞かせてもらえて有り難い。それで、君の話とは?」


 恐縮するジョージの前で威厳のある態度を見せるジェラルドだが、この王太子がつい先程まで愛猫を狙う雄猫相手に嫉妬をあらわにしていたのを知っているヘンリーとリリルーシアは、笑いそうになるのを何とか堪えた。


「まず、先程の使用人達のことはお許し下さい。皆、リリルーシアお姉様のことが好きなのです。お姉様が嫌がるだろうからと、その想いを汲み取ってあのように証言していましたが、本当は父上以外の屋敷の者達は皆知っています。リリルーシアお姉様は無実です」


 それを聞いたジェラルドは、真剣な顔を目の前の少年に向けた。戸惑った様子のヘンリーもまた、笑みを消し去りジョージに問い掛けた。


「それはいったい、どういうことでしょうか……?」


 呼吸をおいたジョージは、改めて自分の想いを口にする。


「僕は……リリルーシアお姉様には返し切れない恩があります。だから、例えお姉様が望んでいなくても、このままお姉様が汚名を着せられ続けるのを見ていたくありません」


「と、言うと……?」


 リリルーシアを抱いたままのジェラルドが、ジョージを見下ろし問い掛けた。


「僕の知っていることを全てお話しします。これまでリリルーシアお姉様がやったとされてきた悪事の数々は、リリルーシアお姉様ではなく、ナタリーサお姉様がやったことです」


「なっ……!?」


 驚くヘンリーの横で、ジェラルドは愛猫の頭をくりくりと撫でる。〝王太子殿下の愛猫様〟は、話を聞きながらその瑠璃色の瞳で目の前の少年、ジョージ・キャタウォールを静かに見つめていた。


「ナタリーサお姉様は結婚する前、いつも僕にキツく当たっていました。自分は姉であり、か弱い女であり、傷を持った可哀想な娘……そんなことを盾にして、ナタリーサお姉様は僕を見下し時には暴力まで振るうこともありました。そんな時、いつも僕を助けてくれたのが、リリルーシアお姉様だったのです」


 ジョージから語られた内容は、事情を知らないヘンリーにとっては衝撃であり、何かを察していたジェラルドにとっては遣る瀬無いものだった。

 

「リリルーシアお姉様が悪女を演じていたのは、ナタリーサお姉様の為です。リリルーシアお姉様は、ナタリーサお姉様が〝キズモノ〟と揶揄されることのないように、自ら悪役を演じ周囲の悪い視線を自分に向けていたんです」


「……何故、リリルーシアはそんなことを?」


 ジェラルドは、ジョージをジッと見つめる愛猫の丸い後頭部を見ながら疑問を口にした。


「僕のせいなんです。僕が、生まれてこなければ……」


 王太子の問いに答えるジョージの言葉は、悲痛に満ちていた。その様子にジェラルドとヘンリーは、そっと目を合わせる。


「僕が生まれる前、リリルーシアお姉様はキャタウォール家の跡取りとして育てられていました。その頃には母上も存命で、お姉様は跡取りとなるべく熱心に勉強されていたそうです」


 ジェラルドの腕の中で、白い猫がグッと身を固くした。


「それが……僕が生まれて、全てが狂いました。父上は男児である僕を後継者に指名し、それまでずっと跡取りとしての教育を受けてきたお姉様を蔑ろにするようになりました。そして、僕を産んだことで体の弱った母上は亡くなり、母上の役割を担わされるようになったのがリリルーシアお姉様でした」


「……君とリリルーシアの歳が離れているとは言え、当時は彼女もまだ子供だったはずだ。にも関わらず、侯爵は彼女にそんな重荷を背負わせたのか?」


 何度も腕の中の猫を撫でるジェラルドの問いに、ジョージは頷いた。


「そうです。そして、リリルーシアお姉様が、ナタリーサお姉様に怪我をさせたと言うのは真実ではありません。使用人達の話では、あれはナタリーサお姉様が自分で木から落ちた事故だったんです。でも、父上は妹の世話を疎かにしたとリリルーシアお姉様を責めました。そしてリリルーシアお姉様自身も、ナタリーサお姉様も、リリルーシアお姉様に責任があると思い込むようになったんです」


「……」


「……」


 涙声の少年を前に、ジェラルドもヘンリーも、何も言えなかった。


「僕が、生まれてこなければ……」


 ぽとり、とジョージの瞳から涙が落ちるのと同時に、ジェラルドの腕の中から飛び出した白い猫が、少年の前に座り込み、前足を上げてその膝に触れた。


「みゃ、みゃう、みゃー」


「え……?」


「君のことを慰めているんだろう。リリルは優しい子だから」


 戸惑うジョージに説明してやりながら、ジェラルドは熱心な愛猫の隣に立った。


「一つだけ言わせてもらえば、君がいなくなって一番悲しむのは誰か、考えてみるといい」


 そして真っ直ぐな瞳をジョージに向けて、そう言った。


 王太子の言葉に、ジョージが思い浮かべたのは、他でもない姉、リリルーシアだった。


「その人はきっと、君のことを心から愛しているはずだ。その人が君の今の言葉を聞いたらどう思うか、今一度考えなさい。そうすればもう二度と、そんなことは言えないだろう」


「にゃあ」


 同調するように頷く王太子の愛猫は、その瑠璃色の瞳をジョージに向け続けている。どこか切羽詰まったような必死なその瞳が姉と重なり、ジョージは滲んだ涙を拭った。


「殿下の仰る通りです。僕がどうかしていました。もうあんなことは言いません」


「ああ。それがいい」


「みゃ!」


 先程から息ぴったりの王太子とその愛猫に、少しだけ笑みを漏らしたジョージは、改めて強い瞳をジェラルドに向けた。


「とにかく、僕が言いたかったのは……そんな心の優しいお姉様が、王女殿下に毒を盛るはずがありません。そもそもリリルーシアお姉様は、ウィリアム公子を愛してなどいなかったのです。だからナタリーサお姉様に嫉妬する理由などないのです」


「なるほど。確かに、君の言葉が真実なら、リリルーシアには動機が全く無いな」


「それに僕、聞いたんです。王宮に行く前、ナタリーサお姉様がリリルーシアお姉様のところに訪ねて来て、一緒に王女殿下に謁見するよう頼み込んでいました」


 ジェラルドはジョージの話を聞いて眉を寄せた。


「つまり、エリザベスに会いたいと言い出したのはリリルーシアではなく、ナタリーサ・ポーパッズだったと言うことか? そして二人は事件当日密室で会っていた。世間が言うようにリリルーシアがナタリーサを毒殺しようとするならば、わざわざ王女の前で行うよりもずっと確実な機会があった……というわけだな」


「そうです。間違いありません」


 力強く言い切るジョージを見て、ジェラルドは一連の話を黙して聞いていたヘンリーと目を合わせたのだった。








「ヘンリー、お前はどう思う?」


 帰りの馬車の中で、ジェラルドに訊ねられたヘンリーは顎に手を当て考え込んでいた。


「……殿下の仰る通り、リリルーシア・キャタウォールが無実である可能性が高いかもしれません」


「お前もそう思うか」


「はい。以前直接会ったナタリーサ・ポーパッズの態度や証言は、信憑性に欠けるものでした。そしてこれまでの噂が虚像で、ナタリーサ・ポーパッズの行動に問題があるとしたら。王女殿下の毒殺を企てた真の犯人は、失踪した姉のリリルーシア・キャタウォールではなく、事件の唯一の目撃者とされる、妹のナタリーサ・ポーパッズの方ではないでしょうか」


「俺もそう思う。城に戻り次第、ナタリーサ・ポーパッズの周辺を徹底的に洗い出せ」


「承知しました。ですが殿下、この場合、姉のリリルーシア・キャタウォールはどこに行ったのでしょうか……?」


 ヘンリーの疑問に、ジェラルドは横目で愛猫を見た。ジョージの涙を見てから呆然としているリリルーシアの背中をそっと撫でてやりながら、ジェラルドはさらりと答えた。


「その件に関しては心当たりがある。それよりも、エリザベスさえ目覚めて証言をしてくれたら全て解決なのだが……」


「……そうですね。王女殿下はお猫様のお陰で回復に向かっていますし、事件の真相が明るみになるのも時間の問題です。それまで我々は出来る限りの調査をしましょう」


「そうだな」


 馬車に揺られながら、相変わらず眠り続ける妹に思いを馳せていたジェラルド。しかし、城に戻った途端、事態は急展開を迎えていた。



「殿下! お急ぎ下さい! エリザベス王女殿下が目を覚ましました!」



「何だと!?」


 それを聞いたジェラルドは、リリルーシアを抱えて妹の元に急いだ。



「エリザベス!!」


「お兄……さま」


 そこでは、医師達に囲まれながらもずっと眠り続けていたエリザベスが青い顔のままではあるが、目を開けていた。


「ああ、良かった!」


 弱々しいながらも、目を開けて自分を呼ぶ妹を見たジェラルドは、抱えていたリリルーシアをそっと下ろすと妹の手を取り安堵の息を吐く。


 それを見ていたリリルーシアも、心からホッとする。


 しかし、次第に意識を覚醒させていったエリザベスが上げた不安げな声に、ジェラルドを始めとした周囲の者に騒めきが走った。


「あの、お兄様。どうして私……眠っていたのかしら?」


「覚えていないのか? お前は毒を盛られて……」


「毒? 誰がそんなことを……?」


 心底驚いたようなエリザベス。


 これで事件が無事に解決すると思っていたジェラルドもリリルーシアも、驚きに目を見開いて目覚めたばかりの王女を見つめるのだった。











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― 新着の感想 ―
[良い点] 猫の後頭部、可愛いですよね。 雄猫の登場ありがとうございます!リリルもてもて(´∀`*) ふわふわの白猫を想像してジェラルド並みにもだえてます。 [気になる点] エリザベスが記憶喪失!?
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