助けてほしいなら、声に出して言いなさい
(もうだめだ……、死んでお詫びをしよう)
最後に一つだけ。せめて借りていたハンカチだけは返したい。いや、このまま持ったまま死にたい。……せめて一度、リーゼロッテ様に謝罪をして、それから死のう。
矛盾した気持ちを抱えながら、ユリアーナはふらふらと王都にあるハイデルベルグ侯爵家の館へと向かった。
その館を前に、ユリアーナは呆然とした。
自分の屋敷程度の小さな家を想像していたのが間違いだった。
門から館までの前庭だけですら、ユリアーナの家が十軒以上建つだろう。いや、その門自体、ユリアーナの家よりも大きいのだ。門、というから表現がおかしくなるのであって、門と警備の者の居住を兼ねている塔と言った方が正解なのかもしれない。
夜会ですら声がかけられなかったユリアーナが、ハイデルベルグ侯爵家の門番や家令に取次ぎを頼み、リーゼロッテと面会をさせてほしい……などと言えるわけもなかった。
むしろ、このハイデルベルグ侯爵家の館にたどり着けただけでも、ユリアーナにしてみれば勇気を振り絞ったと言えるのかもしれない。
呆然と、館を見て。そして、どうしようと考え出したその時、ハイデルベルグ侯爵家の家紋の付いた馬車が、ユリアーナの傍を走り去った。
「あ……っ!」
もしかしたら、あの馬車にリーゼロッテが乗っていたかもしれない。
そうでなくとも、馬車に乗っている人に声をかけたら、ハンカチだけでも返すことが出来たのかもしれない。
唯一のチャンスを逃したと思ったユリアーナはその場でしゃがみ、泣き出した。
すると、過ぎ去ったはずの馬車がゆるゆると止まった。
「どうしたの貴女。具合でも悪いの?」
馬車の小窓から見えた顔はリーゼロッテだった。
瞳に涙を湛えたまま、ユリアーナはリーゼロッテを凝視する。
謝罪をと、思いながらもユリアーナはハクハクと口を動かしただけで何も言えなかった。
「うーん……、ウチの屋敷に連れて行った方が良いかしら……」
眉根を寄せて、少し考えこんだリーゼロッテを、護衛の男が止めた。
「……お嬢様。間者の類かもしれません。捨て置きましょう」
「あら、お腹の大きい妊婦さんが間者とは思えなくてよ?」
ユリアーナが何か返答する前に、護衛の者から睨まれた。
「妊婦のふりをして、腹にナイフでも仕込んでいるやもしれません」
「まあ……、でも客かもしれなくてよ?」
「客ならば、きちんと約束を取り付けた後に訪れるものでしょう。こんなところに女が一人。怪しさ以外何も感じませんが?」
怪しいと言われ、ますますユリアーナは何も言えなくなった。胸の前でぎゅっと手を組み、俯いて頭を下げるしか出来ない。
ふう……と、リーゼロッテのため息が零れたのが聞こえた。
「貴女ね、そうやって小さくなって身を縮めていても何も好転しないわよ?助けてほしいなら、声に出して言いなさい。わたくし、聞いて差し上げるくらいならできるのよ?……ねえ、貴女はどうして欲しいの?」
(あたしは……何がしたいの?)
もうジェレミーに身を蹂躙されるのは嫌だ。
死にたい。そう思うけれども本当は死ぬのも嫌だった。
ハンカチを返すことやリーゼロッテへの謝罪など、本当にしたいことではなく、本当に何がしたいのかわからない。
生まれてくる子をどうしていいのかもわからない。
何もかも、わからず。
「わかり……ません、でも……」
「でも、何?」
「このままは……嫌……」
ただそれだけを言った。