もちろん誓いません
1万6千字程度の短いお話になります。
ここは、エッケルシュタイン王国の王都にある大聖堂。
まもなく王太子たるジェレミーとその婚約者であるリーゼロッテの結婚式が行われようとしていた。
高い天蓋と美しい薔薇窓を持つこの大聖堂には、エッケルシュタイン国王と王妃、近隣諸国から参列した要人たち、そしてこのエッケルシュタインの主だった貴族たち……といった列席者であふれていた。
いや、溢れているのは聖堂内だけではない。
参列は出来なくとも「せめてその姿を一目見たい」と考えた一般市民が大聖堂の外を取り巻いていた。それを制する警備の兵士も多数配されている。
まるで街中、いや、王都中の人々がこの大聖堂に集まってきたような有様であった。
そして今。
静まり返った神殿の中、祭壇上に立った司祭が、朗々たる声を響かせた。
「リーゼロッテ・フォン・ハイデルベルグ。汝はジェレミー・ド・エッケルシュタインを夫とし、死が二人を分かつまで愛することを誓いますか」
ヴェールで顔を隠した花嫁……リーゼロッテがその司祭の声に顔を上げる。
「もちろん愛など誓いません」
リーゼロッテのきっぱりとした強い声が聖堂内に響く。
厳粛な雰囲気に満ちていたはずの大聖堂。そこに「は……いぃ?」という実に間の抜けた司祭の声と、「何を言うリーゼロッテっ!」と怒鳴るジェレミーの声が重なり響いた。
そして、一瞬の空白の後、列席者たちもざわざわと騒ぎだした。
「誓いませんとは……どういうことなのでしょう?」
「あ、あまりの緊張のために『誓います』というのを言い間違えてしまった……のでは?」
そんな言葉があちこちで起こる。
「もちろん言い間違いではございませんわ。わたくし、リーゼロッテ・フォン・ハイデルベルグは、この名にかけまして、ジェレミー・ド・エッケルシュタイン王太子殿下を愛することはございません。幼少の頃より将来の王妃となるべく教育は受けさせていただきましたが、王太子殿下との結婚など、断固として拒否いたします」
リーゼロッテは、自身の手でヴェールをむしり取った。そして、それを床に放り投げる。きっちりと結い上げられた緋色の髪と、紫水晶のような瞳が顕わになった。
「本来なら結婚式を挙行する前に婚約破棄を行うべきでしたが……。再三にわたり婚約破棄を申し上げ、その都度婚約破棄に関しての嘆願書を国王陛下へと提出させていただきました。けれどもそちらを一笑に付されただけでなく……。わたくしの両親……この国の忠臣であったハイデルベルグ侯爵夫妻を人質に取り、投獄し……。更には結婚しなければわたくしの両親の命はないと脅してきたジェレミー様に、どうして愛など誓えましょうか」
そこまで一息に言い放つと、リーゼロッテは司祭とジェレミーに背を向けて、列席者の方へと向き直る。
そして、床に放ったヴェールをリーゼロッテは思い切り踏みつけた。
結い上げられた髪を崩す。緩くウェーブを描いた腰まである長い緋色の髪がまるで炎のように広がった。
「愛など誓いません。そしてジェレミー王太子殿下との婚約、婚姻、そして殿下と生涯を共にすること、その一切を拒否、いえ、拒絶いたしますわっ!」
堂々と挙げられているその顔は美しかった。ただし、戦いの女神のような美しさだ。
燃え盛るような緋色の髪も、入念に施された化粧の口紅も……、それらすべて『花嫁の可憐な美しさ』とは全く無縁だった。リーゼロッテが纏う赤は武装。実に物騒である。
誤字報告くださった方、ありがとうございます。感謝いたします。