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5.変わらない微笑み

「ぎゃあっ」

「えっ」

アイネの手をエーベルハルトが握っていた。というか、握りつぶしてると言う表現が正しいのではないかと思ってしまうほど、掴まれているアイネの手が小さく見えた。

アイネの痛がり方を見るにただ力強く握られているだけには見えない。

アイネは最初こそ悲鳴を上げたけど、今は陸に上げられた魚のようにはくはくと口を開閉している。痛みのあまり声すら出せないような状態だ。

私や一緒に来た騎士、アイネの家族はいきなりの出来事で何が起こったのか分からず動けなかった。

誰にでも分け隔てなく優しいと評判のエーベルハルトがまさか淑女の手を握り潰すなんて思いもしなくて目の前の光景を現実のものとして認識できるものがこの場にいなかったのだ。

私の知っているエーベルハルトも優しい人だった。でも、ふと思い出した。

まだ幼かった私にふざけ半分で男の子が石を投げてきたことがあった。運悪く、その石は私の額に当たり、血が出た。それを目撃したエーベルハルトがその男の子を蹴り飛ばした。

慌てて止めたけど、きっと止めなかったらエーベルハルトはもっとしただろう。あれ以来、その男の子は見なくなったから今はどうしているか分からないけど。

思い出は美化されるとはよく言ったものだ。私の中でエーベルハルトはとても優しくて格好いい初恋の男の人って位置付けだったけど時々手に負えないぐらい苛烈なことをする人でもあった。

「手は・・・・ああ、もう一つ残っていましたね」

「ふぇ?」

涙と鼻水、涎を流した汚い顔でアイネはエーベルハルトを見る。彼はいつものように優しい笑みを浮かべていた。

「・・・・・ガートラント伯爵、何を」

戸惑うケイレン伯爵を尻目にエーベルハルトは残ったアイネの手を握る。その様子を演劇でも見ているかのようにアイネは見つめていた。自分の身に悲劇が降りかかっているということが頭で理解していないのだ。

エーベルハルトは笑みを深めて残ったアイネの手も握り潰した。

アイネの悲鳴が響き渡り、あまりのことに今まで黙って見ていた長男のダミアンは泡を吹いて失神した。

「ああ、良かった。これでもう聖女様を傷つけることはできませんね」

「あ、あ、あ、私、私の、私の手が、手がぁ」

アイネは握り潰された手とエーベルハルトを交互に見る。

「聖女様を傷つける手など不要でしょう」

まるでそれが正論であるかのようにエーベルハルトは言い放った。彼の中には過剰防衛という言葉が存在していないようだ。

「ガートラント伯爵、幾ら何でもやりすぎです!私の娘の手をよくも」

今更ながら現実を理解したケイレン伯爵は茹で蛸のように顔を真っ赤にしてエーベルハルトを怒鳴りつけた。

「先に手を出したのはそちらです」

「だからなんだという!薄汚いスラムの子供じゃないか」

ヒュッと息を呑む音がケイレン伯爵からした。

エーベルハルトからは途轍もない殺気が漂ってくる。

「あなた方の要請で命を懸け、魔物討伐に赴いた聖女様です」

「それがその女の役割だろ」

それが貴族たちの当然の認識。私は公爵家の養女だけどスラム出身。卑しい存在だから貴族様の為に命を懸けるのは当然。使い捨ての駒にしても問題はない。替えの効かない国に一人しかいない聖女だということは彼らの都合に合わせて消える儚い情報の一つに過ぎないのだ。

後ろ盾になっている公爵家だって私の味方ではない。私に危害を加えられることで自分達の体裁を傷つけられたら出張ってくるけど、そうでないのなら黙認する。だから私は公爵家の養女という立場を上手く使わなければならない。

使わなければ馬鹿にされ搾取されるだけだし、使えばかえって自分の身を危険に晒す可能性もある。

「聖女様、ここに魔物はいないようです。帰りましょう」

「えっ」

「さぁさぁ」と言ってエーベルハルトは私を馬車に乗せようとする。当然、ケイレン伯爵は黙っていない。

「ふざけるなっ!」

「それはこちらのセリフです」

エーベルハルトから笑顔が消えた。それだけなのに、まるで呼び起こしてはならないものを呼び起こしてしまったかのような恐怖が辺りを支配する。

「あんたのチンケなプライド故に聖女様の力を借りたくないというのなら自分の力で何とかしろ」

「なっ」

「領地を守るのは領主の役目だ。それを放棄して少女に縋っておいて、何を偉そうにしている?あんたらは本来なら王家より与えられた役目を遂行できない自分を恥じ、聖女様に力を貸してくれと土下座する立場にあるんだ。その自覚もないのは伯爵位を賜っている意味を理解していない馬鹿だと王より派遣された俺たちに示した。俺たちは今すぐ王都に帰って報告することだってできる。あんたが国で唯一の聖女様に手を下そうとしたと」

エーベルハルトから敬語が消え、一人称が”私”から”俺”に変わっている。

あまり怒らない人を怒らせると怖いというけどこれはそういうレベルではない。

素人の私でも分かるほどの濃密な殺気がエーベルハルトから放たれている。修羅場に慣れた騎士でさえも容易に動けない。誰も彼には逆らえない。逆らってはいけないと本能が教える。

「選べ。自分達で現状を打破するか、聖女様に頭を下げて現状を打破してもらうか」

「っ」

恐怖と怒りと屈辱でケイレン伯爵の体はプルプルと震えていた。スラム出身の私に頭を下げるなんて屈辱でしかないだろう。でもエーベルハルトの言う通り、私がいなければ魔物が出現した場所は瘴気に侵され、何年も手を出せない。場所によってはかなりの損失になるだろう。

それをよく分かっているケイレン伯爵が体を震わせながら私に頭を下げた。それは私が聖女になって初めて見る光景だった。

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