4.ケイレン伯爵領での歓迎
体は人間だが、頭部は狼。鋭い牙と爪を持ち、人肉を食らう化け物。その風貌から人はその魔物をルー・ガルー、狼男と名付けた。
それがケイレン伯爵領に現れたということで伯爵家から討伐依頼が王宮に届いた。
「私の護衛に就任して早々に討伐依頼が来るなんて、エーベルハルトもついていませんね」
毎日、休み暇もなく討伐依頼が来ることも珍しくはない。私のことが気に入らない貴族出身者からの嫌がらせもある。私に何かあれば当然、専属護衛の責任問題になる。
王族の護衛よりも過酷だと言われている私の護衛。だから長続きはしない。きっとエーベルハルトもすぐに嫌になって別の人に変わるだろう。
ましてや彼は伯爵だ。彼よりも高位の貴族出身者からの嫌がらせに対処するのは精神的にもかなキツイはず。一ヶ月も保たないだろうな。
その方がいい。私の側にいれば命が幾つあっても足りない。こんな危険な任務に同行もさせたくない。だからさっさと変わってくれたらいい。
会えなくなるのは残念だけど、きっとその方が彼のためだろう。
「むしろ光栄です」
「えっ」
光栄?理解できない。何が光栄だというの?
私はスラム出身であなたは伯爵なのよ。貴族が賎民を守って死ぬかもしれない。それは名誉ではなく不名誉。愚か者だわ。きっと死んだら誰もが憐れむでしょう。賎民を守って死ななければならなかったあなたを。
どれだけ尽くそうと、どれだけ努力しようと誰も関心を向けてはくれない。
だって聖女だから。これぐらいできて当然。
だって賎民だから。使い込んでも問題はない。
「あなたを守れるのです。これほど、喜ばしいことはありません」
ドクンと心臓が脈打った。
「お世辞でも嬉しいです」
「お世辞ではありません」
勘違いをしてはいけない。
優しい人だから。たとえ気まぐれでもスラムの薄汚い子供に手を差し伸べてくれるような人だから、私の出自など気にせず自分の本分を果たそうとしているだけ。ただ、それだけ。
「お世辞でないことを行動で示します」
リップサービスだろう。
だから私は笑って受け流した。そんな私を彼がどう見ているかなど気づきもしなかった。だって、私のことなんて忘れていると思っていたから。そう思う方が楽だったから。
期待をしなければ裏切られることもない。裏切られなければ傷つくこともないから。
一番楽で一番卑怯な道を選んだ。
***
ケイレン伯爵領に着く頃には夕方になっていた。本格的な捜索、討伐は明日になる。
エーベルハルトが色々と気を回してくれたから道中はとても楽だった。こんなに楽な道中はなかった。いつもは針の筵状態で気疲れするから。
私を聖女として崇めてくれる人もいるけど、私の出自で嫌悪の眼差しを向けてくる人もいる。悪意と好意の眼差しを同時に様々な人から受けるのは思いの外疲れるのだ。
どっちか片方だけだったら近づいてきた人間を疑う必要もないのにと心の中で文句を言いながら過ごしていた。
「ようこそお越しくださいました、聖女様」
揉み手で迎えてくれた白髪混じりの男がケイレン伯爵。その左に令息、右に令嬢がいた。
「息子のダミアンと娘のアイネです。妻は、申し訳ございません。魔物の出没にショックを受けて寝込んでしまいまして」
「お気になさらず。遭遇したことのない者にとっては領内にいると聞いただけでも恐ろしい存在ですから仕方のないことです」
「なんと、さすがは慈悲深い聖女様だ。ありがとうございます」
伯爵の言葉を真に受ける馬鹿はこの場にはいない。夫が出てきて、妻が出てこないのは珍しいことではない。
魔物は討伐してほしい。魔物が現れたことによる瘴気もなんとかして欲しい。でもスラム出身の卑しい聖女に頼むのはプライドが許せない。その姿を目に移すのですら嫌なのだという人もいる。
こっちも面倒ごとは避けたいので言及はしない。好きで関わっているわけではないのはお互い様だ。
「ささ、お疲れでしょう。どうぞ、中へ」
「うへ、お父様。本気ですか?聖女様はお外で十分でしょう。討伐とかで野宿なんて慣れていますよねぇ」
アイネは舌を出して吐きそうだと表現する。
令嬢がする行動とは思えない。見た目からして十四歳ぐらいだろうか。
「これこれ、アイネ。よさないか。すみません、聖女様」
伯爵は軽く注意するだけ。
命をかけて魔物討伐しているのに出身がスラムというだけで軽く扱っても許される。よくある光景。
「構いませんわ。お体が弱ければ色々と追いつかないこともあると思います」
訳:あんたの娘、淑女教育すらまともにできていないのね。そんな存在を堂々と出してくるなんて恥ずかしくないの。
「・・・・・どうぞ、お疲れでしょう。中にお入りください」
先ほどとは打って変わり伯爵の顔は引き攣っている。
ああ、良かった。私の言葉が通じたようだ。アイネもプルプルと体を怒りで震わせている。
「穢らわしい体で私の家に入らないでっ!」
私が中に踏み込もうとした瞬間、アイネの手が私に伸びてきた。無理やり私をこの場から排除しようとしているのだ。私は聖女で、王命で来ている。そんな私に手を出すのは王家への侮辱罪になるし、翻意ありと思われても仕方がないことなのに。
だから今までの奴らは口で侮辱してきても物理的な行動に出ようとはしなかった。私の身に何かあれば魔物の瘴気問題を解決できなくなるというのもある。
だけどアイネは怒りでそういうことを考えられなくなっているようだ。いや、元から考える機能がないのかもしれない。
女の、それも子供の力だ。軽い怪我で済むだろう。これを問題にして後からどうにでもできるし。