対あり!
決心したまでは良かったが、具体的に何をするべきなのかよく分からない。男の人を落としにかかったことがないので当然ではある。恋愛初級者がぶち当たる壁というものだ。
「どうすれば良いんだろう……」
そんなふうに思考の迷路を彷徨っているうちに、気づけば四つの授業が終わっていた。あちらからのアクションはない。というかライヌの返信はまだなのか。
スマホを開けど、新たなメッセージは届いていない。それがとてももどかしく、こっちから再送してやろうかとも考えたが、返信もないのに、それはどうなのかと理性が訴える。それは白旗を挙げることに相違なかった。それは断じて認められない。イニシアチブを取るのはこちらである。
だが、変なプライドに囚われていても何も始まらないのは事実だ。となるとやはり追い打ちメッセを仕掛けるしかないのか。
『やあ、最近学校どう?』
などという話を切り出すにしては零点の文句から目をそらしながら、震える親指で送信ボタンに触れようとしていた時のこと。それは天啓のように落ちてきた。
(そうだ……直接話しかけにいけばいいんだ!)
まともに考えれば真っ先に浮かんでくるだろう選択肢であっただろうが、無理に頭を使っている時に限ってそれが出てこないものである。
彼女は迷いなく実行に移した。
思い立ったが吉日とはよく言うものだ。しかし、一度最高だと思える手立てが浮かんだ時は、一度立ち止まってよく考えろとも言う。この場合はどちらに転がるものか。
「や、やあ秋山君」
(やあって何だ、やあって。どこぞの爽やかイケメンキャラか私は! そんなオーラ出したら怖がっちゃうでしょうが!)
自分の中で、彼の扱いが小動物か何かのようになってしまっているという事実には、渚は気づかなかった。
秋山君はいつも弁当を持ってきている。三分の一ほどは彼の腹の中に消えたようだが、まじまじと見てみるとなかなかに綺麗な盛り付けだった。彩り豊かで食欲がそそられる。母のお手製だろうか。
「えっと、何でしょう」
「は、いやっ、べ、別に美味しそうだなんて思っていませんのよ?」
「そうすか」
それだけ。本当にそれだけだった。慌てるような素振りもなく、かと言って笑顔を見せるような愛嬌もない。ひたすら愛の籠った弁当を食べ続けるだけ。春の陽気に包まれた教室も、そこだけは木枯らしが吹き抜けていくようだった。
(いやそうじゃない、そうじゃないから! あまりにも自然な会話の終了に立ち去りそうになっちゃったけどそうじゃない!)
昨日の夕陽の満ちる空き教室での出来事がまるで嘘のようだった。時間軸を跳び越えてきたような錯覚に襲われるも、意志の力で我に返る。
(意識させるというか、心を開くのが先ってこと……? 難攻不落の城を攻略する前に侵攻ルートを確保する必要があるなんて……。なんてシビアな……)
もしかしたら、古き良きジャパニーズサムライこと戦国武将も同じことを考えていたのかもしれない。恋愛は戦だと誰かが言っていた気がするからきっとそうだ。とは言え、弱音を吐いてもいられない。
(それが山の頂にあろうと、大河に行く先を阻まれようと、己の手で切り拓くのみ!)
「あ、秋山君……!」
声をかけた瞬間、彼の肩が大きく跳ね、椅子がガタリと音を鳴らした。
(これはもしかして効果アリ?)
内心でガッツポーズを決めながら次なる一手で追い打ちをかける。
「ご飯一緒に食べても良いかな?」
「……どうぞ」
一瞥をくれることもなかったが、渚にとって、自分のアクションでここまで大きな反応を見せてくれたことが何よりもの収穫だった。澄ました振りをして、実は動揺していたのかもしれない。そう思うと、昨日の勇気が報われるようで、心の中にじんわりと熱いものが込み上げてくる。
(ああ、本当によくやった昨日の私。バトンは私が受け取ったから任せて!)
そして嬉々として彼の前列の席を借り、向かい合うように椅子を教室の後方に向けて腰掛け、同じ机に弁当を広げる。スペースは狭かったが、物理的な距離を縮めることで心の接近も図るという意図もあったため、平気だった。
先ほど渚は彼の弁当に注目していたが、それには訳があった。
彼女は自らの手で毎朝昼食を作っている。趣向を凝らすうちに、味、見た目ともに友人から称賛を受けるほどにまで成長したし、自身にもその自負があった。
(今共通の話題として会話を盛り上げるにはこれしかない!)
一年余りの努力はきっとこの時のためにあった。
そう感じ入り、自信と希望に満ち溢れた表情で蓋を開け、女子力のアピールに努めようとしたその時だった。彼女は気づいてしまった。
「ねえ秋山く……って寝てる⁉」
器用にも右手に箸を持ったまま、こくりこくりと頭を小さく揺らして目を閉じている秋山君の姿がそこにはあった。よく見ると目元には隈が浮かんでいる。
そして気づく。渚の声掛けに対する、彼の過剰なまでもの反応。それは過度の睡眠不足状態にある人間が、日中に居眠りしかけ、椅子を鳴らすほどに身体を震わせてしまう現象。知っている。授業で目立つアレである。
思わず叫んでいた。
「寝ビクだったのかよ!」
呼応するように身体をびくりとさせる秋山君。ポロリと右手から箸が抜け落ちて、床に落ちた。
(うわーん! もう私この人に何も期待しない!)
そんな渚の内心を知ってか知らずか、いやきっと知らないだろう、彼は目をごしごしと擦って大きな欠伸を一つ。本当に猫のようだった。
「あ、箸落ちてる……」
その瞬間、渚の脳が極めてエキセントリックかつデンジャラスな手段を弾き出した。それはまるで衝動だった。そして賭けでもある。多大なリスクと引き換えに、この詰みかけた盤面にどんでん返しをもたらすポテンシャルを秘めた勝負の一手。
何らかの理由で寝不足らしく、秋山君の思考は模糊としている。だからこその好機でもあった。判断能力が鈍っているうちは、人は思いがけない行動を起こすものである。
そう、彼は何かと警戒心が強いが、その障壁は今や無きに等しい。その牙城は深く荒む大河の向こう岸にあるかもしれないが、この瞬間だけは干ばつによって水かさが下がり、その防衛力を著しく削がれているのだ。
すなわち、『あ~ん作戦』。これを受ければ、さしもの秋山君もただでは済むまい。未来永劫その記憶に苛まれ、嫌でも渚を意識せざるを得なくなる。しかしそれは彼女も同じだった。
人を呪わば穴二つという言葉がある。人を呪い殺した者は、同様の結果を自らにももたらす。穴が二つ必要なのは、そういうことなのだ。毒杯を勧めた者は自らも毒杯をあおる。つまり、渚も同じく心に傷跡を残すことになるのだ。
悪魔に魂を売るか、否か。決断の時間は多くはなかった。
彼女とて、脳がおかしくなりそうだった。この刹那の時間に対して割に合わない思考量。判断力を失ってしまった人間は一人ではなかった。
彼女はほとんど無我の境地に達したような面持ちで、秋山君の弁当箱の片隅にあったウィンナーを箸で取った。そして一転、花咲くような満面の笑みを浮かべ、その言葉を口にした。
「ふふ。秋山君、あ~ん♡」
「……? あむ」
むぐむぐと咀嚼し、白飯と合わせようと思ったのか、右手を動かすも、何もない。
それは渚にとって金字塔とも呼べるほどの白星となり、そして、人生の汚点として封印すべき禁忌の記憶として残されることとなる。
今の今まで胡乱で理性の輝きが見えなかった瞳を大きく見開き、首から耳の先まで真っ赤に染め上げた秋山君。急いで床に落ちた箸を拾い上げ、逃げるように言葉を残す。
「あ、えっと、わ、お、僕は箸洗ってくるんで!」
凄まじい勢いで教室から退散する秋山君を見て、渚はどう思ったか。
勝利に感涙するか、はたまた己の愚かさを呪うか。
「やったあっ、勝った! 対ありいいいいいい!」
言いながら、彼女は昼休みが終わりを迎えるまで、小春の制止も聞かず、ガンガンとハンマーか何かのように頭を繰り返し机に打ちつけ続けたそうである。
さて、こっからどうすっかな。私は少し人の反応が知りたくなってきたところです。感想、ご意見の程、お待ちしております。
ところで、投稿時間ってやっぱりもっと早い方が良いのかしら。(現在2:13am)