彼の配信風景
何かここに書きたかったけど何にもなかった。
あれから早数時間。時というものは容赦なく、すっかり空は暗くなっていた。しかし、ベッドの上で三角座りをする渚の思考は無為な空転を続けて止まない。
アキラは秋山君なのか。
その至極単純な疑問は渚の貴重な二時間をあっさり奪ってしまうに足るものだった。
推しのライバーがいて、その中の人が同じ高校に通っており、そして好きになってしまうなどという馬鹿げたことがあっていい訳がない。確率的にあり得ない。しかし、だからこそ、運命的な何かを感じてしまうのが乙女の性というものだった。
「あーどうしよう! 結局何も伝えられなかったし談笑しただけだし!」
しばらくベッドの上で枕を抱えてじたばたしていたが、急にどこか悟ったような神妙な面持ちになる。この表情の変わりようには怪人二十面相もびっくりだろう。
「そういえば、ライヌ交換したよね……。直接聞けばいいのでは――いやいやそれはダメな気がする! もし人違いだったら変な風に思われちゃうかもだし」
それに、同一人物だったとしても文面でのコミュニケーションならいくらでも取り繕いようがある。というのが、渚の打算の混じった見立てだった。
平静を取り戻すと色々なものが見えてくる。
「というか、誰もいないところに呼び出されたらそういうシチュエーションを想像しちゃうものだよね、普通……。私は眼中にもないってことなのかなぁ」
やめだやめだ、と渚はベッドから飛び降りた。直接メッセージで真偽を尋ねるかは保留にして、自身の可能な範囲で情報を収集することにした。
差し当たっては今日の配信だった。時計を見るともう九時を回っていた。アキラの配信日は二日に一回、時間は大体十時から二時間程度。頃合いである。
秋山君が女の子と二人きりで会話している姿は今のところ見たことがない。少なからず衝撃を与えているのではないかという淡い希望を抱き、さっさと風呂に入ってしまおうと決めたその時、渚のスマホが低く唸りを挙げた。
「ひうっ! 何々誰から⁉」
ちょうどさっきライヌを交換した秋山君からだった。
考えることを嫌う渚の左右の脳が火を噴いた。車だったらきっとエンストを起こしている。
(何⁉ やっぱり手紙で呼び出しっていうのはベタすぎたのかな……? 本当は気づいていたりして……)
期待と不安が入り交じる。しかし、特別なことは何もなく、ただ『よろしくお願いします』とだけ記されていた。
転じて失望と安堵。雨に敗北したてるてる坊主のような哀愁を漂わせながらぐったりと項垂れている様子を見るに、前者が勝っているようだ
「はあ、私が馬鹿みたいだよお……」
ブルーな気持ちに反して、送り返した文面は可愛らしい絵文字に彩られ、スタンプも踊っている。何気ないが、これがフェイストゥーフェイスでないやり取りが秘める恐ろしさである。
スマートフォンの前で正座待機を敢行する渚。しかし、一分が経ち、十分が経ち、三十分が経ち。うんともすんとも言わないスマホに業を煮やして彼女は叫んだ。
「返信こないし! 秋山君全然読めない!」
ついにスマホを放り出して風呂場へと急ぐのだった。
雨宮渚は誰かの配信を見る時は専らPCを用いる。すでに準備は万端だった。だが、今日はただ受動的に楽しんでいるだけではいけない。何かボロが出ていないか逃すまいとヘッドホンに意識を集中した。
待機画面が消えてアニメ絵の配信者が登場する。
『はい、今日はタイトルにもあるように、重い腰を上げてホラゲをやります……。というかお前ら俺が怖がってんの見て笑うとか趣味悪いんだよ!』
とは言いながら、芸人気質を兼ね備えたアキラは定期的にホラーゲームの配信を行っている。何度繰り返しても悲鳴が絶えないのが彼の特徴だ。
チャットが弾む。
渚は、アキラの配信の雰囲気は良いと感じていた。アンチはそれほど見ないし、チャットで視聴者同士の喧嘩が起こることもない。純粋に彼の人柄を楽しんでいる者たちばかりだ。
ホラーゲームになると、視聴者が配信者にちょっかいを出すようになるのも恒例の流れだった。
『うひゃあッ……しんだわ。おい誰だミスリードしたやつ怒ってやるから出てきなさい。……みんなして手を挙げるんじゃあない! 見てたぞ、右に曲がったら何かもらえるとか吹かしたやつは一人だったぞ。俺はお前を信じてたんだからな!』
ナイスぅ! とコメント。視聴者に翻弄される姿には嗜虐心と庇護欲がそそられて自然と笑みがこぼれる。同じ感情を抱く者は少なくない。チャット民の結束がそれを物語っている。この一体感もライブ配信の醍醐味だ。
そして楽しい時間は刻々と過ぎ去っていき。
『今日はこんなもんにしときましょう。ゲームするだけの配信に時間割いてくれてありがとう! サヨナラ!』
気づけば終わっていた。
「ちがうの! こんなはずじゃなかったのおおおおおおおおおっ!」
深夜の自室で自らの愚かしさを悔やみ叫んでいると、隣の部屋からの壁ドンが響いた。
『うっせえ!』
「ひいっごめんなさい!」
配信からボロを暴こうとするやり方は間違っていたようである。というか土台無理な話だったのだ。
「そう、私は何よりも彼の配信を楽しむ義務があるのだから……!」
彼女は後光すら差すような清々しい笑顔で涙を流した。