第九十六話
次いで聴こえてきたのは先の二人よりも低く何処か心地よさを感じる低い男の声だった。
『来るのが遅くなってすまない。
少し忙しくてな…………いや、これは只の言い訳だな』
だが聴こえてきたその声が溢した言葉は疲れが滲み出ているようだった。
覇気もなく、蝋が殆ど溶けて今にも消えてしまいそうな灯火を連想させる声に何とも言えない感覚が胸を焦がす。
『このバスケット……_____か。
このクッキーは私も食べたが日に日に美味くなっていっているぞ。
こっちの花は___だな。
この前は花の種を貰ったらしくてな、その花が咲いたらお前に見せるんだと張り切っていた』
恐らく先の二人の名前を言ったのだろう男の言葉は、ノイズが走ったような音で遮られ聞き取る事は出来なかった。
顔も名前も思い出せないが、男の言葉でルイーナの脳裏に浮かび上がったのは自身の両手をひき走る少年と少女の後ろ姿だった。
色の無いモノクロで映し出されたその光景は、例え色がなくとも己の心を揺さぶるには充分過ぎるものだった。
早くこの声の主を思い出したい。
早く今も自身の心を揺さぶり訴えかけてくる二人の名を呼びたい。叫びたい。
思い出したいという想いが強くなる。
今にも張り裂けそうな胸を抑え、ルイーナは聴こえてくる声だけに耳を研ぎ澄まさせた。
『すまない。
私は護ってやることも、出来なかった……。
_____家当主としても、お前達の__としても、何もしてやれなかったッ……』
何でそんな事を言うんだ。
俺はきっと貴方に救われていた。
不器用ながらも手を差し伸べてくれる貴方に、確かに救われていたと思うんだ。
だって、俺はこんなに貴方に会いたいと願ってる。
謝るのは俺の方だし、何もしてやれなかったなんて言わないでよ。
覚えてない。覚えてないけれど、何もしてないなんてことはない。
だって、人は自分のに何もしない興味の無い人のことなんて覚えていないし、すぐに忘れるものだ。
だけど俺は、記憶はなくともこの心は覚えているんだ。
貴方への感謝を。
貴方の優しさを。
貴方が愛し支えてくれた事を。
俺の心は覚えている。
貴方が悲しむと、哀しいと思うと俺は貴方を笑顔にしたいと思うんだ。
先の二人にも感じた想いを貴方にも感じるんだ。
貴方が本当に酷い人ならば、俺は貴方を思い出したいと思うことも、あの子達と同じ想いを貴方に感じる事も無いはずでしょう?
『お前は私の自慢の__だ。
そんな息子に恥じぬよう、__としても当主としてもちゃんとしないといけないな』
…………ほら、やっぱり優しいじゃないか。
大人は大人になるに連れて言葉を出すことが出来なくなってしまう。
社会に出て責任という重りが伸し掛かり、今まで出来ていたことも何も上手く出来なくなる。
上司の顔色を伺って、同僚にも気を使って上手く動かなければならなくなる。
歳が上というだけで、少し長く生きているだけでマウントを取ってくる奴もいる。
年上だから自身よりも立場が上だからと、理不尽に感じてしまう社会が大人になれば嫌でも見えてしまう。実感してしまう。
社会の荒波に揉まれて、呑み込まれて下手なことを言わないようにと口を閉ざす。
そして少なからず自身も無意識の内にその社会に染まってしまうのは、避けられないこの世の性だろうなと俺は思っている。
だから、俺は貴方を尊敬しているんだ。
子供だからと言う言葉で区切ること無く、一人の人間として目線を合わせて話す貴方を。
貴方という個を失うこと無く保ち、相手をただ見て判断するのではなく相手を知ろうとする貴方の姿勢を。
自身の否を認め、次に活かす事の出来る貴方を何故嫌う事ができようか。
もう少し、後もう少しだけ待っていて。
後少しで思い出せそうなんだ。
二人の事も貴方の事も。
俺の大切で愛しい護りたい皆のことを。




