第八十話
セルペンテの怒涛とも言える攻撃の数々は、着実に少女の体力を消耗させその身体に多数の傷を与えていた。
「くっそッ……」
少女は焦っていた。
普通の人間では無くなったこの身体はたかがナイフで傷つけられたくらいではすぐにその驚異的なまでの回復力、自己再生力によって瞬時に治る。
治るはずなのに、回復が追いついていないのだ。
「何で!!」
「どうしたぁ〜?動きが鈍ってんぞぉ〜」
先の少女よりも高らかに、それでいて仮にも神を信仰していた者とは思えない程に悪魔を彷彿とさせる嘲笑い声が周囲に響き渡る。
元いた場所から腹を蹴られ吹き飛ばされた少女は、今度は自身が壁に叩き付けられ瓦礫の中に埋もれる事となった。
「狂人めッ……」
「アハッ、褒め言葉だなぁ?」
靴音を鳴らしゆっくりと近付いてくるセルペンテに、少女は付けられた無数の傷を庇いながら立ち上がった。
先程まで地に転がされ傷だらけで血に塗れていたのは目の前での男であったはずなのに、何故人よりも強靭な肉体に生命力も回復力も勝っている筈の己が、狩られるだけの無力な人間にこうも傷を付けられているのか、追い込まれているのか。
「お前、一人じゃあないよなぁ?
他の奴は何処にいる?」
「言うわけないじゃ〜ん、馬鹿なの?」
「お前が死ぬことに変わりはないが、お仲間に死んだお前の肉でもせめて手向けに渡してやろうと思ってなぁ」
そう言って壁にナイフの刃先を当て火花を散らしながら、男は少女目掛けて瞬時に詰め寄った。
己の喉を切り裂き赤い華を散らさんと迫りくるナイフを顔を背後に引くことで躱す。
時間が経つ事に速くなるセルペンテに舌打ちをした少女は、背後に跳躍し距離をとった。
「この姿はあんま好きじゃないんだけど……」
少女が何処からともなく取り出したのは、黒い何かの珠だった。
少女はその珠を自身の口元に運び____そして呑み込んだ。
「____ァ」
仰け反る様に天を見上げた少女の唇から熱を孕んだ吐息が零される。
黄金色の瞳孔が萎縮し、震える身体を両腕で掻き抱く少女。
無防備なまでにその姿を晒す少女目掛けて振り下ろされたナイフは、少女を傷付けることはなかった。
少女の背から、その体格に合わない片翼を追うように大翼がその肉を破って生まれた。
変化はそれだけに留まらず、その手も脚も大きく奇怪な肉の音と共に少女はその姿を本当の『怪物』へと変貌させた。
「…………ワァオ、切り裂きがいがありそうじゃないか」
見上げるほどの体躯へと変貌した少女にセルペンテは楽しげに言葉を溢した。
少女の面影を残しつつ、身体の殆どを青みがかった鱗に覆われ、荒れ狂う長髪はその髪自体が意思を持っているかのように蠢いている。
その身体の半分以上の大きさを持つ鱗に覆われた太く巨大な尾は地面を刳り、軽く打ち鳴らされただけで重い地響きが空気を震わせた。
正真正銘の怪物が、セルペンテの前に立っていた。
土煙を巻き上げながら周囲の壁を破壊しながら横薙ぎに振るわれた尾を、両の手で握り締めたナイフを交差させ防ぐ。
獣性を帯びた咆哮と共に次いで遅い来る人の命を簡単に刈り取ることのできる爪牙がセルペンテの左足を切り付ける。
『ごのすがだヴァ、ガワいグないガら、ギらいナンダョオ……』
うめき声と共に零されたその声は、とても元人間だったとは到底思えないものだった。
怪物の咆哮。
地を震わせる振動。
渦巻く濃厚な死の気配。
そこに混ざる、狂気に塗れた嘲笑い声。
何とも異質。
何とも異端。
余りにも常識という概念からかけ離れたもの。
土煙が舞い上がり、血飛沫が飛び小さくも確かな赤い華を地面に咲かせる。
互いに傷つき傷つけ合いながらも、その動きは止まることを知らないとでも言うように周囲を巻き込んでいく。
____だがそれは、セルペンテと怪物となった少女の遥か頭上から零された声に唐突に終わりを告げた。
「何を遊んでいる」
『ぬジざま……』
何もない空中にまるで道でもあるかのように平然と立つフードを目深に被った男が、そう声を落とした。
そして言葉と同時に少女とセルペンテを離すかのように落とされた落雷に、二人はそれぞれ背後に飛び退った。
少女が主様と呼びかけたそのフードの男を仰ぎ見たセルペンテは、その男が小脇に抱えた人物に目を見開いた。
気を失っているのかぐったりと投げ出された四肢。
風に揺れる髪から覗くその顔立ちの少年を、セルペンテは良く知っていた。
主が護りたいと願い宝物だと言っていた家族の一人。
「アルバ様ッ?!」
アルバ・ファウストその人が、敵の手中に墜ちていた。




