第三十三話
〜ジェラルド・アーテル〜
食事をしてきますと言って子供らしくない子供は部屋を出ていった。
自身の弟妹を『愛してる』と言った時の彼の顔は慈愛に溢れその言葉も想いも本心なのだと伝えてきた。
だが、それと同時に危うくもあった。
恐らく本人は気付いていないだろう。
『愛しているから』と言った時の橙色の瞳には確かな覚悟の炎が灯っていたが、その奥。
覚悟の炎によっておとされた影の中に、悲しみや恐怖といった感情の色が浮かんでいたことを。
自分を殺したくないと、あの夜子供は泣いていた。
誰に縋るでもなく、ただ独りでその苦痛に耐えようと受け入れようと震える身体を抱きしめ泣いていた。
いっその事、あの時に声を出して泣いてくれていればよかったのにと思う。
そうすれば扉の奥で聴いていた己はその小さな身体を抱きしめ側にいてやれたのに。
だが必死に自身の内側に全てを抑え込もうと涙する子供の元に出てしまえば、彼の覚悟を全て否定してしまう。
そうなれば何も分かっていないあの子供はまたあの笑みを浮かべどうしたのかと己に問うのだろう。
彼は顔に笑みを浮かべたその裏で何時も泣いている。
優しく慈しみに溢れた姿は極稀に見る聖人のようで。
弟妹の頭を撫で子守唄を歌いその琥珀の様な美しいアンバーの瞳で愛おしいのだと語りながら子をあやす姿は教会で見た聖母の様にも見えた。
だからこそ彼は脆い。
その情の深さ故にいつか彼の心は壊れてしまうだろう。
この間のファウスト家の襲撃があった時もそうだ。
彼は怒りに任せて剣を振るい魔法を使用した。
俺達に指示を出すのにも迷いはなかったが、危ういと思っていたそれがその日より一層危うさを増した。
彼は怒りやそれに準ずる感情を余り表に出さない。
出したとしてもそれは小動物の威嚇のような可愛らしいものでしか無かったし、何より相手を想ってのものだった。
彼の内には自身の護るべき者達と護る対象ではない者達とで明らかな線引があった。
それ以外にも彼の引いた線はあるが、彼は自身の内側にあるその対象に何かしらの悪意ある手が伸ばされれば、その伸ばしてきた相手を誰であろうと地獄に叩き落とす位の明確なものがあった。少なくとも俺はそう思っていた。
だからあの日の騎士たる己でさえも跪きそうな圧倒的な怒りと、それこそ王者のような威圧感を放つ彼が敵を生かすとは夢にも思っていなかった。
怒りに染まりながらも敵にさえもその慈愛を瞳に乗せ生かす姿が、何よりも危うくそしてそれと同時に恐怖した。
このままでは彼は、ルイーナ・ファウストは壊れると確信した。
彼はその手を朱に染めるべき者ではない。
誰かを愛し誰かに愛される立場の人だ。
血生臭く泥や見るに堪えない陰謀渦巻くこちら側の世界にはいてはいけない存在だ。
だが無慈悲にも彼に下された誓約は彼自身の存在を真っ向から否定するようなものだった。
心優しいと言うには優しすぎる子供に、兄であろうと必死に前に立つ子供に、今度は国の為にあれなどど……。
例え考えや行動が大人びていても彼はまだ子供なのだ。
その小さな背に背負うには、それらは重すぎる。
「なんだかなぁ~……」
部屋の主がいないことを良いことに彼のベットに倒れ込めば優秀な右腕であるロベルト・テネブラエが飲み終わったカップや食べ終えたクッキーの乗っていた皿などを片付けているのが目に入った。
「何故今になって、陛下は陰を望んだんでしょうか」
「駒が欲しかったんだよ。優秀で絶対に国を裏切らない従順な駒が」
だから家族という枷を嵌めてまであの子を手元に置こうとした。
他にも何かしらの思惑がありそうだが、あの子供にとっては何よりも重く千切れない枷だ。
「あの子は分かってないんだよ。自分のあり方がどれだけ危ういのか」
愛していると言うくせに、自分がどれだけ周囲に影響を与え救われているのか自覚していない。
迷い苦しんでいる者には躊躇いなく掴んで救うくせに、自分に伸ばされた手を掴むところか伸ばされたことにも気付かない。
独りが嫌だと泣くくせに独りでいようとする。
俺やノックスの名前を頑なに呼ばないのも、これ以上関わりを保たないように情が沸かないようにするための線引き。
だがそれももう遅い。
彼と関わり彼に救われたものは彼を手放す気はないだろう。
その優しさや甘さを向けられ一度受け入れられてしまえば、琥珀の様に美しい瞳に魅入られてしまう。
その危うさ故に護られる対象としてではなく、共に歩み支え合える対等の存在になりたいと願い行動するだろう。
「そろそろ動くか」
「何ですか?」
「んー、兎狩り?」
「……もう少し言い方というものがあるでしょう。
それに兎って…」
「だってほら、兎は寂しいと死んじゃうって言うでしょう?」
忠告はした。それでも自覚しない悪い子にはお仕置きしないとね。
それに自覚してもらわないと、こちらとしても動きづらい。
彼は人の上に立てる。けれど彼はそれを望まないだろう。
けれども彼以外では考えられないのだ。
どうしたって彼の内に燃え上がる炎も隠そうとする弱さすらも愛おしい。
この計画は実行すれば彼を追い詰めるだろう。
ならばそれ以上に、彼が幸福だと思える様にすれば良い。
頼ることを知らない子供に、自分も護られる対象である事を自覚しない子供にそれらを教えるのも大人の役目だ。
「準備は出来てるからね〜」
「………彼も災難ですね。貴方に目を付けられたのだから」
「それ君が言うの?俺より先に彼に惹かれて支えたいと思っていた君が?」
「………言いましたっけ?そんな事」
「だって彼、君の好みドンピシャだろう?それに色々だだ漏れだったよ〜」
「好みって…、変な言い方はやめて下さい。
ただ単純にそのあり方が好き……じゃなくて尊敬できるというだけです」
「そういう事にしといてあげよう」
雲行きも危うくなってきたし、計画を早めて動き出さないと取り返しの付かない事になるかもしれない。
国を騒がせていた連中が大人しいのが、嵐の前の静けさのように思えてならない。
コツコツと聞き慣れたこの部屋の主である子供の足音が近づいてきた。
また彼は笑顔の仮面を付けているのだろう。
何時の日かその仮面が剥がれ、彼本来の顔を見せて欲しい。




