第百五十四話
その日の夕方は勝手にいなくなったことへの説明等をしなければならないと覚悟していたが、想定していた事態になることはなかった。
「お兄様!」
「ルーチェ、その急に居なくなってごめん………」
「お兄様、何を言ってるんですか?」
「へ?」
「お父様から呼ばれて先に屋敷に戻ると言っていたではありませんか」
「そ、そうだったかな?」
「ふふ、変なお兄様。
そろそろお父様もアルバも来ますから、お兄様も座って下さい」
「あ、あぁ……」
ルーチェに背を押され、母に手を振られ厨房を出る。
その姿を微笑ましそうに見る使用人達の暖かな目に晒されながら大人しく食卓の席に付いた。
グラスに水を注いでくれた使用人の一人に礼を言いながら考える。
あの時はただ我武者羅に、兎に角その場所から離れたくて必死であった。
そして辿り着いたあの場所で眠ってからは精鋭の彼に部屋まで運んでもらった。
無難に考えて精鋭の彼が手を回したのだろうが、そうなるとルーチェの事が不可解だ。
俺が言ったと彼女はそう言った。
精鋭の彼が何らかの連絡をしたのであれば聞いたと言うはずだ。
「(………あ、精鋭さんの魔法)」
一度だけ見せてもらった彼の魔法。
自身の姿を変化させる魔法。
もしもその魔法が姿だけでなく声おも変える事が出来るのなら話は違う。
声と姿を変えたのであれば、後は口調や仕草を似せれば偽ることは可能だろう。
長時間でなく、ただ一言二言話すくらいであれば家族であろうと気づかれる可能性は低い。
その考えが脳裏を過ぎり納得し、知らず止めていた息を吐き出した。
今思えば精鋭の彼の魔法は恐ろしい。
使い所を変えれば如何様にでも戦況を変えることが出来るだろう。
陰である己よりも陰らしい能力とも言える。
敵の懐に潜り込み暗躍も可能だ。
そして今回のような事態が起きても対処が可能ときた。
本当に、羨ましい能力だ。
試しに彼の魔法を真似てみようとしたことがあったが、どれだけ魔力量があっても魔力コントロール能力に優れていようとも無理だと言う事しか分からなかった。
己の全てを他者へと変化させるということは其れ程までに難しいのだ。
例え数分数秒だとしても不快感が体中を這い回り変化させようとした箇所から段々と塗り替えられ自身の体だと認識が出来なくなっていく。
その不快感に耐えながら演じなければならないとなれば、それら全てに耐え表に出さないようにしなければならない。
到底、己には出来ぬ芸当であった。
改めて精鋭の彼の凄さと彼がこちらの共犯者で合って良かったと安堵する。
彼が自身を利用しておらず善意で手を貸してくれている存在であったならばと考えるとゾッとする。
善意で側にいるのであれば今後の行動に支障が出る。
そして裏で動いていたとしてもその時に会った人物が本当にその相手なのか、周囲にいる人間が精鋭の彼なんじゃないかと怯えて動くに動けなかったかも知れないのだから。
その点に関しては彼をこちらに引き入れたのは正解であったと言えるだろう。
「兄様?何かありましたか」
「何でも無いよアルバ」
「そうですか………?」
「あぁ。それにしても、今日の夕飯も美味しそうだね」
「お母様とお兄様に頂いたレシピで作ったんです。
自信作ですよ!」
「この前、貴方これ美味しいと言ってくれたでしょう?
今日はもっと美味しく出来たと思いますよ」
「そうか……、今日も美味しそうだな」
貴族にしては珍しく使用人達と一緒に料理を作る母と妹はすっかりハマってしまったようだ。
日に日に腕を上げていき、今ではすっかり俺よりも手際が良いといえようレベルだ。
母は仕事に追われる中でも時間を作り必ず夕飯は家族全員で取ってくれる父の疲れが取れるように料理にアレンジを加えて父の好み且つ栄養面の考えた料理を作っているくらいだ。
良い家族に恵まれ、最初の頃には考えられなかった光景が眩しい。
この家族を護りたいと思う。そのために、己は存在しているのだと想わせられる。
それに不満はなく、寧ろこの愛しい家族を護れるのであれば本望だ。
「それじゃあ、冷めない内に頂きましょう」
料理に手をつけ皆で談笑とともに食べ始める。
食べた料理は、とても温かかった。
_________味が、分からなかった。