第百四十二話
何も返答がないことが、何よりの答えであった。
ルイーナの護るべきものの中に、彼自身は存在しないのだと。
覗き込んだ瞳には決してその考えを変えないという断固たる意志と、その奥に仄暗い闇が見えた気がした。
長い付き合いの中で、ルイーナ・ファウストという人間の意志の強さは嫌というほど見てきた。
彼と友になって初めて怪我をしてきた彼を見て焦る此方に、ルイーナは何故自分が心配されているのか分からないと言う様に大怪我とも言える傷を負っても顔色一つ変えはしなかったのだ。
何故?と何も知らない純真な幼子の様に。
ソレは恐ろしくもあり、何より悲しかった。
ファウスト夫妻とルイーナの間には壁があった。
何時もぼんやりとしていて、その身に宿した膨大な魔力に蝕まれていっても彼は何も感じていないようであった。
時が経ってルイーナは笑顔を見せるようになった。
ファウスト夫妻との間にあった溝も埋まり、弟と妹を愛しているのだと友である己のことも大切だと表に出して言うようになった。
だがふとした時に、彼はあのぼんやりとした表情を見せる。
ソレは彼が自身の家族を遠くから眺めている時であったりと、独りでいる時にしていた。
そして今この時も、ルイーナは心配を掛けてしまっていることを理解はしていても考えを改めようとはしてくれていなかった。
「護りたいんだ。また失いたくない。
俺は、そのためにここにいるから………」
絞り出したかのようにか細い声だった。
ルイーナが護りたいと失いたくないんだと言う時、彼はここではない何処か遠くを見ている。
彼の目に写っているのは己の筈なのに、彼の瞳は此方を見ていないガラス玉のようだった。
「助けられた者が、傷付いたお前を見て苦しまないとでも?
助けられて、あぁ良かったって思えると…本気で思ってるのか?」
「例え恨まれても憎まれても、俺は大切な人達には生きて欲しい。
生きて、幸せになって欲しい」
記憶は何時か薄れて、時間が経てば人は前を向いて歩いていける。だから……と言葉を続けるルイーナ。
酷い奴だと思う。
彼は自分の周囲の人間が悲しむことを理解している。
だがそれでも、彼は彼自身を護ろうとはしてくれなのだ。
「これは俺のエゴだと、自己満足だと言うのは分かってる。
でも、それでもその方法しか俺は知らないから、それでしか護ることが出来ないんだ。
分かってくれとは言わない。
でも、俺はもう引き返せないんだ」
出会う前の彼に何があったのかは知らない。
だがもう引き返せないと言うのであれば、差し伸べられた手を取らずに独り闇へと進み行くのであれば、自分に助けられるような価値が無いと言うのであれば………。
誰かを救うことに命を賭けるのであれば
「なら、俺も連れて行け」
驚きに目を見開くルイーナに、逃すまいといっそう距離を詰める。
その瞳が逸らされないように、己の言葉とその意志を知らしめるように。
「引き返せないなら、俺が連れ戻す。
自分を大切に出来ないなら、お前が救うことしか出来ないのなら、俺がお前をただの人にしてやる。
護るだけじゃない、自分も護られるべきなんだって嫌でも分からせてやる」
救うことしか護ることしか知らないと言うのであれば、立ち止まること無く進み行くのであればソレに着いていけばいい。
独りが恐ろしいのだと、大切な友が涙を流さないように側にいればいい。
「これは俺のエゴで自己満足だ。
ソレを他でもないお前が、ルイーナが否定なんて出来ないだろ?」
それは、でも…と口籠りつつも繰り返すルイーナ。
俺のこれを否定すれば、ソレはルイーナ自身の言葉も否定することになる。
「お前は俺達と同じただの人間なんだって思い知れ」
未だ困惑するルイーナから手を離し、レオーネはニヤリと笑ってみせた。