第百二十七話
失礼しましたと学園長室の扉を閉め、暫くの間人気のない廊下を進んで行く。
自身の靴音だけが響く廊下を歩いていたルイーナだったが、外から聞こえてきた笑い声に立ち止まり窓の外を覗き込んだ。
外では大勢の生徒が楽しそうに笑い合っていた。
その普通で在り来りなその光景はルイーナにとって眩しくもあり同時に懐かしいものでもあった。
前の世界でも学校には通っていた。
だが記憶にあるのは幼い頃のものよりも、警察学校での記憶の方が色濃く残っていた。
当時の己には余裕なんてものは無く頭にあったのは犯罪者を、両親を襲った奴を絶対にこの手で捕まえ自身のしでかした事を後悔させてやるという思いだけだった。
ひたすらにそして我武者羅に知識を頭に詰め込み体を鍛え護身術だけでなく様々な武術を身に着けた。
友達なんて出来るわけもなく、心許せる友人なんて以ての外。
授業や訓練でペアになることはあれど、休日中もまるで何かに取り憑かれているかのように机に向かい、またはトレーニングしかし無い愛想も良くない自分に、初めは声を掛けてくれていた者達も気味悪がって次第に離れていった。
『お前凄いな!』
そんな中でどれだけ無視してもめげずに声を掛け続けてくる奴がいた。
『それってどうやってるんだ?』
『筋肉凄いな!俺も同じのやってみようかな』
『この間のテスト満点だったんだってな!俺もお前に負けないようにもっと頑張らないといけないなぁ』
一度だけペアになっただけの奴だった。
愛想もよく常に側には誰かがいるような奴だった。
ただの同情かそれとも警察官を目指す者だからこその正義感からか。
男は毎日のように話しかけてきた。
『なんであんな奴に構うんだよ』
『確かに成績は良いだろうけど、あんな愛想も良くない根暗なんて相手にしないほうが良いぜ?』
『そうそう。それに聴いたか?彼奴の親の話。
強盗に襲われて意識不明なんだってさ。
警察目指してんのも犯人に復讐だーとか寒い理由だろうぜ多分』
『うわ寒ッ!なれたとしても犯人殺して彼奴も犯罪者になるんじゃないか?』
『そうなれば彼奴を捕まえて俺らの株を上げればいいだろ』
そんな日々が続く中で偶然そんな会話が聞こえてきた。
好き勝手言ってはゲラゲラと嘲笑う連中の中心にはあの男もいた。
こちらの気も知らないで宣う連中に、俺は物陰に身を潜めるしか無かった。
どうせ男も連中の言葉に頷くのだろうと思った。
言って嘲笑うのだろうと思った。
こんな面倒くさい己に構うなんてそれこそただの物好きな奴か馬鹿しかいないだろうから。
『なんで?』
でも男は、彼は連中の言葉を肯定するでもなく意味がわからないと首を傾げてそう問いかけたのだ。
『なんでそう言い切れるの?』
『なんでって。話聴いてただろ?』
『聴いてたよ?でも意味がわかんないんだよね。
家族が襲われてその犯人を見つけようとすることの何がいけないの?』
『いや、復讐とか親が襲われたからって……そんなの寒いだろ?』
『普通のことじゃない?
それにさ、一生懸命努力してる人を影で嘲笑うことしか出来ない君達よりは尊敬できるよ』
その言葉に、湧き上がってきた感情の名前を俺は未だに知らないでいる。
嬉しいと言うには何かが足りなくて、悔しいとも哀しいとも違う。
彼の言葉に連中は腹を立てたのかドタバタと足音を立てて何処かに走っていった。
『今日のテスト難しかったなぁ〜。
これどう解くんだよ………』
『………ここ』
『ん?
ってあぁ!そういうことか!!』
やっぱり凄いな!と屈託なく笑う彼。
初めて話したなと笑ってこれも教えてくれないかと言う彼に教えつつ俺も聞きたかったことを聴いてみた。
『なんで俺なんかに構うんだ』
『なんでって、俺が仲良くなりたいから』
周りのことも過去のことも関係ない。
ただ俺個人と仲良くなりたいのだと言う彼の言葉には嘘なんて感じられなかった。
その日から俺は彼とペアを組むようになった。
毎日やっていた事も彼と一緒なら苦では無かった。
何なら話を聞いてくれたり更に効率の良いトレーニング等を探してやったりと心に余裕が持てた。
そして共に警察学校を卒業して警察官になっても彼との交流は続いた。
………最後はどうなってしまったかは分からないけれど、確かに彼の存在に救われていた。
どうせならまだ共にいきたかったし、馬鹿みたいに遊んでみたかった。
ありがとうと伝えたかった。
「会いたい…………なんてな」
「お兄様ー!」
小さく呟いた声は誰に聞かれるでもなく空気に溶けていった。
そして掛けられた己を呼ぶ声に、ルイーナは窓を覗いていた顔を上げ声の方へと顔を向けた。
声の聞こえた先には片手を振り帯びかけるルーチェよりかは控えめに手を振るアルバの姿があった。
自分を呼ぶ愛しい弟妹の元へと軽く手を振り足早に駆け寄った。
その途中に女子生徒の集団の横を通り抜けようとして_____
「お兄さん……?」
女子生徒の集団の中から出てきた誰かに手を掴まれた。
「やっぱりお兄さんだ」
喜色に満ちた声だった。
掴んだ手は離すまいと縋るようだった。
左手を掴むその手の先をゆっくりと辿っていけば、今にも泣きそうな蒼い目と目が合った。