第百八話
「ル”イ”ーナ”ざま”ぁぁぁぁぁあ!!!」
「うわぁお、こんな熱烈なハグは初めてだよ………」
「じんばいじたんですがらね”ッッ?!」
「心配掛けてすみません」
二人に案内されて入ったパン屋、その店内に入るや否やルイーナの姿を見て涙やらんやらを垂れ流しながら走り寄ってきた男性に抱き締められていた。
「アンドレア、ルイーナ様がお困りですよ?」
「だっでぇぇぇぇえ………」
アンドレア、と呼ばれた男はルイーナに抱きついたまま声を掛けた女性を振り返る。
それでも離れようとしないアンドレアを引っ付けながら、三人は女性に案内され店の奥へと入った。
「お久し振りですカルロッタさん。
この度はご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございますルイーナ様。
お体の方は大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
「結婚なされた事は聴きましたが、新しくお店を初めたんですね」
「はい。あの店は元は父が離れている間の代役で運営していたものでしたので」
パン屋に入った途端に抱き着かれたルイーナだったが、ここまでの包容ほどではないが彼に抱き着かれるのは何も初めてでは無かった。
アンドレアとルイーナが出逢ったのは偶然だった。
『そこのお兄さん方、何をしているんですか?』
日用品の買い出しに出ていたアンドレアは、運悪くガラの悪い連中に絡まれていた。
ガタイは大きいが気が弱く、何時も身を小さく丸め歩いていたのをいいカモだと目を付けられたのだ。
狭く薄暗い路地裏に追い込まれ囲まれてしまえば逃げ場などない。
ニヤニヤと嘲笑う連中に涙目になりながら、もう素直に金を出してしまおうかと震えていた。
そんな時に声を掛けてきたのがルイーナだった。
『友人……お友達、というわけでもありませんよね?』
『んだよニイチャン、アンタがこいつの代わりに相手してくれんの?』
『こっちの方が金持ってそうだな』
『身なりも良いしどっかの坊っちゃんじゃないか?』
逆光によって顔は良く見えなかったが、声からして自身より年下であることが伺えた。
やめろと叫びたかった。
だが体は恐怖に震え声が出なかった。
『俺らちょーっと困ってんだよね。だからさぁ………』
連中の一人が手を伸ばす。
ごめんなさい。僕に関わったから彼は巻き込まれた。
僕なんかがいるから、彼は不幸な目にあうのだ。
消えてしまいたい。周りの人を不幸にするなんて、死んでしまいたい………。
『触るな』
何かを叩く音が響いた。
いや、何かなんて分かっている。
ハッキリとこの目で見たのだから。
_____伸ばされた手を弾いた彼の姿を………。
『君は誘い方を勉強したほうが良いんじゃないかな?
そんな誘い方では誰も相手などしてはくれないさ』
『ッこの餓鬼………調子に乗ってんじゃねぇぞ!?』
手を弾かれた男が、今度は握りしめた拳を彼に振り翳した。
これから起こるであろう事に思わず目を瞑った暗闇の中、鈍い音と重い何かが倒れる音そして地面を踏み鳴らす足音が聴こえてきた。
怖くて、目だけでなく耳も両手で抑えた。
何も見たくない。
何も聴きたくない。
何も感じなさたくない。
早くこの場所から、時間から開放されたいという一心で暗闇の中そう祈り続けた。
そして不意に、自身の肩に温かな何かが触れた。
その温かな何かは、数回肩を壊れ物を扱うかのように軽く触れた後に離れていってしまった。
触れられた肩から温かさがジワリと冷え切っていた身体に染み渡っていくようだった。
離れていってしまったソレが知りたくて瞑っていた目を開き塞いでいた耳から手を離す。
何時の間にか恐怖は消え、体の震えも収まっていた。
『もう大丈夫ですよ』
目の前には柔らかく微笑む彼がいた。
怪我は無いか、怖い思いをさせてすみませんと青年のせいではないのに謝る彼の声は何処までも澄みきっていた。
『あっ……』
その笑みに緊張が解れたのか安心したのか、後から後からこぼれ落ちる涙。
止めようと思えば思うほど溢れるそれをどうにかしようとしていると、目の前にいた彼は持っていたハンカチを目に当て涙を拭ってくれた。
綺麗なハンカチが勿体ないだとか、地面についた膝が汚れてしまうだとか考えても涙は止まらない。
『大丈夫』
自身の手を取り安心させるように温かさを分け与えてくれる彼。
いけないと分かっていても、混乱していた自身の体は知らず知らずの内にその温かさを求めてしまった。
嗚咽を溢し涙を流す自身を抱き締め返してくれた彼に連中のように拒絶されなかったことへの安心感と多少の優越感。
そして何よりその陽だまりの様な温かさに包まれた事でより涙腺が刺激され流れる涙が止まるまで、彼は何も言わず温もりを与えてくれた。