第百五話
「美味しかったぁ………」
蕩けた恍惚然とした表情でそう言葉を溢すルイーナに、彼の隣を歩く青年は小さく笑みを溢した。
自分の紹介した店は日中は人も殆どいないため、今後彼の息抜きの場として使えるだろうと思い紹介したが正解だったようで安心した。
「そう言えばルイーナ様は約束が好きなんですか?」
「約束って……もしかしてさっきの事?」
「もしかしなくてもそうですね。
約束が好きって割にはボスに女神祭を案内するっていう約束の時はそんな顔しなかったなぁと………。
って、別に責めてる訳じゃないんですよ?ただ純粋に疑問に思っただけで………」
ふと脳裏に浮かんだ疑問を口に出して、しまったと青年は自身の口を片手で抑えた。
だが、一度声に出して吐き出された言葉を取り消すことなど出来るはずもなく………。
自身の言葉に、その場で歩みを止めてしまったルイーナへと振り返った。
折角の楽しい気分を台無しにしてしまっただろう。
「え……?」
だがそう思い振り返った先で、自身の予想とは真逆のルイーナの姿があり青年は目を瞬かせた。
哀しいか怒りか、それに近しい表情を浮かべていると思っていたのに、ルイーナの表情はそのどれにも該当しない。
強いて言うのであれば、恥ずかしい……というのが一番近いのかもしれない。
「ルイーナ様……?」
「あの……なん、えっと……」
これがデジャヴか?と思い浮かんだソレを追い払い、顔を赤くさせたルイーナへと青年が一歩近付けば、逆にルイーナの足が一歩背後へと下がった。
初めは偶然だろうと思っていた青年だが、自身が一歩踏み出す毎に背後へと下がる様子を見て、ルイーナ自身が離れているのだと分かった。
「あの…」
「えっと……」
「ル、ルイーナ様……?」
近付こうとすればどんどんと離れていくルイーナに、段々と面白くなってきてしまった青年は悟られないように彼を捕まえるべく誘導していった。
「ほい、捕まえた」
「ひぇ………」
「ふはっ、ルイーナ様でもそんな声出すんですね」
ルイーナの背が壁に当たる。
気付かない内に自身が誘導されていたと彼が理解したのは、背後には壁そして青年の腕で退路を絶たれた後だった。
「何で逃げるんです?
………まぁさっきの俺の質問のせいってにもあるんでしょうけど、それだけじゃないですよね?」
「うぅぅ……。
わ、笑ったりしない?」
「まぁ笑わないです?…………多分」
多分の言葉は小さく口内で呟いたためルイーナには聴こえていなかったようで、笑わないという言葉を聴いたルイーナは目線は下げたままだが、恐る恐るという様に話しだした。
「セ、セルは……ゆ、友人としてじゃなくて上司と部下とかそういう関係だから、少しでも頼って貰えるように”頼りになるいい上司”でいなきゃ無いでしょう?
俺はセルを友人だと思ってるけど、セルとの約束は上司として部下を労るのに近いから……」
「あー、だから俺の時と反応が違ったんですね。
…………アレ?でもその考えでいくと俺もそれに当てはまりますよね?」
セルペンテは青年がボスと慕う相手だ。
そんなボスがルイーナの部下として動いているのだから、そんなセルペンテの部下である己もその扱いのgは正しい。
なら何故、こうも反応が違うのかと青年が首を傾げているとルイーナは再度小さく言葉を溢した。
「せ、精鋭さんは……部下だけどそうじゃなくて……」
「んー?」
「お、俺が勝手に……あ、兄がいたらこんな感じなのかなって思ってて。
最初は友人になれたらいいなって思ってて!でも、こうやって色んな場所に連れてってくれたり話を聞いてくれたり………俺にもこんな兄がほしいって思ってたからつい嬉しくて。
って俺今結構恥ずかしい事言ってる?!!」
わぁぁぁと声を漏らし両手で顔を覆い隠したルイーナだったが、そんな彼よりも顔を真っ赤に染めている人物がいた。
「えっ、えぇ………」
まさかの理由に返す言葉が浮かばない。
自身に彼が慣れて来ていたことは知っていた。
信用されていることも分かってはいたが、ここまでとは思っていなかった。
今彼がこちらを見ていなくてよかった。
恐らく、いや十中八九今の自身の顔は緩みきっているだろうから。
………だが、流石にこのままの状態で居続けるのは拙い。
人通りはまばらだが、もうすぐここを利用する人達で溢れかえるだろう。
「(そうだ、アレを使えば良い)」
そして浮かんだ考えを実行するべく、青年は魔力を練り上げ自身の最も得意とする魔法を編み上げた。
「ルイーナ様、こっち見て下さい」
「恥ずかしいので嫌です」
「見ないとぜ〜ったいに後悔しますよ〜?」
青年の言葉に、手で覆ったままの顔を上げたルイーナは固まった。
「ほら、見て良かったでしょう?」
「なん、何で……?」
「俺の一番得意な魔法なんです。
誰にも言ったこと無いんですけど、ルイーナ様には特別ですよ?」
ルイーナの目に写ったのは、あの長い前髪で両目を隠した精鋭の姿ではなく、ルイーナと同じ様な黒髪に橙色の瞳を持つ青年の姿だった。
「精鋭さん……?」
「そうですよー。俺の得意魔法は自分の姿を自由に弄る事なんです。
吃驚したでしょう?」
「吃驚した……」
ぽかんと口を開き呆然を青年を見上げるルイーナに気を良くした青年は、ルイーナの手を掴み走り出した。
その手は少しでも抵抗すればすぐにでも外れる程度の力しか込められていなかったが、ルイーナはその手を振り払うこと無く続いて掛けられた青年の言葉に、離れないように握り返した。
「俺もルイーナ様みたいな弟が欲しかったんです!
だから、今もこれからも俺を兄として思って下さい。
そうすれば、俺も可愛い弟が出来るでしょう?」
ルイーナに不器用でも寄り添ってくれる優しい兄が出来た瞬間だった。