7. 自転車泥棒は殺す法
「自転車泥棒は殺す法」
そもそもこの法律は、自転車を盗まれた時のショックやストレスは戦闘機にロックオンされたときと同等、という大日本学術会議のデータを基にしている。自転車を盗まれた≒殺されたも同然≒泥棒は殺したも同然≒死刑相当の量刑という理屈である。
この時代の、この世界線の、思考能力を奪われた日本人には、そのおかしさに気づかない。こういう社会で、こういうルールなのだ。大げさに騒ぎ立てるのもよくない。
当初は反対デモや暴動もあったが、政府は中国から9,800円のママチャリを大量に輸入し全国に行きわたらせた。1人あたり5台ぶんの総量があり、旅行先、外出先でも1日100円で使えるレンタルサイクルも整備。冒険的愉快犯でもない限り、盗む理由などないのだ。
中学校では男女関係なく自転車のメンテナンスの授業があり、タイヤやチェーン交換はもちろん全バラシからの組み立て(オーバーホール)を3時間以内でできるよう教育される。交通ルールやマナーもみっちり教え、右側通行、すなわち逆走するやつはぶん殴ってOKという通知も国土交通奉行から出されている。不良少年がイキってわざと逆走すれば、すぐに近隣住民が集まり袋叩きにして更生させ、それにも反抗すれば家族もろとも村八分という凄まじい社会制裁を食らった。逆走を撲滅したおかげで自転車の交通事故は極めて少ない。
山田ヒロキ裁判長も、あー、以前はこういう未来のある若者も3日に1人は処刑場送りにしちゃってたよねー という、自責の念というほどでもないが、多少の呵責を抱えている。彼が元来持つ、天性の陽気さと憐憫の情の欠如がなければ正気を保つのは難しかったであろう。現に、川崎で唯一の弁護士だ。他はとっくに廃業している。
自転車泥棒の裁判も、今となっては、第五条の清掃活動ボランティア6か月を受けさせて終了だ。取り越し苦労や遅きに失した感もあるが、いま目の前にいる若者の絶望の顔は見なくていい。それだけが救いだ。
「えーっと、清掃ボランティアの説明をするよ。川崎駅前、多摩川、それに町田市民が県境に不法投棄したごみを町田側に投げ返す作業……。ん……? 遠藤くん。どうした?」
「俺は、コロンビアに行きます」
「えっ? 何で? なんでよ。バカなの? 半年くらい我慢しろよ。自宅から通えるし、放課後にちょろっと顔出せばいいんだよ?」
「いえ、僕は川崎、いや、もう日本にいても未来は無いんです!」
南米送りというプランは、確実に死ぬよりかは、一縷の生きる希望、夢を与えるだけのものだ。量刑が死刑と同等ということで、死ぬのと同等のハードモードな設定にしてある。
「あのね、これさ、実はクソゲーなんだよ。1年後に1%しか生き残らないように設計されている。99%は死ぬんだ。闇ギルドのやつに・・・えーっと、今のは聞かなかったことに……って、山田も詳しく知らないが、やつらが面白がって作ったものなので、99%ろくでもない死に方をするに決まっている。
あっかーん! 君は清掃ボランティア6か月! それで決まり!」
「嫌です! 僕は南米のコロンビアに行きます!」
人間は追い込まれると、いかに確率が低くても期待が持てるほうを選ぶものだ。ましてや少年、荒ぶる季節のこの高揚感。もうそれしかないと思い込む。もはやその目に一点の曇りもない。
「くッ、くるってる! なんなのこの子! あのね、コロンビアに移住して農業させてもらえるとか、そんなんじゃないんだよ? じゃあせめて安楽死にしよ。これも8パターンから選べるんだ。コロっと逝けるんだ……」
「うるせーバカ野郎! 俺は死なない! 俺はコロンビアに行くんだ!」
自転車泥棒は殺す法ができてからというもの、お前のコンプライアンス(略してオマコン)で裁かれるので、裁判官は無力だ。いてもいなくても構わない。誰も言うことを聞いてくれない。
なんだかなあ。山田は唸った。
(マジかよ。今月で3人目だ……)