6. 裁判法廷
カケルは学生服に学校指定のシグマの白いシューズを履き、川崎市の少年裁判法廷に立っていた。
初老の裁判長、山田ヒロキは不機嫌そうにチッと舌打ちをする。
「えーっと、自転車泥棒は死刑って知ってたよね? 」
この世界線、この時代、少年法などというものはない。
「あのさあ、こんなことで死刑になんてしたくないんだよ。バッカじゃねーの? どうすんだよ、コレ。死ぬの? バカなの?」
「1枚のペラ紙を渡される。えーっと、「自転車泥棒は殺す法」の条文を読むよ。
第一条 ぶっ殺す
第二条 安楽死でもいいや
第三条 14~17歳の少年はコロンビア送りでもいいや
第四条 14~17歳の少女はメキシコ送りでもいいや
第五条 清掃活動のボランティア6か月でもいいや。もうどうでもいいや
となっている。こんなに幅広い選択肢があるんだよ。すごいだろ? 」
この法律ができた40年前、当初は「この人、自転車泥棒です」って言えば、えん罪だろうが気にせずバンバン連行して銃殺刑にしていたらしい。いやー牧歌的な時代だよね。私怨だろうが密告が横行し、その報復でまた密告と、国民みんながデスノートを持っちゃった様相に。
それからというもの、すっかり治安が良くなっちゃって、裁判所も実は要らないのよ。検事も弁護士もみんな無職になった。わはは。
この裁判長も、過去に自転車泥棒を3,000人は死刑宣告してきた。彼はもともと人権派弁護士である。秩序のためとはいえ、正義とは何か、苦悩の日々が続いた。
約20年前、銃殺刑はあまりにも可哀そうだと第二条を提案してみたところ、あっさりと承認を得た。山田はびっくりした。この法律のせいで人口が半分になっちゃって税収も半減、将軍も殿様も財政難に陥っていたのだ。
50年前の革命により国家体制は大きく変わったが、先代や先輩が作ったルールを勝手に変えたらまずいんじゃないかという官僚主義は変わらなかった。否、自分の退職まで見ざる聞かざる言わざるに徹する忍耐強さこそ賞賛されるべきか。古今東西、天地悠久、お役所仕事のサボり加減を舐めるなという神の啓示でもあろう。
この鉄のトライアングル、岩盤規制をどう突破するのか、山田は悩みに悩んだ。
自転車泥棒は統計的に14~17歳に多く、70%を占める。未来のある若者を殺すのは忍びない。更生の余地があるのではないかと、第三条と第四条も提案。これもあっさり承認された。
第五条もすんなり承認され、山田はさらに驚いた。第二条から四条も薄氷を踏む思いで、自分の命を賭してでもとやらねばならぬと、8年の歳月、細心の注意と万全の根回しを行った。大日本学術会議や新聞社に自分の息のかかった部下を送り込み、都合の良い統計データを作らせ、記事を書かせた。この二人はもうこの世にいない。口封じのために誰かの密告で銃殺された。
そして毒には毒をもって制すのだと、地下に潜る謎の反政府・闇ギルドに加入までしてしまった。こっちの方がマジでヤバい。バレたら国家騒乱罪、国家転覆罪、外観誘致、スパイ防止法、脱税、マネロン……、罪のトリプル役満で、裁判なんて必要ない。速攻で射殺されるであろう。
(今までの苦労も、多くの死刑宣告してきたのも何だったんだ。単なる人殺しじゃあないか……)