5. マイボ禁止令
カケル独裁体制と陰口を叩かれていたことは知っている。
(しかし、俺はキャプテンだ。生殺与奪の権利を持つ。手駒をどう使おうが勝手じゃないか!)
監督が言うならまだしも、選手にそんな権限があるわけもない。カケル、痛恨の勘違いであった。
(サッカーは実力主義で、どう考えても自分が一番優秀だ。監督がピッチに入るわけじゃない。現場は俺が仕切らなきゃいけない)
むしろ、監督ですら自分の手駒だと思っていた。
(どうしてこうなった・・・。今までが恵まれすぎていたのか、俺の勘違いだったのか……。
試合に負けたあと、「俺は今から、お前たちを殴る!」と監督、コーチ含め全員を殴打したからだろうか。その後、「悔しいです!」と1時間にわたり叫ばせたことだろうか)
試合に負けたらロッカールームでキャプテンとして激を飛ばした。対戦相手が年上だろうが格上だろうが関係ない。サッカーはビビった方が負ける。それだけだ。
(世の中みんな、戦う前から負け犬ばっかりだ。殴る拳のほうが痛いんだ……。それに、勝つだけじゃ、タイトルを取るだけじゃダメなのか?)
(それとも試合を中断させ、相手選手や審判も含めピッチに一列に正座させ、説教をしたことが原因だろうか。確かに、プレミアリーグの公式戦でやったのはまずかったかもしれない)
カケルは「マイボ(マイボールだと主張すること)禁止令」を通達し、1回言うごとにうさぎ跳びでグラウンド1周という自主ルールを作っていた。
(ピッチを割る前に誰にボールが当たったかなんて、選手がいちばん分かるに決まってるじゃないか。ボールをどちらが先に触るか競り合うわけで、同時ということは良くある。しかし負けを認めないどころか盗もうというセコイい態度は頭も性格も悪い。保護者にも「こんなんじゃ、ろくな大人になりませんよ」と忠告するほどである。
ズルやサボりは許さない。うさぎ跳びで膝を壊すほどの覚悟があるなら主張すればいい。
この試合でも、相手選手がやたらめったら「マイボ!マイボ!」と狂ったように騒いでいるのでやむを得ず説教したのである。実際、サッカーを辞めた理由の60%が「マイボ・マイボが嫌だった」という大日本学術会議の統計データもある。深刻な問題を黙認・放置してきたサッカー協会の無能さこそ叱責されるべきであろう。
セルジオと破談したあと家と反対方向に走ってしまったため、15キロほど歩いて帰らないといけない。赤信号にぶつかるたび適当に曲がっていたら、明後日の方向に来てしまった。大都会・登戸で途方に暮れる。
「悪いことは重なるものだ……」
諦めにも似た、ためいきをつく。すぐ目の前にあったプロサッカー選手への道が絶たれた。大げさではなく人生や命を懸け、全てをささげていた。弱冠15歳、純朴な少年は明確かつ唯一にして最大の夢、目標を失った。
カケルは思う。自分は無になった。無である。ブラックホールは全てを飲み込むというが、膨張の反対は収縮? 安直な概念だ、とカケルはそう思っていた。しかし今の自分は、まさしく消えて無くなる寸前である。自分の中にあるブラックホールに、自らを飲み込まれるような、輪廻も蘇生もない盤石な世界。
「天上天下唯我独尊」
自分の意思とは関係なく、カケルはつぶやく。日本で半世紀ぶりに100のサッカー選手が誕生した瞬間であった。
ふと、1台の自転車に目が行った。この時代、自転車泥棒は重罪である。重罪というか、死刑だ。もしくは死刑相当の量刑が課せられる。
なので、自転車を盗むやつもいない。誰も鍵を付けない。自転車泥棒なんてするやつもいないし、実際に死刑になったとか聞いたこともない。都市伝説レベルの話でもある。
もう何も考えたくはない。カケルは盗んだバイク(自転車)で走りだしていた。