16. 修行
とりあえず部屋の中を歩くくらいはできるようになった。浦上のぶん投げる罰よりも、大貴の人工呼吸により受けたダメージがひどかった。折れた骨は薄皮1枚程度にしかくっついていないだろうが、痛みの原因である折れた骨が傷つけた筋肉や膜などのダメージはだいぶ回復してきた様子。
カケルは入所して1週間、殺風景な監獄で過ごした。骨折してるんだから寝ておけということらしい。大貴他3名は部屋を出て行ったので、カケルひとりである。
窓には銀色のフィルムが貼られ、外は見えない。しかし向こうからは見えるんだろう。たまに足音が聞こえるが、いつも誰かに見張られているというわけでもなさそう。脱獄も考えたが、施設内も、その外の情報も全くない。ここにいればとりあえず飯は出るし、ふとんもある。なによりまだケガが癒えない。
「すーばーらしーいーあーさがきたー♪」
カケルは、モルヒネのせいでラリっている。思わず、ラジオ体操第一と第二を全力でやってしまった。
激しいトレーニングにより筋肉の繊維を壊し、再生させることでより強靭になる。治りかけては壊し、また治す。そのたびに激痛が襲うが、アル中の医者・松浦がモルヒネを処方してくれる。
彼は元衛生兵だった。20年前、中米パナマの戦場。
「ルリーニャが撃たれた! 衛生兵の松浦を呼べ! 松浦! 松浦はどこだ!」
松浦は30分前に左腕を撃たれ、自分で自分にモルヒネを打ちラリっていた。
「お花畑でちいぱっぱ、ちいぱっぱ。生まれ変わったら金持ちの飼い犬になるんだ……」
血まみれで鼻歌を歌う松浦の顔は青ざめ、うすら笑いを浮かべている。器用にナイフで自分の腕から銃弾を取り出し、縫い終わったところであった。
「伍長! 松浦はもうだめです! 完全にイッちゃってます!」
ルリーニャは死んだ。
その後、松浦は戦死した戦友にモルヒネを打ってやれず苦しませたことを後悔していた。
「いいかいぼうや。死ぬ前にはモルヒネだ。寝る前に歯磨きするように、死ぬ前にはモルヒネを打つんだ……」
彼は消毒用エタノールで泥酔しながら、今日も患者にモルヒネを打ち続ける。
動かなければ、骨折した箇所の周辺は固まっていく。それをほぐすにも痛みは出るし、時間もかかる。
イーグルアイを、身体の内部にまで応用できることが分かった。カケル自身にとっても、意外な発見である。
今では、骨や筋肉の壊れ具合や再生具合、痛みの程度も把握できる。モルヒネによる副作用での錯覚かもしれないが、肺や胃の活動も分かる。3日ほど断食し、一睡もせず、さらに神経を尖らせると酸素や血の流れもなんとなく感じる気がした。
カケルは、うす暗い部屋の中央でまっすぐに立つ。それは西洋式の起立ではない。日本古来の、骨格どおりのまっすぐな立ち姿である。これは誰かに教わったものではない。骨折しているからこそ、痛くないポジションを探っていくうちに、自然とできた型である。
呼吸の仕方もあれこれ試してみる。肺にもダメージがあるのか、深呼吸はできない。吸い、止め、細く、長く、全呼吸……鬼滅の……いや、何でもない。波紋のこky・・・。これも関係ない。何でもないが、こういうことか! と理解した。別にどうってことない、7,000年前のチベットでも誰かがやっていたことだ。
4日目に倒れ、看守が助けてくれた。というか死んだと思い、遺体を回収しようとしたら生きていたので驚かれた。
最短で、最強に変貌する。勝負師になる。すべてを受け入れ、すべてを捨てる。
昭和の相撲取りはあまり休場もしなかった。病院に行かないから診断書も出ない。痛み止めを打つなり酒を飲むなり、我慢して大丈夫だと言い張るしかなかった。
そんな感じだから引退も早かったし、寿命も短かった。本質的にはアスリートでも戦士でもない。神事をつかさどるわけで、相撲を取るいがいは全て些細なことである。
代わりなどいくらでもいる。横綱にまで上がっても、衰えやケガで勝てなくなれば引退する。次の試合が人生最高のものになるか、死ぬか、その両方か。
ぶつかり稽古をすれば、数トンの衝撃を受ける。そのたびに死んでいる。何度も死んでいる。そう思うからこそ土俵に立てるのである。
ケガを治しながら強くなる。その矛盾をカケルは知らず知らずのうちにやっていた。
プリズンでの1年間は、長いようで短い。ましてやこの狂った世界。通常の努力などで生き残れるはずもないのだ。男子三日会わざれば刮目せよと云うが、そのくらいの成長の10連コンボをしなければ高校1年の夏から野球を始め、甲子園に行くことなど不可能。双子の弟が死に、幼馴染の美少女がいたとしてもだ。
ここプリズンは漫画の世界ではない。しかし夢か現実か、そのはざまの世界にいるような気にもなってくる。
(ここで逃げたら終わる。自我を保て……。あまりに支離滅裂な状況に混乱してはいけない。成すことは生き残ること。その一点だ)




