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御伽殺しの物語  作者: スカベエンジ
3/3

遁走

「やられたな」

牢の中の鎧の男がルドに言った。

「黙れ」

ルドはナオミの血を浴びたノワの顔を拭っていた。

その眼差しには先ほどまでの威迫は消え、理不尽なさだめに翻弄された者への哀れみがあった。

「試してみな」

牢の中の鎧の男が、隣の牢のルドに向けて何かを放り投げた。

チャララララララ。

金属質の甲高い音が石畳を跳ねた。

小さなコインが転がりながら、ルドの分厚い革靴に触れた。

「苦ヨモギに浸した銀貨だ。ブラッドステインドかどうかはそいつで確かめられる。

さっきのお嬢ちゃんが言ったとおり、森から「虫」を連れてきたのは俺だ。

その娘に罪は無い」

「こんなのが罪滅ぼしのつもりか?」

「俺にとっては違う。だがもしかしたらあんたにとってはそうなるかもな」

ノワがブラッドステインドで無いならば、その命を奪う必要などない。

ブラッドステインとは、「虫」の体液に含まれるある種の成分によって人体が汚染された状態である。

頭部の感覚器を撹乱することなく「虫」の体液を返り血のように浴びた場合、その体液の臭いは辺りに拡散し、新たな「虫」の襲来を招く。人間が嗅ぎ取ることの出来ないその臭いは、何度洗っても消すことは出来ず、ブラッドステインドとなった人間を救う手立ては無い。

故にその者の命を絶ち、遺骸を火で葬り去ることでしか迫り来る新たな災厄を遠ざけることは出来ないのだ。

ルドは鎧の男が与えた銀貨を拾い、ノワの額に翳した。

己が差し向けた刃を退けたナオミの血に彩られたノワの蒼白な顔。

苦ヨモギの銀貨は少女の尊い犠牲がもたらした束の間の慈悲を拒むかのように、中空を舞い跳んだ。

「やはり呪いか」

ルドは銀貨を捨て、革袋に仕舞った短刀を再び抜いた。

再び短刀を仕舞う時、それは少女の命を絶命せしめた後であろう。

葛藤や逡巡を厳然たる使命で黒く塗りつぶし、理不尽の執行者は少女の胸に刃を突き立てた。喉元を裂き、醒めぬ夢に死が溶け込んで溺れて逝く様を見つめるより、心臓を貫き一時でも早く少女を運命の呪縛から解放したいと願う意思によるものだった。

真っ赤な血が少女の着衣に鮮血の波紋を浮かべた。

「グハッ!?」

自らを襲う激痛にノワの意識は覚醒した。

突発的な覚醒は意識を失う瞬前の記憶を反芻し、反射のように「その時、すべきであったこと」を再現した。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

荒い呼吸に応えるように胸がズキズキと痛んだ。胸に宛がった掌には滲んだ血がべたべたと張り付いていた。

ノワは牙を剥き襲いかかった「虫」に応戦すべく、手を、脚を振り回し、目の前の脅威を排除した。

目眩のように曇った視界が晴れ、やがて足下に倒れている敵がルドであったことに気づいた。不意打ちに蹴り倒されたルドは鼻血を拭い、床に落ちた短刀を拾いあげた。

「・・・ご、ごめんなさい、ルドさん」

「気にすんなよ。おまえが無事で何よりだ」普段のルドならそうに彼女を赦し、温かな言葉で迎えてくれるだろう。だがノワの願いは、眼前の殺気めいた男の荒ぶる威容にかき消された。鈍く光る短刀の刃を滴る血は自らの胸を貫いた結果だった。

「-キャッ!」

ルドは再び躊躇無く刃を振るった。

避けるのが精一杯のノワは固い石畳に倒れるように転げた。だがルドの攻撃は止むこと無く迫った。

「やめて、来ないで!」

状況を理解することが出来ず混乱するノワは、それでも一縷の希望に賭けてルドに哀願した。

「-いやっ、殺さないで!」

「-や゛だっ、死に゛たくない!」

鋭い殺意を掻い潜り生に縋るノワの体を、容赦ない刃が掠めていく。

黒く濡れた胸の傷だけでなく、手や肩にも新たな切傷が刻まれていた。

目覚めるまでの記憶が途切れる瞬前、暗闇で「虫」と対峙した経験知が、不測に油断し状況を手放すことが無いようノワの神経を冴えさせた。

だがそんな健気な抵抗も空しく、痛みは全身を軋ませ、流れ出た血が彼女の意識を曇らせようとしていた。膝は力なく崩れ、もう起き上がることも出来そうになかった。

「はあ、はあ、はあ、

どんなことでもするから、だから、殺゛さ゛な゛い゛で―――!!!」

ルドが今度こそはと高らかに掲げた短刀を振り下ろした。

「聞き届けよう」

-どこからか少年の声が聞こえた。

それは天使のように澄んだ少年の声だった。

こんな狂気と混沌に満ちたみすぼらしい惨劇にはふさわしくないなと瞼の奥でノワは思った。死が自らを召したのか、次に目を見開く時はこの世では無いのかも知れない。

「ぐ、ぐがぁぁぁぁっ」

だがルドの叫び声でノワの目は再び開かれた。

カン、カララララン。

倒れているノワの横に、ルドの短刀が落ちた。

何者かの腕が、短刀を構えたルドの手首をギリリと掴んでいた。

同時に何者かの腕が、ルドの太い首をギリリと締め上げていた。

そして腕から先は暗闇だった。

暗闇から現われ出でた2本の腕だけが、ルドに襲いかかっていたのだ。

屈強なルドの肉体をギリリと捕まえた二本の腕は、ルドの顔を苦悶に歪ませる程に強力であり、怪奇的であった。

「寝てないで、手を貸してくれ」

隣の牢からさっきの少年の声が聞こえた。

「そいつの腰にここの鍵がある。お前を逃がしてやるから、俺をここから出してくれ」

「-グッ、や゛め゛ろ゛ぉ」

喉と手首に絡みつく異様な腕を外そうとルドは抵抗したが、その力は容易に解くことを許さない。

少年の声に従い、ノワはルドの腰に携えられた牢の鍵を外し、隣の牢に向かった。

ノワがそこで見た光景は、怪奇的で猟奇的な神秘だった。

両方の腕から先が無く、身の丈に合わない傷だらけの鎧を纏った銀髪の少年。

体から上気した湯気を纏い、彼は牢の中からノワを見つめていた。

「とっとと鍵を開けてくれ。どんなことでもするんだろ?殺されねぇためには!」

「あなたが私を助けてくれたの?」

「見りゃ分かんだろ」

ノワは少年をじっと見つめた。

「だーーっ!!お前ぇを殺そうとしてるヤツとたった今戦ってんのは、俺の両腕なんだよ」

少年は本来腕があるべき場所、生々しい肉や血に彩られたその断面をノワに見せつけた。

「お前ぇはお前ぇの大事な人間に殺されかけてんだぞ。頭で理解出来なくても、理屈が納得出来なくても、使える物は何でも利用しろってんだ!」

地面を這って来た1本の腕がノワの体をさっと駆け上がり、ノワの持つ鍵を乱暴に奪った。

まるで意思を持った生物のように動く1本の腕は、鍵穴に鍵を刺し、牢の扉を開け放った。

「とりあえず礼はいっとく。ありがとな」

牢から出た鎧の少年は1本の腕を拾い上げ、自らの腕のあるべき場所にそれを押しつけた。

ジュー--と肉の焦げる臭いがして、少年はくっついた腕を曲げたり、指先をこきこきと動かして見せた。

「貴゛様゛は、シハルガのホムンクルスだったか」

首を絞め続ける蛇のような腕に抗いながらもその場に立ちはだかったルドが、鎧の少年に言った。

「ノ゛ワ゛、お前は「虫」に呪われたんだ。死ななければ、ナオミ達の命を危険にさらすことになるんだ」

ルドがシハルガのホムンクルスと呼んだ鎧の少年は、ノワをきりと見つめた。

「殺されねぇためには、どんなことでもするんだろ?」

牢の端に纏められていた己の剣や装備を抱え、鎧の少年は武装を整えた。

「-゛、ノワ、お前は生きているだけで「虫」を招く。そうなれば、村は滅ぶことになるんだ。だから、村のみんなの為に-」

「ここじゃないどこかなら」

鎧の少年は、冴え光る緑色を帯びた刀身の剣を鞘から取り出した。

「ここじゃないどこかへ納得出来るまで逃げ延びて死ぬか、

ここで納得できねぇまま死ぬか。決めるのはあんただ」

「-゛、外の世界は御伽話のように生やさしいものじゃない!

生き抜くためにだけ命をすり減らし、やがてゴミのように道ばたで朽ち果てるんだぞ」


どうやら私は「虫」に襲われた挙げ句、死に損なったようだ。

「虫」は私が生き延びたのが許せないのか、これからも私を目がけて村を襲うって。

そんなバカげた話、すぐに理解しろって言う方が無理だよ。

ルドさんや村のみんなは、私が生き延びたのが迷惑だって口ぶりで死ねって言うの。

おまけに見たこと無い化け物みたいな子に、ここで殺されるか逃げるかを決めろだなんて言われても正直訳が分からなかった。

胸の刺し傷や数え切れない生傷に体はどこもかしこも痛かった。

ゴミみたいにボロボロになって、血が流れれば流れる程に、私は死にたくないんだって気持ちを強く感じていた。


「・・・ここじゃないどこかって?」

ノワは鎧の少年に尋ねた。

「外に決まってんだろ」

「外って、どんなところ?」

「お前、ここじゃねえ街や国に行ったこと無ぇのか?」

ノワはこくりと頷いた。

「弱ぇヤツは生き延びられねぇ。けど戦うことで命を拾おうってヤツには平等な世界だ」

「-゛。逃げても「虫」に追われ、恐怖と苦痛の内に命を終えることになるんだぞ!

もし望むならわずかな時間だが、ナオミやちび達にお別れをさせてやることも出来る。

だからここで安らかに眠るんだ!」

私は安らかになんて眠りたくなかった。

外の世界で死に物狂いになって生き延びなきゃいけないのもとても怖かった。

だけど、私は死にたくなんてないんだってことに気付いてしまった。


「-さようなら。そう、彼女達に伝えてください」

「ノ゛ワ゛ぁぁぁぁ!!!」

絡みついたホムンクルスの腕を振り解いたルドがノワを行かせまいと迫った。

「ぶごおぉぉぉぉっっ」

殺気だったルドの体はホムンクルスの腕が足首を掴んだせいで制御を失い、盛大に転けた。

「いっちょ上がり。おっとコイツは返してもらうぜ」

ルドの足首から離れたホムンクルスの腕は、一度隣の牢に寄り道してから鎧の少年の体に戻った。少年の手には苦ヨモギの銀貨が握られていた。

「さて、邪魔が入る前に急ぐぞ」

少年はノワの手を掴み、地上へと続く階段を駆け上がった。

どこか見覚えのある鎧に施された特殊な紋様はどこで見たのだろう。

身の丈に合わない鎧がガチャガチャと耳障りだった。

おまけに体中が傷だらけなのをお構いなしに引っ張るから、体の至るところが痛かった。

それでも私はこの少年が死地を脱する手助けをしてくれたことが嬉しかった。


昏倒する意識の中、ルドは去って行く2人の後ろ姿を見つめていた。

ルドは鎧の少年がたしかに苦ヨモギの銀貨を持ち去ったのを見て、それがどういう意味を持つかを知っていた。それはかつて村が凶作の折、傭兵として諸国に遠征した遠い過去に戦場で聞いた御伽話。

まるで若返ったように少年の容姿へと変わり、自らの腕を肉体から取り外しそれを意のままに操るというでたらめな芸当をやってのけた鎧の男。

瀕死の状態であった腹部の傷もいつのまにか消え去り、巨大な「虫」を絶命せしめた存在。

大槌で「虫」を殺したかに思えたあの時感じた不自然に軽い違和感は、既に感覚器もろとも「虫」の頭部が破壊されていたせいだった。

階段を駆け上る2人の足音はやがて消え去った。

我が子のように見守ってきたノワの命を奪うことでしか、愛情を示すことが出来なかったふがいなさが今更嘲りとなって彼は笑っていた。

ノワは亡国シハルガの怨霊、ホムンクルスと苦ヨモギの銀貨を代価として契約した。

己が指し示すことが出来た唯一の未来が彼女を殺すことであったのに対し、予期せぬ来訪者は彼女を死の向こう側に連れ去ってしまった。

それはノワの決断でもあった。

ノワは望まない重責からルドを救ったのだ。ルドはノワとホムンクルスの御伽殺しの物語の行く先に神の加護があるように祈りながら、瞼を閉じた。


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