プロローグ
見渡す限りの森のなか俺と少女は木の残骸に腰を据えている。
今日は三度〝奴ら〟と遭遇した上に新たな食料が全く見つからない。体力的にも精神的にも少しキツイものがある。
となりのこいつは相変わらず子犬のように元気だが、俺にそんな活力は残っていなかった。少し休憩しようと提案した時も、駄々をこねるのでバックに入っていたルービックギューブを渡すと、何かに取り憑かれたようにその立方体をかちゃかちゃといじる。
しばらく経ってもやめる気配がないので手元のスマートフォン端末で、日課である一日一枚の写真を撮る。
「あー! また勝手にとったのよー!」
ルービックキューブをいじるのを止めこちらに顔を向けてくる。
「自然体を撮らなきゃ意味ないだろ?」
「うぅ、だけど変な顔してたらどうするのよぉ」
年の割に妙なことを気にするやつだ。女とはそういう生き物なのだろうか。
でもまあこいつは女というには幼すぎる。先程から言っているように少女という方が正しいだろう。
「そういえばそのすまーとふぉん? で今日は日記書かないの?」
「カルが集中してる間に書き終わったよ。本当に集中してると周りが見えなくなるのな」
「えへへへ、もっと褒めるのよ~」
顔全体の筋肉を極限まで緩めたような顔をする。
「褒めてないし、調子に乗るな」
俺がそう言うと、今度は打って変わって顔がこわばる。
「どーていのくせにうるさいのよ」
「おまっ! どこでそんな言葉覚えたんだ! にーにはそんな子に育てた覚えはありません!」
「カルだって育てられた覚えはないのよ!」
九歳にしては少し刺激が強い返しである。
一体こいつの姉はどんな教育をしていたんだか。
そんな幼女の情操教育を心配しながら、しばらく羽を休めていると草木の向こう側から足音が聞こえてくる。
カルはまだ気づいていないようだ。
「おい、カル」
「なんなのよぉ」
中腰になり音のする方向へ正対、警戒レベルを最大限まで引き上げる。
「……近くにいる」
「うぅ……こわいのぉ」
カルは俺の背後に身を潜め服の裾をちょんと握っている。
こいつは奴らそして他人を異常に怖がる。あれだけのことがあったのだからこうなったとしても仕方がないのだろう。
「ん? ……違う」
次第に近づいてくる足音は奴らのそれではなく、俺たちと同じ人間のものだった。
警戒態勢のまま客人を俺たちの休憩場所へと迎え入れる。
「うお! びっくりしたー! リビングデットかと思ったらなんだ! ガキが二人かよ!」
俺とカルを前にしてやたら陽気な男が一人。久々の人間に会えて単純に嬉しいのだろうか、それとも子供だと思って舐めているのだろうか。
男をじっくりと観察すると典型的な盗賊の格好だ。服は麻で作っているのだろう。全体的にベージュを基調としており、腰にはナイフが一本と亀のような生き物で作った水筒らしきもの。
サシでなら負ける可能性はほぼゼロだと断言できるだろう。
「何の用だ?」
「おいおい久々に同族に会えたんだから喜ばせてくれよ〜そんなに警戒しなくてもいいんじゃないの?」
男の癪に触る態度に俺は背中にある刀に左手をかける。
すると男は慌てた様子で、
「わーったよ! 何もしやしねーって! ほらナイフ」
と言って、ナイフを俺たちの方へと投げ捨て、何も持っていないと両手を挙げアピールする。
だがそんな白々しいアピールなどで騙されるわけがない。
「何もしないのならさっさと隠れているお仲間に顔を出させろ」
俺がそう言うと男は一瞬目を丸くした。
「はっはっは! そこまで見抜かれているとはね! 出てこいネル!」
男の後方から同じような格好をした長身で至る所の筋肉が隆起した男が姿を見せる。
「何もんだこのガキ」
「さーな、貴族連中の子供とかじゃねーの」
「バカか、そんなやつが街の外にいるわけねーだろ」
「そりゃそーだな! はっはっは!」
ネルという男は呆れた態度だ。
普段からこの陽気なやつに振り回されているのだろう。
「それはそうと俺はダリスだよろしく!」
わざわざ警戒してとっていた距離をグングンと詰め、とうとう俺の間合いに入ってくる。
右手を差し出してくるということは握手を求めているのだろうがそれはできない。
「おまえは信頼できる人間か?」
「もちろん! 武器は持ってないし! ほらネルも! 別に君たちから何か奪おうって考えはないぜ」
そう言うとダリスとネルは二人揃って両手を挙げたまま一回転する。
「そうか……それならこうだ」
「……え?」
ダリスは何が起こったのか分からなかったのだろう。
事が起こってから自覚するまで数秒を要した。
「あぁぁぁぁああああ―――!!! 俺の足ィィイ!! 足がぁぁぁああ!!」
右足を太ももで斜めに両断された痛みは相当なものだろう。地面を這い両断された足に両手を添えてジタバタしている。
「てめぇ!!」
ネルと呼ばれていた男がナイフを右手にこちらへと突進してくる。ナイフを刺そうというよりは斬りつけようと振りかぶっている。
それならそれで好都合だ。一対一でナイフを斬りつける攻撃はあまり得策ではない。銃弾とは違い速度もないためステップ一つで避ける事ができる。
渾身の一振りを躱されて態勢を崩している隙に進行方向へと力をかけてやる。地面に仰向けになったネルに刀を向ける。
「じゃーな」
俺は無表情のまま頭に刀を突き刺す。頭蓋骨が硬く刃毀れが酷いためあまり人間は殺したくないのだが致し方ない。
「てめぇ!! よくもっっ!!」
後ろから元気よく不意打ちしてくる輩がいた。不意打ちするのにわざわざ声を出すのは本当にどうかと思う。
しかし後方を取られていたのは迂闊だった。武器はおそらく同じようなナイフだろうが、一応間合いを取るためバックステップで攻撃を避ける。
「おらぁあ!」
間髪入れず次の攻撃に移る。避ける態勢が整っておらず仕方なく刀で攻撃を受け、ナイフを弾き名も知らぬ男の首をはねる。
「くそ……ふざけんなっ! いってぇぇえ!」
ダリスは地面を這ったままそう叫ぶ。
「嘘をついたのはそっちだ。悪く思うなよ」
「ちくしょう!! やっと自由な世界になったと思ったのに!!」
仰向けのまま拳を地面に叩きつける。
切断した右足を手にして見てみると何やら四桁の番号の焼印がある。盗賊だと思っていたが恐らく元は囚人か奴隷だったのだろう。
混乱に乗じて逃げ出してきたのだろうが運が悪かったようだ。
「あんたらの手段は間違っちゃいねえよ。こんな世界だ、俺たちは奪い合うしかない。だけどあんたらは一つ大きな過ちを犯した、それはそれは大きな過ちだ。それは」
「ねぇ……にーに」
「ちょっとカルさん⁈ 今カッコつけてるところなんだけど!」
「だって……」
俺が向いている方向と真反対を指差すカルは、奴らを目の前にして先ほどよりも怯えた様子だ。
恐らくそうなってから時間が経っていたのだろう。鼻を折りたくなるような強烈な腐敗臭とともに奴らは現れた。
その数五体。まともに相手にしているときりがなく、先ほどの悲鳴で更に集まってくる可能性も高い。こうなってしまったら選択肢は一つだ。
「行くぞカル」
「でも……」
「大丈夫だ」
焦るカルを制止し、ダリスに近づく。痛みに少し慣れてきたのだろう叫ぶのをやめ、必死に右足の出血を止めようとしている。
俺は無事な左足の太ももに狙いを定め刀を突き刺す。
「があぁぁぁああーーー!! いてぇ!! 頼む!! やめてくれぇ!! あんたは鬼か!!」
鬼?
は! 鬼で良いさ。俺が鬼になることでカルが助かるならな。
「引きつけてくれてありがと」
「はぁはぁはぁはぁ……え?」
太ももの痛みから奴らの接近に気づかず終わりを迎える。人間としての終わりを、
「あぁぁあああ!」
「ヒィィイ!!! いやだ! いやだいやだ! いやだ! いやだ! いやだ! いやだ! いやだ!」
必死に後ずさりするも奴らの手から逃れることはできない。こうなっては捕食されるのを待つしかない。
そして無様に食材となっていくダリス。
奴らが捕食に夢中になっている隙に黒を基調としたローブを羽織り、カルを左手で引き少し駆け足でその場を離れる。
しばらく走ったところでペースを落とし歩くことにする。これだけ間隔を空ければもう会うことはない。
「さっきの人たちのことか?」
少し元気が無いように見える。疲れた訳ではなさそうだ。
生きる為とはいえ二人、いや結果的に三人の命をカルの目の前で奪ったのだ。そんな光
景は何度見ても慣れてはいけない。
俺が慣れたとしてもカルには慣れさせちゃいけないのだ。
「ううん、違うの。たしかにあの人たちのことは残念だけどカルが全然役に立ってないから」
最後の方はゴニョゴニョと申し訳無さそうに言った。
あれから何度もこんなことを繰り返してきたが人間も奴らも殺しているのは俺だ。だからこんなことを言っているのだ。
「あのな、俺はカルが無事でいてくれればそれだけでいい。それに役に立ってないなんてそんなことはない。俺の怪我はカルが何度も治してくれるじゃないか」
俺が正直な気持ちを伝えると沈んでいたその表情はぱっと明るくなる。
実際カルには何度も何度も助けられた。俺が今こうして生きていられるのはカルのおかげだ。
「ほんとに?! やったの! カルもっと、にーにのけがなおすの!」
「ああ、これからも頼むぞカル」
「そっちこそ、いっぱいけがするの!」
「それは違うぞカル」
こうしてカルと旅を続けているとふと考えてしまう。
俺だけがこうやってのうのうと生きていて良いのだろうかと。
笑う度にぎょっとする。
お前は何をやっているんだと。
自分の大切な人たちを三度も守れなかったのに……。
いつも心のどこかでもう一人の自分が、まるで俺の幸福を嫌うかのように監視している。
そして決まってまた大切な人を失ってしまうのではないかという不安が頭をよぎるのだ。俺には無理だ、そんな力は無いと。
それでも今はカルたちと出会えた運命に感謝せずにはいられなかった。