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永遠の別れ

「気晴らしにどこかへ行こうか?」

 私は声を掛けた。

 まだ夕方前である。落ち込んだ彼女を元気づけるような場所へ行けないだろうか。

 本当は、夜道の運転には自信がないので、明るいうちに出発して彼女を村まで送り届けるつもりだった。

 しかし今は彼女と一緒に居たいという気持ちの方が強かった。

「海でも見に行く?」

 それほど遠くない所に海水浴場がある。初秋を迎えた今は人影もなく、夏とは違った静かな日没が楽しめる筈である。

「いえ、私、海は苦手なので」

 海でなければ山ということになるのだろうが、あいにくこの街は平野で山がない。それに彼女は元々山村の出身である。日頃森の中で生活している人間が喜ぶ場所でもないだろう。

 私が考え込んでいると、

「もしよかったら、ハイキョに連れていってくれませんか?」

 彼女は控え目に言った。

「廃墟ねえ……」

 それは意外なリクエストだった。

 果たして女子中学生にその魅力が分かるだろうか。もっと無難に人の集まる商業施設や遊戯施設の方がいいのではないだろうか。

「ぜひ、お兄ちゃんと行きたいのです。近くにそういった場所はありませんか?」

 彼女の目は真剣だった。

「本当にそれでいいの?」

 私は確認した。もう太陽が西に傾き始めた。時間的にも、今日はそこへ行って終わりになりそうだ。彼女は村に帰らなければならない。

 実を言うと、私はこの街にも廃墟があることを承知していた。

「よし、分かったよ。一緒に行こう」

 彼女の肩を軽く叩いた。

 それが彼女の望みなら叶えてやろう。母親に会えなかった鬱憤が少しでも晴れればそれでよい。

 バスを乗り継いで、私たちが降り立ったのは団地の一角だった。同じ形をしたコンクリートがどこまでも続いている。バス停の前は商店が軒を連ねていたが、どれもシャッターを下ろしていた。道路には行き交う車もない。

「ここが廃墟なんですか?」

 彼女は辺りを見回した。

「そうだよ。都会の廃墟ってやつさ。何十年も昔に建てられた団地群でね、今では老朽化してその役目を終え、墓場になっている」

 アパートは無言で立ち続けている。反対側から西日が差して、その表情も奪われていた。

 彼女を公園に案内した。

 団地に囲まれた空間である。やはりここにも人っ子一人いなかった。仕事のない遊具たちが暇を持て余していた。

「まるで時間が止まってしまったみたい」

 白い少女は空に向かって両手を広げた。

 風が吹き抜けて、2台のブランコが何かを囁き始めた。

「ちょっと寒くなってきたね」

 コンクリート製の土管の中で並んで座った。カーブした壁に背中をつけると、ほのかな温かさを感じる。

「お兄ちゃんは、大学でどんな勉強をしてるの?」

 声が海の中に居るように響く。

「教育の勉強をしているんだよ」

「へえ、将来は先生になるのですか? 凄いですね」

 感心した声で言った。

「いや、そんなに褒められると困るなあ。実はうちの両親が教師をしているから、何となく選んだ道なんだ」

 妹はそれでも熱い視線を投げ掛けている。

「お兄ちゃんは、きっといい先生になると思います」

「それはどうかな」

 私は正直、後ろめたさがこみ上げていた。

 故郷に帰る度、両親からはもっと真剣に将来のことを考えるよう言われている。しかし親の敷いたレールの上を走らされているような気がして、素直に受け止められなかった。そんな反骨精神から、学業を捨ててバイト一辺倒の生活に逃げていたのかもしれない。

 しかし、彼女の言葉に心が動いた。忘れ掛けていた何かが動き出す瞬間。全身に活力がみなぎった。彼女の前では、手本になるよう頑張らなければならない気がした。

「現役の中学生から褒められると悪い気はしないね」

 彼女は笑顔を見せた。

「ところで、君は家族がいないって言ったけど、それは本当なの?」

 彼女は母親を探していた。ということは、実は父親とは一緒に暮らしているのではないかと思ったのである。

「はい、本当はお父さんがいます」

 やっぱりそうだったか。

「それで、お父さんは何をしているの?」

 私は家族のことを聞きたかった。

「バスの運転手です」

「へえ、そうなんだ」

「村のバスだから、大したことはないと思うかもしれませんが、以前は大都市に暮らしていたから、運転はとっても上手なんですよ」

「都会から田舎に引っ越してきた訳だ」

「そうです」

「田舎の生活にはもう慣れた?」

「よく都会の人は冷たいって言われますけど、決してそんなことはないです。むしろ田舎の方こそ、人を色眼鏡で見たりやっかんだりして、閉鎖的に感じることがあります」

 私は黙って聞いていた。

「でもお父さんが運転するバスに乗ると何とも変な気がしますね。嬉しいというか、恥ずかしいというか。乗客である前に家族だからでしょうね」

「それは僕にもよく分かるよ。中学生の時、隣の校区で親が教師をしているものだから、部活で遠征に行くとばったり会ってね。実際どちらを応援しているんだろって変な感じがしたものだ」

 土管の中にも冷たい風が吹いた。外はもう暗くなってきた。

「さあ、そろそろ帰ろうか。続きは車の中でゆっくり話そう」


 アパートに戻った頃には、すっかり夜のとばりが降りていた。

 駐車場に停めてあった車に乗り込もうとすると、

「お兄ちゃん、ちょっと待って」

 彼女は突然腕を掴んだ。

「どうしたの?」

「ごめんなさい。実はお母さんの話、あれは嘘なんです」

「えっ?」

「お兄ちゃんと少しでも一緒に居たくて、咄嗟に口からでまかせを言ってしまったの」

「別にいいよ」

 私は寛大な気持ちだった。

(実は、僕も君のそばに居たいと思ったんだ)

「本当は、お母さんはとっくの昔に死んじゃったから」

「そうだったのか」

 私は彼女の肩を優しく抱いた。それから頭を撫でた。

「また寂しくなったら、いつでもおいで」

「嬉しい」

「今度はきちんと家の人に言ってから出てくるんだよ」

 彼女はしばらく黙り込んでしまった。

 そして突然思いついたように、

「お兄ちゃんは、これが全て夢だとしたらどうしますか?」

 そんな馬鹿げたことを言い出した。私は一笑に付した。

「そんなことあるものか。実際君は僕の目の前にいるじゃないか。今日はずっと一緒に過ごしただろ?」

「そうでした。そんな訳ないですよね」

 不思議なことを言う。

「これが夢なら、どうして君は僕の前に現れたの? 何か恨みでも晴らしに来たのかい?」

 私がおどけて訊くと、

「いいえ、その逆です。あなたを助けに来ました」

「助ける?」

 思わず聞き返した。

「あなたは、私の大好きなお兄ちゃんだから」

 唖然としていると、彼女は背後に回って、

「ちょっと失礼」

 両脇に手を入れて、身体を持ち上げるような仕草をした。

「結構、お兄ちゃんって重たいんですね」

 それには苦笑して、

「中学生の君には持ち上げるのは無理だろう」

「でも、きっと引き上げてみせます」

「何のこと?」

 こんな小さな身体でも頼りにしてほしいということか。微笑ましく思った。いつしか彼女に好意を抱いていたことに気がついた。

「また会えるよね?」

 私はやや不安になって訊いた。

「さあ、どうでしょうか?」

 彼女は思わせぶりにくすくす笑った。

「多分、お兄ちゃんは私のことを忘れてしまうと思います」

「いや、そんなことは絶対ないさ。君は僕を目覚めさせてくれた人だから」

「あなたがお兄ちゃんで本当によかった。もう思い残すことはありません」

「随分と大袈裟だね」

 彼女は先に車に乗り込んだ。

「お兄ちゃん、勝負は2、3秒です。しっかり集中してね」

「えっ?」

 私は意味も分からずハンドルを握った。

「サヨウナラ」

 少女の唇がそう動いた。

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