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少女の探し物

 私は彼女を連れて大学まで足を運んだ。最近はほとんど授業に出ていないため、どこか新鮮な感じがした。

 中学生の彼女はキャンパスに入るのは初めてらしく、興味深くあちこちに目を遣っていた。

 大学自慢の図書館に向かった。

 彼女は昔の新聞を見たいと言うので、私が代わって受付カウンターで新聞のバックナンバーの閲覧を頼んだ。

「西暦何年頃をお探しですか?」

 と司書に訊かれたので、そのまま彼女に視線を向けると、

「ええっと、分かりません」

 と答えた。

 これには司書も困った顔になった。

 そこで私が代わって、

「どんなことを調べたいの?」

 と質問を変えた。

「バスの転落事故です」

 それは随分と明確な答えだった。

 司書は端末を叩いてから、

「お探しの記事は3件ありますね」

 とモニター画面を見ながら言った。

「マイクロフィルムで閲覧できますので、3番へどうぞ」

 彼女は使い方が分からない様子だったので、司書が気を利かせてついて来てくれた。

 私も背後からそっと記事を覗いてみた。もう30年も前の事故である。一面を割いて、バスが山間の道路から転落した写真が大きく載っていた。見出しには運転手、乗客合わせて15名が犠牲になったとある。

「随分と古い事故だね?」

 そう声を掛けたが、彼女は何も答えなかった。

 それがお目当ての記事なのか、一心不乱に読み始めた。

 私は声を掛けづらくなったので、こちらも自分の仕事を始めた。提出期限の迫ったレポートの作成である。

 たまに顔を上げて、彼女の背中を見たが、微動だにせず画面と睨み合っていた。

 そう言えば、彼女には家族がいないらしいが、ひょっとするとその事故の犠牲になったのではないだろうか。

 私はペンをテーブルに置いて考え始めた。

 いや、それはおかしいのだ。今から30年も前に両親が死んでいれば、そもそも彼女は生まれていないことになる。

 そう考えると、両親はバス事故の犠牲者なんかではない。

 では彼女はどうしてそんな記事を調べているのだろうか。学校の社会科の調べ物なのだろうか。それにしてもどこか妙な案配である。


 キャンパス内に正午を告げるチャイムが鳴っていた。すっかり時間が経過していたことを知らされた。

 私は背後から彼女に近づいた。画面に向いたままだったが、もう新聞は見ていなかった。横顔を覗き込むと、驚いたことに涙を流していた。

「どうした、大丈夫かい?」

 すかさず声を掛けると、はっと我に返って、

「はい、もう十分です」

 と言った。

 相変わらず不思議な少女だった。

 それから彼女を学生食堂に誘った。

「とっても広いんですね」

 彼女は見る物全てが珍しい様子だった。

 そんな学食のテーブルの一角で向き合っての食事となった。しかし彼女はお腹が減ってないと言って何も食べなかった。

「それで探していた物は見つかったかい?」

 箸を持つ手を止めて訊いた。

「はい、お兄ちゃんのおかげです」

「そうか」

 私は正直ほっとした。

 もし探し物が見つからなければ、家に帰らず探し続けると言うかもしれないからである。それに今は彼女は落ち着いているが、新聞記事を見て泣いている時はどうなることかと心配したのだ。

「さあ、これからどうする?」

「はあ」

 どこか元気がない。

「妹がそんな寂しそうな顔をしていると、兄貴としてはやり切れないんだが」

 そんな風に言ってみた。彼女を少しでも励ましたかった。

 この即席兄妹関係はもう半日の期限である。残された時間は少ない。彼女には満足した気持ちで帰ってもらいたかった。

 よって中学生の女の子が行きたい場所なら、どこへでも付き合うつもりでいた。それはショッピングでも遊園地でもよい。

「私、この人に会いたいんです」

 突然、彼女はメモを見せた。

 そこには女性の名前があった。どうやらさっきの新聞記事から転記したものらしかった。

「どこに住んでる人なの?」

「分かりません」

「それじゃあ、会いに行けないじゃないか」

 私は少し腹を立てていた。いつまでも彼女のわがままに付き合っていては、本人のためにならない気がしていたのだ。

「そうですよね。今日中に会える保証もないですし」

 随分と落ち込んでいるようである。

「君の知り合いなら、連絡は取れないの?」

「無理です」

「誰なの、その人は?」

「お母さんです」

 頭が混乱した。

「お母さんとは離れて暮らすことになって、今はどこに住んでいるのか知らないのです」

 私には言葉もなかった。彼女が山奥の村から出てきたのにはそういう理由があったのだ。またもや大人の理屈で、彼女の気持ちを察してやれなかった。

「分かった。一緒にお母さんを探してあげるよ」

「本当ですか?」

 彼女の目が輝いた。身体がゴムまりのように跳ねた。

「妹が困っている顔を見たくないからね」

「ありがとうございます」

 正直、今日中に成し遂げられる仕事ではないことは分かっていた。この広い街で一人の女性を短時間に見つけるのは無理である。しかしやれる所まではやってみようという気になっていた。

 さて、問題はどう探すかだが、一つのアイデアを思いついた。

 私は大食堂の隅に置かれた、誰にも見向きされない公衆電話に足を運んだ。

 彼女は黙って見ている。

 電話帳を広げて、メモにあった名前を探した。

「僕は探偵じゃないから、本格的な調査はできないけどね」

 彼女も隣からじっと手元を覗き込んでいる。

「おっ、あったぞ」

 上から滑らせていた指が止まった。同姓同名の人物が一人だけ掲載されていた。

 果たしてこの女性が彼女の母親かどうかは分からないが、会いに行ってみようと思った。たとえそれが別人だったとしても、彼女の中に達成感は残るだろう。そうすれば今日のところは大人しく帰ると思ったのだ。

 住所は街から少し離れた郊外だった。タクシーを呼ぼうと思いきや、携帯電話を忘れてきたことに気がついた。迂闊だった。

「どうかしましたか?」

 上着やズボンのポケットをあちこち探す私を見て訊いた。

「どうやら携帯を家に置いてきたみたいだ」

 彼女は不思議そうな顔を向けた。

 仕方なく10円玉を入れて、公衆電話から配車を頼んだ。

「この人がお母さんだといいね」

 タクシーの後部座席で、私は彼女の横顔に声を掛けた。

 しかし実際は違う人物である可能性が高いと思っていた。家庭の事情は知る由もないが、離婚した母親が新しい住所と電話番号を改めて電話帳に掲載するかどうかを考えてみれば、自ずとその答えは出る。

 しかし私はそんな懸念を少しも見せなかった。

 タクシーに連れていってもらった場所は古びた住宅街であった。

 建ち並んでいる家々が時代を感じさせる。住宅表示板があったので、家はすぐに分かった。しかしこの時点で、これから向かう場所に彼女の母親はいないことを悟った。

 これらの古い住宅に住んでいるということは、とりもなおさず昔からの住人である。すなわち新しく別の土地から引っ越してきた母親の可能性は低いのである。恐らくこの住人は高齢女性ではないかと予想した。

 それでも家を訪ねた。彼女は直接会うのは怖いと言うので、私が先に立った。

 呼び鈴を押すと、腰の曲がったお婆さんが出てきた。

 念のため、彼女の方を振り返ったが首を横に振った。私は、人違いでしたと丁寧に頭を下げてその場を後にした。

 彼女は落胆していた。

「そんなに気を落とすなよ。今度来る時は、もっと詳しい情報を持ってきなよ」

 すると弾かれたように顔を上げた。

「また一緒に探してくれるのですか?」

「ああ、いつでも付き合ってあげるよ。僕は君のお兄さんだからね。その代わり、今度は家出じゃなくて、ちゃんとお家の人に言って出てくること」

 彼女は頷いた。

「どうしてそんなに一生懸命になってくれるのですか?」

「そりゃあ、君が母親に再会できれば、悩みの大部分は解決するような気がするんだ。そうすれば、もう家出なんてしなくて済むからね」

 彼女の瞳は揺れていた。

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