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一日だけの兄妹

 私は少女を促すようにしてコンビニを出た。あれだけ濡れていた身体も今ではすっかり乾いているようだった。

「さあ、雨も止んだし、もうお家に帰りなよ。今日も学校あるんだろう?」

 と言ってはみたものの、今の時刻は午前5時。まだ公共交通機関も眠っている。

 遠くで新聞配達のバイクが住宅の間を縫うように走っていった。

「君の自宅って一体どこなの?」

「川をずっと上っていった小さな村」

 彼女は空で指先を大きく動かした。

 この街には一級河川が流れているが、その上流は県を越えてしまう。さらに村といえば相当遡ることになる。

 自分の車で送ってやってもいいのだが、かなり時間が掛かることは覚悟しなくてはならない。

「どうやって、ここまでやって来たの? 電車やバスは走ってないだろう」

「川を下って来ました」

 彼女はそんな冗談を口にした。

 こちらが真剣に心配しているというのに、そんな人を食った態度が気に入らなかった。

「ふざけてないで、もっと真面目になったらどうなんだ。自分自身のことだろ」

 私は声を荒げた。

 彼女は思いがけない相手の激高に身体を震わせると、

「ごめんなさい」

 と素直に謝った。

 彼女は、どうやら私のことを味方であると勘違いしていたのかもしれない。そもそも見ず知らずの少女に手を貸す義理などないのだ。

 しかしだからと言って、このまま放っておくのも気が引けた。朝になって学校にも行かず、その辺を制服姿でうろついていたら、警察に保護してくれと言っているようなものである。

 彼女が警察の厄介になれば、この先学校には通いづらくなるであろうし、家族との関係も悪化するような気がした。それが原因で、また村を飛び出すことにでもなったら元も子もない。

 こんな風に知り合ったのも何かの縁である。私は覚悟を決めた。

「とりあえず僕の家に来るかい? ちょっと休んでから、どうするか考えよう」

「ありがとうございます」

 彼女の顔がぱっと輝いた。

 私のアパートはコンビニから徒歩ですぐの所にある。朝早いため、住人はまだみんな寝ている。そこで忍び足で階段を上がって静かにドアを開けた。

 彼女も同じやり方で後について来た。

 玄関を上がると、六畳一間に案内した。

「一人暮らしなのですか?」

「ああ、そうだよ。そこに座って」

「こういうのって何だか憧れます。大人になったみたいで」

 彼女は羨望の眼差しで私を見た。確かに中学生からすれば、立派な大人に見えるのかもしれない。

「でも結構大変なんだよ。何もかも全て独りでやらなければいけないからね」

 私は先輩を気取って言った。

「いっぱい写真が貼ってありますね」

 彼女は四方の壁を見て言った。

「それは旅行へ行った時の写真だよ。廃墟を巡るのが好きでね」

「ハイキョ、ですか?」

「廃墟というのは、元は人が居たんだけど、時間が経って誰も寄りつかなくなってしまった場所のことなんだ。昔の痕跡を見ると、色々と考えさせられて面白いのさ」

 彼女はしばらくその意味を考えているようだった。

「一番最近はどんな場所へ行きましたか?」

 意外にも彼女は興味を持ったのか、積極的に質問をした。

「ええっと」

 私は具体的な話をしてやろうと考えたが、咄嗟に思い出せなかった。

 考えれば考えるほど、答えが逃げていく。頭が霧に包まれているようだった。

「まあ、いいさ。こんな話、聞いてもつまらないだろう?」

 私はそうやって話を切り上げるので精一杯だった。

 それにしても不思議である。

 最後に訪れたのはどこだったのか、まるで記憶がない。確か山奥の建物だった気がするが……。

 さらに不思議なことに、彼女とは以前にどこかで会ってるような気がしてきた。いや、会っている筈はないのだが、昔懐かしい同級生のように思えるのである。

 その昔、教室で机を並べていた女子生徒。中学生のくせに、早く大人の仲間入りをしようとして、いつも背伸びをしている。見るからに危なげで、手をつないでいないと、すうっとどこかに消えてしまいそうな雰囲気。

 この感覚は、一体どこからやって来るのだろうか。

 私は考えれば考えるほど、疲れを感じてきた。

「後で君を車で送ってあげるから、それまでちょっと仮眠させてくれ」

 私は横になって目を閉じた。


 目覚めると、すぐ傍に彼女の姿があった。

「あれ、君は眠らなかったのかい?」

「私、眠くないんです」

 確かに大きな瞳がくっきりと見開かれている。そう言えば、コンビニでも彼女はまったく眠たそうではなかったことを思い出した。

「さあ、それじゃあ送っていくよ」

 私は大きな伸びをしてから、立ち上がった。

 しかし彼女はうつむいたまま動く気配を見せない。

「どうしたの? そんなに家には帰りたくないのかい? 学校だってあるだろう?」

 私は一気に畳掛けた。

「あの、今日一日だけ、待ってくれませんか?」

 彼女は懇願した。

「しかしお家の人も心配して待っているんじゃないのかい?」

「それは大丈夫です」

 彼女はきっぱりと言った。

「どうして分かるの?」

「だって私には家族がいないから」

 その言葉に、今度は私が黙り込む番だった。

 何か複雑な事情があるに違いなかった。彼女には彼女なりの事情があるのだ。それを少しも考えることなく、ただ大人の目線で家に帰れとばかり連呼していた自分が少し恥ずかしくなった。

 親や教師がさんざん自分にしてきたのと同じことを、いつしか自分もしていることに気がついた。大人は自分の経験や常識で子どもを枠にはめたがる。しかしそれは最も安易で無意味な方法だと言わざるを得ない。

 子どもだって自分なりに今を生きている。もっと彼らの目線になって考えてやらねばならない。そんな当たり前のことをすっかり忘れていた。

 私は彼女と向き合った。

「学校で何か嫌なことでもあった?」

「ええ、まあ」

「そうか。分かったよ。その代わり今日一日だけだよ。夜になったら、僕が送っていくからね」

「はい、お願いします」

 どうやら互いの妥協点が見つかったようだった。

 よく考えてみれば、やはり彼女は家出をしてきたということか。まさか家出少女を自分のアパートに連れてきてしまうことになるとは思ってもみなかった。

 本来、警察に通報すべきところだが、彼女とは一緒に帰る約束をした以上、そこは大目に見てもらおうと思った。

「それで今日一日、何をするって言うんだい?」

 私はじっくり付き合ってやる気でいた。

「あの、図々しいのですが、一つお願いがあります」

 彼女の顔は紅潮している。

「一日だけ私の恋人になってくれませんか?」

「ええっ?」

 思わず声が出てしまった。

 所詮彼女は中学生で、恋に恋する年頃なのである。雑誌かテレビで見た恋愛とやらを体験してみたいということだろう。

「やっぱり、いいです」

 彼女は慌てて言った。勢いで言ってしまったものの、冷静に考えると恥ずかしいことに気づいたと見える。

「それでは、お兄さんになってもらえないでしょうか?」

 彼女は第二案を持ち出してきた。

「別にどちらでも構わないよ。僕でよければ」

「ありがとうございます。では、お兄さんということで」

「オッケー」

 彼女は満面の笑みを浮かべた。

「せっかく兄妹なんだから、どこか遊びに行こうか?」

 私は次第に彼女の提案したゲームにのっていた。

「そうですねえ、この近くに図書館はありませんか?」

「図書館?」

 あまりにも地味な場所に、思わず聞き返した。

 恋に焦がれる中学生なら、もっと楽しく遊べる場所を選ぶのではないか、そう思ったからである。

 しかし彼女は真面目な顔をして、

「図書館で調べたいことがあるのです」

 と言う。

「調べるって、何を?」

「昔の新聞記事です。大きな図書館なら置いてありますよね?」

「まあ、あるとは思うけど」

 私はしばらく考えてから、

「それなら、うちの大学の図書館なんかはどうだろう? 蔵書の数は日本有数って学長が自慢していたくらいだから」

「お兄ちゃん、大学生だったのですか?」

「そうだよ」

 私は笑った。

「素敵」

「いやいや。ひょっとして大学生に見えなかった?」

 私は照れながらも訊いた。

「店でお仕事をしている時、手際がよいからてっきり本職の方かと」

「あれはただのバイトだよ。でも結構長く勤めているから、板についてるように見えるのかもしれないね」

「バイトをして何か買うのですか?」

「最近、中古車を買ったばかりさ」

 私は自慢げに言った。

「あの赤い車ですね?」

「どうしてそれを?」

 少女は一瞬しまったという顔をしたが、

「外に止めてあったから」

 と答えた。

「そうだ、車で出掛けるのはどう?」

 私は彼女に車の運転を見せることで、ますます大人に見られたいという気持ちだった。

 しかし、

「それは帰る時まで取っておきましょ」

 と返した。

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