深夜のコンビニに現れた少女
それは不思議な少女だった。
深夜3時。客の入店を知らせるチャイムに促されて、私は腰を上げた。
ついさっき泥酔客の相手が終わって、バックヤードに引っ込んだばかりである。児童心理学のレポート提出が来週に迫っていた。その下調べをしようと、スマートフォンを手にした矢先のことであった。
カウンターに出ると、髪をおさげにした女の子と目が合った。
白いブラウスに紺のスカート、ご丁寧に名札までぶら下げている。どうやら中学生らしかった。
「い、いらっしゃいませ」
予期せぬ客に少々声がかすれた。
確かに深夜のコンビニでバイトをしていると、想像を遙かに超えた客に出くわすことがある。女子中学生らしき若い子が来ることもなくはないが、決まって派手な出で立ちで男と一緒か、または数人の仲間連れというのが定番である。
しかし目の前の彼女は違っていた。
学校帰りにちょっと寄り道したような感じなのである。こんな時間に一体何を買いに来たというのだろうか。
店員のそんな興味津々といった視線に根負けしたのか、彼女は目を逸らすようにした。そして思いついたようにレジ付近の小さなお菓子を一つ摘まんでカウンターに置いた。それからスカートのポケットから一枚の紙幣を取り出した。
そこで私はさらに驚くことになった。
紙幣には確かに「千円」という文字が印刷されているが、そのデザインはどこか古めかしいものだった。
コンビニのバイトを始めてかれこれ数年経つが、初めて見るお札だった。
ひょっとしたら偽札ということも考えられる。
私は相手が年下であるという気安さも手伝って、お札を受け取ると蛍光灯にかざしてみた。その質感と精緻な印刷はどうやら本物に間違いなかった。
少女は辛抱強く、店員の不可解な行動を見守っていた。
「失礼ですが、これは?」
「千円札です」
彼女はさも当然というように返した。
いや、そんなことは分かっている。知りたいのは、どうして今ここでこれを使おうとするかである。どうやら真意は伝わらなかったようだ。
「これはまた古いお札ですね」
そんな風に言葉をつなぐと、彼女は不思議そうな顔をした。おかげで二人は黙ったまま見つめ合う格好になった。
「失礼しました。千円お預かりします」
たとえ旧札でも現金には変わりない。彼女を疑ってしまったことを済まなく思った。
気を取り直すと、いつも通りのレジ操作をしてお釣りを渡した。
さすがにこういった事態の対処はマニュアルにも記載がない。もし後で店長に文句を言われたら、自分のポケットマネーで補填してもいいと考えていた。むしろ旧紙幣ならばその価値は十分にあるだろう。
彼女の端正な顔つきは優等生であることを物語っていた。よって偽札を使って人を騙すような人物である筈がない。
「ありがとうございました」
彼女は支払いに難癖をつけられたことに腹を立てたのか、私の顔をじろじろと見て店を出ていった。
善良な客に無礼を働いたことについて弁解の余地はないが、彼女の姿が見えなくなると別の心配が頭をもたげてきた。
女子中学生がこんな深夜に一人で出歩いていて問題はないだろうか。
やはり彼女に一言声を掛けておこうと考えた。
今ならまだ間に合う。カウンターを飛び出してドアを開けてみた。しかし彼女の姿はどこにもなかった。
明け方に勤務を交代すると一旦家に戻り、それから夕方再び顔を出した。
最近は授業にはほとんど出席せず、バイト中心の日々を過ごしていた。せっかく志して入った教育学部も、今では留年すれすれという落ちぶれようだった。
店長と顔を合わせたので、例の旧紙幣を見せてみた。
彼は眼鏡を持ち上げて隅々まで目を遣ってから、
「懐かしいねえ」
と感嘆の声を上げた。
「これは偽札なんかじゃないよ。昔のお札だ。見たのは何年ぶりだろう」
年輩の店長は、心に響くものがあるようだった。
「これ、どうしたの?」
深夜、女子中学生がやって来て、それでお菓子を買っていったことを話した。
彼は興味深く聞いていた。
「しかし変わった子ですよね。そんな古いお札で買い物するなんて。一体どんな理由があるのでしょうね?」
「君の興味はそっちかい? 私は真夜中に中学生が一人でコンビニにやって来たことの方が大いに問題だと思うよ」
実は店長がそう言ったのには訳がある。
つい先日、警察官が店を訪れたことがあった。家出した少女を探しているのだと言う。もし夜遅くに不審な中学生を見掛けたら、すぐに連絡してくれと頼んだ。
その時応対した店長は、客の個人的な事情にまで立ち入ることはできないが、それでも警察に通報するぐらいの協力は惜しまないと約束していたのだ。
それを思い出し、私は余計なこと言ってしまったと後悔した。
案の定、
「警察には電話した?」
と店長は訊いてきた。
「いえ、そこまでは」
「まあベテランの君ですら躊躇するのだから仕方ないね。しかし何かあったら、うちの店が非難されることになるからね。もし今度見掛けたら、一応警察に連絡してもらえるかい?」
気の弱い店長は遠慮がちに言った。
「分かりました」
私はそう返事をした。
その晩も少女は現れた。
トラブルが自分の身に降りかかってきたことに少々眉をひそめた。そんなこちらの都合を察する筈もなく、彼女は店内を物珍しそうに周回していた。
時刻は深夜3時。
今、彼女の他に店内に居るのは、雑誌を立ち読みする若いサラリーマン一人であった。そんな彼も制服を着た女子中学生が店内を闊歩しているのには異常なものを感じたらしく、怪訝な視線を向けていた。
私は少女に声を掛けるチャンスを窺っていた。
いくら店長からの指示とはいえ、予告もなく警察に引き渡すのはフェアではない気がしたのだ。
そこで彼女が一人になったところで、話し掛けてみようと目論んでいた。何か特別な事情があるのかもしれない。深夜のこの時間帯は特に仕事もないので、いくらでも彼女の弁明を聞いてやることができる。
少女はそんな私の隠された意図に気づくこともなく、レジまでやって来た。
私はすかさず胸の名札に目を遣って名前を確認した。
彼女はカウンターの前にあったお菓子を手にとって、昨日と同じやり方で千円札を差し出した。
悪びれる様子はまるでなかった。むしろ私の方がどう対処すべきか、この期に及んでも態度を決めていなかった。
「いらっしゃいませ」
とりあえずはそんな定型句を吐いてから、次に何を言うべきか考えた。
カウンターに置かれた紙幣は旧紙幣だとすぐに分かった。何と彼女は二夜連続して同じやり方で買い物をしようとしているのだ。
さて、何と声を掛けたらよいだろうか。
まずは会計を済ませてからである。その後事情を訊くことにしよう。
「ありがとうございました」
少女は私の心の内を見透かしたのか、じっとこちらを窺っていた。一瞬、彼女の唇が動くように思われた。
しかしすぐ後ろからサラリーマンが声を上げた。無遠慮にたばこの注文を始めた。
彼女は私の興味が別の客に向いたことを知って、黙って店の外へ出ていった。
またしても彼女を取り逃がしてしまった。