廃墟に隠された真実
折原はいつしか眠ってしまっていた。
慣れない山岳道を運転してきて疲労はピークに達していた。彼の身体は休息を欲しがっていたのだ。
突然、寒気を感じて目を覚ました。窓の外はぼんやりと明るくなっている。どうやら無事に夜が明けたようだ。
すぐ目の前では、木製の机がひどい騒ぎになっていた。暗闇でよろけて散乱させたのは折原自身である。すっかり思い出した。
立ち上がると、まだ肩には痺れが残っていた。机と衝突した時のものである。さらに背中もひどく痛い。これは一晩固い床で寝ていたせいである。
窓から外を覗くと、小雨になっていた。嵐は去ったのだ。これなら傘がなくても帰れそうである。
折原は、バラバラになった机を元の状態に戻そうと天板に手を掛けた。そこで思わず動きを止めた。
普段は目が届かない机の裏側に、白いチョークで落書きがしてあったからである。
「シネ」
「カエレ」
「コロス」
稚拙で大きな文字は今にも動き出しそうだった。
人の温もりを感じさせる木造校舎の中にもいじめは存在した。
果たして机の持ち主はこの落書きに気づいていたのだろうか。それともいじめは当人の知らぬ所で密かに進行していたのだろうか。
折原はいたたまれない気持ちになった。
廃墟と化したこの校舎の教室には、一人の生徒の心を引き裂く痕跡があった。小さな村の廃校にまでやって来て、いじめの存在を確認するとは思ってもみなかった。
これならまだ、侵入者による無意味な落書きの方がよっぽどましである。それは誰の心も傷つけないからである。
今回の旅行が後ろめたいものに感じられた。この廃村にやって来たことを後悔した。
折原は職員室まで戻って雑巾を探し当てた。そして玄関付近に溜まった雨水で濡らすと、教室まで戻って来た。
悪意のある落書きは美しい廃墟には似合わない。
偶然であるにせよ、それを見た以上放ってはおけなかった。何度も雑巾を動かして、落書きを消し始めた。
今、いじめられていた当人はどうしているだろうか、自然とそんなことを考えた。
この学校が廃校になってどのくらいの年月が経っているかは定かではないが、どこか知らない街で今も元気に暮らしていることを願いたい。
残念ながら、白いチョークは完全に拭い去ることはできなかったが、それでも文字はほとんど読めなくなった。
折原は机を元通りに積み直すと、雑巾を返却して帰ることにした。
本来ならば、他の教室や外の遊具など観察すべき物はたくさんあったが、どうにもそんな気分ではなかった。
今はただこの村から早く離れたい、それだけだった。
覚悟を決めて外に出た。小雨が降る中、倒れた自転車を起こして跨がった。雨に打たれながら来た道を戻った。
ようやく乗り捨てた車が見えてきた。ひょっとすると、誰かに持ち去られてしまったのではないかと不安もあったが無事だった。自転車を畳んで中に放り込むと、運転席についてエンジンを掛けた。
時刻は午前5時だった。
今回の収穫はあの廃校舎だけだったが、達成感はまるでなかった。やはり最後に見た机の落書きが興をそいだに違いなかった。
折原は山岳道路を引き返した。
まだこの時間、日は出ていない。薄暗い中、曲がりくねった細い道を延々と走った。ガードレールすらない崖が何度も出現した。
峠を越えて長い坂になった。
自然とスピードが乗ってくる。これまですれ違う車もない。早く帰りたいという一心から、注意力が欠如していたのかもしれない。
急カーブを曲がった途端、突然ヘッドライトの中に小動物が浮かび上がった。それは野ウサギのようだった。慌ててブレーキを踏み込み、ハンドルを切った。
それは奇しくも、いつかのバス運転手と同じ回避行動だった。折原は偶然同じ場所、同じやり方で障害物を避けようとしたのである。
タイヤが雨に濡れた砂利を滑って、車は崖から斜面へと引きずり込まれた。どんどん森の中へと埋没していく。
折原にできることはハンドルをしっかりと握ることだけだった。
経験したことのない衝撃が身体を襲う。同時に鼓膜を破るほどの轟音が止まなかった。いつしかエアバッグが作動して目の前の視界は遮られた。
最後には、これまでにない最大の衝撃とともに車が一回転した。そして車体の横半分を川床に受け止められてようやく止まった。
ガラスが割れて、至る所から川の水が浸み出している。水の流れる音がすぐ耳元で聞こえていた。身体を動かそうにも、シートベルトで固定されていてびくともしない。力を入れようにも、思ったように身体が動かせないのだ。
一方で水はどんどん勢いを増していた。
人はこうしてあっさり死んでいくものなのか。何もできずにこのまま死を待つしかないのか。
折原の意識は遠のいていった。