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美しき廃墟

 折原おりはら悠児(ゆうじ)は慣れない車を走らせていた。

 手に入れたばかりの中古車である。大学に入ってすぐ、コンビニのバイトを始めた。学業にはさほど魅力は感じられず、来る日も来る日も仕事に打ち込んだ。

 その甲斐あって、二年分の給料をはたいて念願の車を手に入れることができた。今となっては無理をして本当によかったと思う。

 車は、彼の趣味には欠かせない道具なのである。そしてその趣味とは、まさしく旅行であった。

 しかし、それは普通の人が考えるような旅行ではない。なぜなら彼が目指すのは、大勢の人で溢れかえる観光地などではなく、人気のない廃墟だからである。

 廃墟――それは人に見放されてかなりの年月が経過し、朽ち果ててしまった建物や施設を指す。

 そこには人を惹きつける何かがあると、折原は考える。

 廃墟には過去の人々の営みが凝縮されている。そこに居た者の喜びや悲しみ――それらはたとえ何年経とうとも消えることはない。一歩足を踏み入れれば、かつての華やかなりし頃に思いを馳せ、人の温もりを感じることができる。

 初めて訪れる場所なのに、どこか懐かしく思えるのはそのせいである。誰もが忘れてしまった幼い頃の記憶がじわじわと蘇ってくる、そんな気分にさせるのだ。

 だがこの魅力を人に理解してもらうことは難しい。

 実際、折原は何人かの友人に力説してみたのだが賛同は得られなかった。それでこうやって一人で出掛けることになる。

 秋空の下、しばらくは広い県道を走っていたが、途中で未舗装路に入ってからは雰囲気が一変した。森に囲まれた車幅ぎりぎりの一本道を走る格好になった。

 厄介なのは対向車に出くわした時である。

 どちらかが退避所まで後退しなければならない。運転歴の浅い人間にとって、それは困難を極める。しかし幸運にも、折原は今のところそんな状況には立たされていなかった。

 今、彼の赤いハッチバックは我が物顔で森の中を進んでいた。まるでこの世界には自分一人しかいないような錯覚に陥る。

 見渡す限り、人工物と呼べるものはなかった。この先、本当に廃村があるのだろうか。出発前に予習はしておいたものの、少々不安になってきた。

 カーナビが道路の終わりを告げた。だがこの先も細い道は続いている。幅が狭くて車では入っていけないのである。

 折原は車を降りた。初秋の心地よい風が吹き抜けた。空にはトンボが何匹か同じ方角を向いて浮かんでいた。

 リアハッチを開けて、折り畳み自転車を引っ張り出した。廃墟と呼ばれる場所は直接車で乗り入れができないことも多い。よってその辺の準備はできていた。

 時刻は午後3時を回ったところである。やはり山岳路は運転が慎重になるため、予想以上の時間が掛かってしまった。

 帰りのこともある。真っ暗な夜道を走るのは自信がない。せめて夕方までにはここへ戻ってこなければならない。

 早く目的地に着きたいのは山々だが、気持ちとは裏腹に小さな自転車は漕いでも漕いでもスピードが出ない。しかも獣道は背の高い草が生い茂り、所々で行く手を阻んでいる。これでは歩いた方が早いのではないかという気もした。

 廃墟巡りも決して楽ではない。

 緩やかなカーブを曲がると途端に視界が開けた。待ちに待った廃村である。ようやく辿り着いた。ここまで自分の力でやって来られたことに感慨が湧いた。

 村といっても民家が数軒あるだけの小規模なものである。どの家も例外なく屋根が押し潰されて変形していた。その姿はとても落ち着いた家屋には見えない。柱が至る所で剥き出しになって、まるで苦悶の声を上げているようだった。雪深い地方では、厳しい冬を越すうちに、このように朽ち果ててしまうのだろう。

 ふと遠くの高台に建物を見つけた。四方を塀で囲んだ小さな敷地に校舎が建っている。村の学校に違いなかった。こちらは頑丈に作られているためか、しっかり原形を留めている。

 折原はその学校に興味を惹かれた。

 この旅行の最大の目的がついに姿を現した。さっと自転車を方向転換すると、目指すべき方角へペダルを漕ぎ始めた。

 坂を登り切ると、石の門が迎えてくれた。すぐ脇に自転車を停めた。

 本来掲げてある筈の看板は取り外されていた。そのため学校の名前は分からない。村の規模からすると、おそらく小学校と中学校が一緒になった分校といったところだろうか。今では廃校となってしまったが、全盛の頃は何人の子どもたちが通っていたのだろう。

 門は開いたままになっていて、来訪者を拒む様子はない。猫の額ほどの運動場を横切ると、砂を踏みしめる音がついてきた。

 こんな小さなグランドで開催される運動会は、教師と生徒の距離がとても近い、アットホームな雰囲気だったに違いない。それは羨ましくも感じられた。

 校舎の前に立った。

 平屋の木造建築は古い歴史を感じさせる。

「すみません。どなたかいらっしゃいますか?」

 玄関に呼び掛けた。もちろん返事はない。

 廃墟といっても、その土地や建物には所有者がいる。よって中に入る場合は所有者の許可が必要である。しかし現実には管理者が不在のことも多く、そんな時は無許可で進入することになる。

 遠くで雷が鳴り始めた。見上げると、知らぬ間に雨雲が空全体を覆っていた。さっきまでの青空はどこかへ消えてしまっていた。山の天気は想像以上に変わりやすいのだ。

 玄関は木製の引き戸がねじ曲がって、ガラスが粉々に割れていた。どうやら雪の荷重に耐え切れず、扉が変形したようだ。おかげで身体が通れるだけの隙間が空いていた。

 身体を捻るようにして中に入ると、かびの臭いが鼻腔をついた。長年放置された建物はその空気も歪めてしまうものなのだ。

 歩く度に、木製の床が音を立てた。よく見ると、板と板の隙間から埃が舞い上がっているのが確認できた。

 急に窓の外が騒がしくなった。ついに雨が降り出したのだ。

 折原は眉をひそめた。あいにく雨具は用意してこなかった。しばらくここで雨宿りする羽目になってしまった。

 職員室らしき小部屋が見えてきた。

 事務机や備品は整然と残されていた。廃墟は心無い者によって荒らされることもしばしばである。しかしこの校舎は昔の姿を綺麗に残していた。

 いよいよ窓の外は土砂降りになってきた。雷も何度か近くに落ちた。その度に木造校舎は大袈裟に震えた。

 さらに奥へ進むと教室があった。間仕切りのガラスは取り外されていて、廊下からも教室全体が見渡せた。

 まだ夕方前というのに、窓の外は夜を思わせるほどに暗くなっていた。おかげで校舎の中も本来の色彩が奪われて、全てが黒い影と化していた。

 そんな中、教室に足を踏み入れてみた。

 小さな黒板には生徒の寄せ書きが残されていた。

 近くまで寄ると文字が浮かんできた。

「ありがとう」

「さようなら」

 校舎との別れを惜しむ言葉が散りばめられ、端っこにはクラス全員と思われる数人の名前が並んでいる。

 折原は温かい気持ちになった。教室の中で生徒たちの笑い声が聞こえてくるようだった。

 生徒が使っていた机は二段積みで隅に置かれていた。今では珍しく全てが木で作られているようだった。もう少し間近で見ようと、一歩二歩と近づいた時だった。

 床の突起物に足を取られ、机の山に寄りかかってしまった。

 激しい音とともに、積まれていた机が床に散乱した。それから折原はその上にだらしなく転んだ。

 肩や足に激痛を感じつつ、ゆっくりと身体を起こした。

 すっかり目の前は暗くなっているのだった。これ以上動き回るのは危険である。

 しかも表の暴風雨は収まりそうもない。

 折原は思い切って床に寝転がった。

 雨が止むまでここで待つしかない、そう覚悟を決めた。もしかすると、今夜はこのまま一泊することになるかもしれなかった。

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