バス運転手の焦燥
鉛色の空が窓に降りてきていた。
巨大な雨粒がガラスを叩き、その飛沫は大蛇のように後方へ流れていく。荒れ狂う風が轟音とともに村のスクールバスに襲いかかった。
乗客の顔からはすっかり血の気が引いていた。女子生徒は誰もがシートにしがみつき、身体をこわばらせている。低学年の児童は顔を両手で覆って泣き出していた。
これは台風の影響なのだろうか。
しかし天気予報によれば、まだ一日猶予があった筈である。現にほんの数十分前は、曇り空ではあるものの、風雨は皆無だった。それを確認したからこそ、バスは村を出発したのである。
実のところ、運転手だけは最後まで悩んでいた。
唯一大人である彼は、この事態を予測していたのかもしれない。しかしあの時は子どもたちに詰め寄られて、無理矢理出発させられる格好になってしまった。
今日は待ちに待った運動会。
そのため子どもたちは皆、気持ちが高ぶっていた。少々雨が降り出したとしても、行事は予定通りに行われるのではないか、そんな希望的観測があった。
しかし冷静に考えれば、こんな天候の下、運動会が開催される筈がないのである。今にして思えば、大人は正しかったことになる。
あの時、運転手の言うことに耳を傾けるべきだった。だが精神年齢の幼い子どもたちには土台無理な相談だった。みんなで運転手を取り囲み、寄ってたかって暴言を吐いた。まるでそれが正義であるかのように。
少女は唇を噛みしめた。
あの時、彼女はただの傍観者だった。それもその筈、まだ村に引っ越してきたばかりで、周りの生徒が騒いでいるのを静めることはできなかったのである。
実はそんな彼女にとっても、運動会が中止になるのは忍びなかった。この行事は友だちを作るよい機会と考えていたのである。その意味で彼女は誰よりもこの日を心待ちにしていた。
しかし今、嵐の中、大海原に浮かぶ笹舟のような状況を考えると、思慮もなく、他の生徒に倣って運転手に不満の声を浴びせたことが悔やまれた。彼の困惑した顔がしっかりと目に焼きついている。
最後部の座席に座って、少女は車内を見回した。総勢14名の小学生、中学生がバスの車体に合わせて左右に揺れている。
所詮、子どもは身勝手なものである。
みんなはあの時のことをすっかり忘れ、こうしてバスに閉じ込められているのは、大人である運転手のせいだと思い込んでいる節があった。
そしてその彼は、子どもたちを全員無事に学校に送り届けようと孤軍奮闘しているのである。
バスは急な山坂道に差し掛かった。
いつもは会話がかき消されるほどのエンジン音も今日は気にならない。それを遙かに凌ぐ轟音が彼らを包み込んでいるからである。
少女は恐怖に耐えながらも、一生懸命ハンドルをさばく運転手の背中から一時も目を離さなかった。
フロントガラスの視界は確保できていなかった。ワイパーは壊れるほど激しく動いているのに、水滴を除去するのにまるで役立っていないのだ。
バスは何とか峠まで辿り着いた。延々と続いた上り坂は、ここでようやく下りに転じる。
これまでの鬱憤を晴らすかのように速度が上がり始めた。
ちょうどその時だった。
突如、森の斜面が動き出した。それは不思議な光景だった。
まるで地面が水のように流れてくるのである。そしてその水圧に耐えきれなくなった巨木が次々と身体を倒した。それは自然の猛威から逃げようと、救いの手を求める人間のように思われた。
運転手はすかさずハンドルとブレーキを操作して回避を試みた。
だが不幸にも、ぬかるんだ路面では前輪が踏ん張りきれなかった。そのため本来のコースを大きく逸脱することになった。
少女はこの後に起こる事態を全て目撃することになる。
車体はゆっくりと傾いて宙に浮かぶと、いとも簡単にガードレールを飛び越えた。そして木々を倒しながら、谷底に向かって勢いよく転がり始めた。