かったつごうほう
僕に 闊達豪放 という言葉は似合わない。
闊達豪放という言葉は選ばれし者の為の言葉だと思う。
僕が 闊達豪放 を実戦したら ただの言いなり野郎 になる可能性大である。
あの人器が大きくてかっこいい!
とはどう転んでもならないはずだ。
闊達豪放。
僕はこの言葉に運命を感じた。
スマートフォンの予測変換で か のたった一文字を打ったら出てきた。
それまで僕は 闊達豪放 なんて言葉を使ったこともなかったし、知りもしなかった。
不思議だ。
予測変換として先頭に
闊達豪放。
がでたのはそれきりだ。
今
闊達。
とスマートフォンにいれてもでてこないし、
かったつごうほう。
といれても
かったつごうほう。
としかでない。
闊達豪放を知るその日、僕はイライラしていた。
イライラしてひどいメールを打とうとしたら
闊達豪放。
がでてきた。
僕はこの言葉に、らしくもなく運命を感じてしまい、このエッセイのタイトルにした。
僕のことを知っている読者は違和感は感じているだろうが、僕は 僕。 なんていつもは使わない。
うんこで大笑いし、積極的に おちんちん。 というワードを会話にぶち込む俺様である。
僕は僕に憧れ僕でいたかった。
この辺の話もどこかでしていきたいと思う。
このエッセイは僕の二十代最後のエッセイになると思う。
かったつごうほう。
いつか僕も
闊達豪放。
になれるのだろうか?




