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第七話 ブレクファスト小景

 朝の匂いはどこにいる誰にも均等に降り注ぐ。


 二日目の快晴がカーテンの隙間から零れる朝、アラームの音に目を覚ましたとき自分がどこにいるのか分からず少しのあいだ混乱した。今ごろ気づいたけれど、天井にはきっと実用性は低いのだろう、アンティーク調の小さなシャンデリアがぶら下がっていて、その煌びやかさはこれまでの人生にはないものだったため今いる場所を思い出した。


 向かいのベッドは布団がきっちりと畳まれた状態で、ルームメイトはどこかへ行ってしまったらしい。ベッドから出ると、自分のデスクが昨日とは違っていることに気づいた。いわゆる学習用の、本棚と一体になったデスクは目線になる位置に白っぽいボードが配置されている。メモを貼るためだろうと注目もしていなかったボードに今、電子文字が浮かんでいるのだ。


「……何だこれ?」




アヤオリ ナツ


ルイケイポイント 11pt




「……何やってるんですか?」


 朝のカフェテリアは混雑していた。周囲の先輩方に倣い、トレーを持って一列に並ぶと、行列はカウンターに沿うように流れていった。カウンターには食パン、シリアル、白米、サラダ、卵焼き、ベーコンエッグ、焼き鮭、ヨーグルトなどが並べられ、好きなメニューをとっていくというシステムらしい。カウンターの内側には調理係らしき割烹着姿の中年女性が立ち料理の補充をしているがその中になぜか、割烹着を着た名古屋先輩と小倉先輩がいたのだ。何やってるんですか、としか言いようがなかった。


 目が合い「綾織さんおはよお~よくねむれた~?」とやはり子どもに話しかけるように微笑む名古屋先輩と、対照にぶすりとした表情で小さく「こんなところを見られるなんて……こんな格好……」と呟く小倉先輩はどちらも答えをくれず、代わりに奥から氷見さんが顔を出した。


「こいつらは朝飯抜きで手伝い」

「まったく理解できませんわ……なぜ何もしていないわたしたちがこんな目に遭わなければ……」

「しでかしただろーが、犯罪級のことを!」


 ぼそりと呟く小倉先輩に、氷見さんがどこからともなく取り出した竹刀を清潔な床へ叩きつける。決して広いとは言えないキッチンスペースに当然のように竹刀が持ち込まれていることがシュールに思えた。


「昨日最上階の廊下をこの二人がうろうろしてたんだよ。それだけならまだいいけど、素っ裸でうろついてやがったんだ! 公然わいせつ罪で捕まるべきところを朝飯抜き程度でおさえてやったんだから感謝しろバカモノ共が」


 氷見さんはそこまで言ったところで列後方のいざこざに気づき「オラァ、お前横入りしてんじゃねぇ! 見てたぞ!」と怒鳴りながらカウンターから飛び出していった。


「はあ……侮辱ですわ……なんなのこの情けないユニフォーム、手も水と油で荒れるし……」

「そんなこと言って、こういう仕事抜きに美味しいごはんは食べれないー、って氷見さんも言ってたでしょ?」

「なんだかあなたはずいぶん馴染んでるのね……ユニフォームもお似合いよ……」

「ねえねえ綾織さん、朝はパン派? ごはん派?」


 名古屋先輩は、不満を繰り返す小倉先輩をあしらうようにしながらふいにわたしへ向き直った。その目はきらきらと純粋な輝きに満ちている。


「え? えーっと、ごはん派ですね」

「あ~やっぱり? そうじゃないかなあって思って用意しておいたの。はい、これどーぞ! いっぱい食べて大きくなろうね?」


 そして差し出されたのは確かに白米、なのだが、茶碗に収まってはいなかった。お子様ランチのチキンライスのように、平皿へ山のかたちに盛られていたのだ。しかし山と言うには小さすぎ、二つの山に分かれていて、てっぺんに小ぶりのカリカリ梅がちょんちょんと一つずつ載せられている。


「盛りつけは綾織さんをイメージしながらしてみましたあ! 昨日拝ませていただいたぺたぺたお胸とかわいいちくびの再現度がすごいでしょ? わたしはあれもだいすきだけど、いっぱい食べておっきくなってもいいと思……」


 最後まで言い切るより早く、小倉先輩の鉄拳が飛んできて名古屋先輩の白い頬にめりこんだ。


「あなたはまたそんなことばっかり言って!」

「痛ぁ……なによいいじゃん」

「いいわけないわ! 綾織さんの良いところはあのサイズ感にあるというのに大きくなる必要なんてないでしょう!」


 そこじゃないんです。助けてくださってありがとうございます小倉先輩でもそこじゃないんです。という訂正をしようかとも思ったが竹刀を振り回す音が再び迫ってきていることに気づき、流れる列に紛れてそっと離れた。


「綾織さんおはよう!」


 窓際のテーブルでは、いつもの三人が集まっていた。背後で聞こえる氷見さんの「オラァお前らなにしてやがる! しっかり働けぇ!」という言葉と先輩たちの悲鳴は聞こえないふりをして、着席する。


「綾織さんはごはん派なんですねぇ」

「やっぱりな! パンより直接エネルギーになるからな! 日本人は米だよ! こはるたちもパンなんかやめればいいのに」

「そんなの関係ないよおパンはおいしいもん、ねぇ赤羽さんもパン派でしょ? なんとか言ってよー!」

「わたし、このクロワッサンというもの初めて食べるのですがたしなみが分からなくて……この皮の部分は剥くべきなのでしょうか?」

「ちょっと待てクロワッサンの皮ってどこだよ!」


 出会った翌日というのに、やはり寮という場所においての親密度はすごい友人たちの笑い声を聞きながら脂ののった鮭に箸を入れていると、ふと青梅さんが呟いた。


「そういや部屋のデスク見た? なにあれ?」


 どうやら皆、同じものに気づき、同じ疑問を抱いていたらしい。


「あぁ、そういえば朝起きたらボードに『13pt』って書いてあったね。なんだろうね?」

「え? こはるは13だったの? わたし『12pt』だったんだけど」

「ちょっと待って、わたしなんか『11pt』だよ」


 詳細は分からずとも、とにかく新入生は自分と同じ数字が表示されているのだろうと考えていたのはわたしだけでなかったようだ。混乱する三人に、赤羽さんはため息をつく。


「みなさん、寮のシステムを聞いていなかったのですか?」


 青梅さんと葛西さんとわたしはそれぞれきょとんと顔を見合わせた。すぐ赤羽さんが「ああ、皆さんはまだいらしていなかったときに話したかもしれません」と呟いてから改めて語り始める。


「あれはこの学園内で自動的に集計されていく『学園生活ポイント』ですよ。夜0時に集計され、翌朝には各々のデスクで確認できます。はじめに支給される10ポイントのほか個人の行いによって増減しますが、0ポイントを下回ると罰があるそうです」

「えぇ、罰……ですか……!? どんな罰なんですか……!?」

「詳しいことは明言されなかったのですが、昨夜の夕食時に先輩方が『もうすぐ0ポイントになってしまいそうで怖くて眠れない』『早くどうにかしないと、0ポイントになることは死ぬより怖い』と話されていました」

「死……!?」


 葛西さんはその言葉だけで卒倒しそうに蒼ざめてしまった。純粋な彼女にとって、その言葉はあまりに強い衝撃をもたらしたのだろう。青梅さんは納豆ごはんを飲みこんで、話を続ける。


「でさ、そのポイントってどうやって貯めて、何したら減るわけ?」

「それもやはり、具体的には明かされていません。ただ、氷見さんが繰り返されていたのは『良い行いは加点、悪い行いは減点に繋がる』ということです」

「はー? アバウトな話だなー……」

「なのでまずは先輩方に話を聞かせていただき情報収集をしながら、様々な行いを試して翌朝を待ち、増減したポイントを確認しながら法則を見出していくのが最善かと」


 赤羽さんは己の論理を淡々と語り、彼女いわく『皮つき』のクロワッサンにかぶりついた。咀嚼しながらふと顔を上げ、わたしを見る。


「……なんですか?」

「ん、なにが?」

「いや……なんでもありません」


 赤羽さんは視線を逸らしまたクロワッサンにかぶりつく。その頬は赤くなっていて、どうやらわたしの視線が原因らしい。

 

 わたしは無意識下で、目の前の表情を少しも動かさないまま論理を組み立てる赤羽さんと、昨夜暗がりの中で涙を流しながら弱さを吐露した赤羽さんを重ね合わせようとしていたのだろう。目が合って顔を赤くした赤羽さんにようやく昨夜の現実味を覚え、かえって昨夜が特別な時間であったことを強く意識した。


「綾織さんと赤羽さん、なんか……」


 ふいに葛西さんが口を開きかけたとき、突然背後から見ず知らずの生徒がそれに被せるように声をかけてきた。


「綾織さん、よかったらこれいかがですか!?」

「え……え?」

「食べきれないんでもらってください!」


 見ず知らずの――幼さの残る顔つきからきっと新入生と思われる――生徒は、テーブルに白い小皿を置くとそれ以上何も言わず足早に去ってしまった。小皿には、ピンクと水色と黄緑色の、みっつのマカロンが載っている。


「なにこれ……? 朝食にマカロンなんてあるの……?」

「そーいやわたしが来た時まだあんまり人がいなくて、そんときはメニューがいっぱいあったな。人気のやつからどんどん無くなっていったみたいだけど。こういうお菓子とかもあった」

「ええ、もったいない! ちかげちゃんももいろんなもの食べればよかったのに!」

「朝は白米と納豆と味噌汁、プラス魚と野菜と卵。これが一番調子いいんだよ」


 そしてそれを皮きりに、テーブル周辺にいつの間にか集まってきていた生徒たちが一斉に自己主張をはじめた。


「綾織さん良かったら召しあがって!? カフェテリアの一番人気のバナナホットケーキ!」

「いえ綾織さんごはんのお供にぜひこれを! 毎朝限定1個の福岡めんたいこなの!」

「いやいや野菜をちゃんと食べないとね! ほうれん草がたっぷり入ったキッシュを食べて!」


 各々がおすすめの品をプレゼンしながらテーブルに並べていったので、広いテーブルがあっという間に華やいだ。生徒たちが立ち去ったあとに残るのは、溶けていく生クリームと冷めていく料理と、残念ながら満腹のわたしだ。助けを求めるように三人を見る。


「わたしお腹いっぱいだから、良かったら食べてほしいんだけど……」

「いや、食事は決まったものにしないと体脂肪率のキープが難しいから」

「これはマカロン……というのですか? こんなに鮮やかな色をしている食品は見たことがありません恐ろしいです」

「わたしは……ごはんもスイーツも大好きですけど……さすがにこんなに食べたら太っちゃうし……」


 なんて贅沢な悩みなのだろう。中学生のときなら、朝食に豪華な食べ物を与えられても満腹なので食べられない、なんて状況想像もつかなかっただろう。しかし箸を握りしめたまま、動かすことができず途方に暮れてしまう。


「あれー? 食べないの? お残しは減点に繋がりますからねぇ」


 そこへやって来たのは名古屋先輩だった。とっさにカウンターを見ると、割烹着姿がよほどの屈辱であるらしい小倉先輩と氷見さんが、胸倉を掴み合って言い争っていた。きっと名古屋先輩は、どさくさまぎれにそっと逃げてきたのだろう。


「貰いものを残しても減点されるんですか……それはほんと困る……!」

「自分が食べれないなら人にあげればいいのよ?」

「でもこんな量みんな食べられないじゃないですか……!」

「じゃあわたし食べちゃお」


 そして名古屋先輩は、マカロンもキッシュもホットケーキも、スナックを頬張るような気軽さでぽいぽいと口へ放りこんでしまった。そうだ、氷見さんの話を聞くだに先輩は朝食を食べていないのだ。その潔い食べっぷりに唖然としていると、ふいに箸を奪われぷりぷりのめんたいこも先輩の口へ放りこまれてしまった。


「ちょ、ちょっと、人の箸つかわないでください!」

「いいじゃなーい、キスまでしちゃった仲でしょー?」



 食事をしながら、ついでに開き直るような名古屋先輩の言葉は、まったく別の問題まで引き連れてきた。なんなんだこの人、歩きながら笑いながら爆弾を振りまくような人。



「誤解を生むようなこと言わないでください!」

「えー? はだかで抱き合ってキスしたよね、昨日の夜……あっそっか、二人だけの秘密だったね。じゃあ黙っておくねごめんね!」

「あーあーあーうるさいうるさいうるさい!」

「大きな声出さないでよー、つまみ食いしてること氷見さんにバレちゃう。大きな声を出すのはベッドの中だけで……」

「うるさーい!!」


 かき消すために叫ぶと、氷見さんがカウンターの内側からこちらを見た。カウンター越しの眼光と目が合った名古屋先輩は小さい声で「やば」と呟き、箸をくわえたまま逃げだした。「待てゴルァ!」と、氷見さんもすかさず後を追う。


 二人が廊下へ消えていくとカフェテリアはとたんに静かになり、テーブルには食いつくされた空の皿が並んでいて、気づくとわたしは周囲の疑わしげな視線の中心にいた。


「ご……誤解だからね!?」


 名古屋先輩が残した不穏な空気を断ち切りたい一心で、誰に向けるでもなく言ってしまう。目の前の青梅さんと赤羽さんは、目をぱちぱちさせ、半分固まったまま口を開いた。


「あ、ああうん。プライベートなことにはなるべく踏みこまないようにするよ」

「さすが綾織さんは、人生経験が豊富で羨ましいです……」

「ちがうってば!!」


 否定したいし説明したいが、何か言うごと余計にややこしくなる気がして途方に暮れてしまう。



 そこでふと、気がついた。葛西さんの表情。



「……こはる?」

「え、あ、うん。ちょっとトイレ行きたい」

「あー、わたしも行ってくるわ」


 青梅さんに声をかけられ、葛西さんはいつも通りの表情にもどった。そして席を立っていくふたりの背中を見送りながら、頭の中にこびりついた葛西さんの表情を反芻する。白い頬がさらに蒼白に変わり、やわらかく揺れていたはずの瞳が黒く濡れて知らない人に成り変わっていた。


 というのはあくまで一瞬覚えた違和感にすぎない。きっと見間違いだったのだと独り合点し、テーブルの上に並ぶ空いた食器を重ねる作業をはじめる。


「……このあいだに片付けしようか」

「そうですね」


 赤羽さんの手も借りながら大量の食器を返却口に戻しにいく。なんせ皿の量が多いので、バケツリレー方式で協力しながらせっせと片付けていき、ようやく終わって一息ついたところで、またも知らない生徒に声をかけられた。


「あの、すみません。ちょっといいですか?」


 振り返って見た生徒は二人組で、いかにも重要な問題を切りだす直前の緊張感を持っていたので頭が痛くなった。どうやって先ほどの名古屋先輩の発言を説明すべきかと咄嗟に考えていたが、彼女たちが意を決したように力みながら口にしたのは、まったく別のことであった。


「もしかしておふたりはお付き合いされているんですか?」

「は……?」


 てのひらを天井へ向けた謙虚な指先で指し示されたのは、わたしと赤羽さんのふたりであった。あまりに予想外であったため口を開けなくなってしまったわたしの代わりに、赤羽さんの勢いある言葉が降りかかった。


「な、何言ってるんですか!! そんなわけないでしょう!! 良いお友達をさせていただいているのです!!」


 真っ赤になって言ってしまえばなんだかそれもそれで不健全な気もするが、二人組は赤羽さんの切実な声に気押されたのかそれ以上追求することはなく去っていった。赤羽さんはいまだ火照ったままの頬に手を添えながら首をかしげる。


「まったく……どうしてそんな噂になるのでしょう……?」

「そうねぇ。なにかそう思われるようなことって……」


 思い浮かんだのはひとつだけ。昨日の夜――中庭で涙ながらに話をしたことくらいだろうか。確かにあの光景は、喧嘩かそうでなければよほど親密な関係にしか見えなかっただろう。


 そのとき、葛西さんが帰って来た。青梅さんの姿はなく、ただひとりで、まっすぐわたしたちへ向かって、そしてやっぱり見間違いでなかった、厳しく険しい表情をしている。


「おかえり。あれ、青梅さんは……」

「綾織さん聞きたいことがあります」

「ど、どうしたの……?」

「赤羽さんとふたりで、中庭でこっそり会っていたって本当ですか?」


 こちらの言葉に耳を貸すひまもなく切り出した葛西さんの唇は震え目には絶望が浮かんでいる。質問をしながら、どんな解答も許さないような目の奥に、初めて見る人が居た。



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