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第四話 蒼ざめた我を見よ


 六時を回り、静かに静かに、華やかな地獄がはじまる。 


「おなか……すいた……」


 九時までは夕食の時間になり、生徒たちは学年関係なくカフェテリアに集まって食事をとり、そこで交友関係を広げるのだろう。わたしはと言えば、自室でラフなシャツとジャージ姿に着替え、ベッドに寝転がり天井を睨むばかり。


「ねぇ」

「……」

「ねぇってば!」

「……わたし?」

「あなたしかいないでしょ。ね、汐留さんは夕食たべに行かないの?」

「……食べたくなったら食べに行くわ」


 汐留さんは机に向かい読書をしていて、背中に声をかけても顔さえ上げずに言うだけだ。相変わらず冷静な対応。こちらは窓を開けるだけで階下の料理の匂いや賑やかな空気を感じて侘しくなるため、三時間をひたすら潰すしかないと言うのに。そのうちにとうとう耐えきれなくなり、部屋を出て飲み物を求め同フロアのロビーへ足を向けた。


「綾織さん」

「あ、こんばんは」


 ロビーの自動販売機には先客がおり、それは先ほど挨拶をした名古屋先輩だった。先輩は炭酸飲料を購入して、プルタブを空けながら不思議そうな顔をした。


「あれ? 新入生の子みんなごはん食べてるよ。行かないの?」

「いや……実は今日氷見さんに怒られて食事抜かれちゃって……」

「あぁ、氷見さんは厳しいからねぇ。わたしも何回か食事抜かれたことあるよ」

「そうなんですか! 何回もあったら耐えられないかもしれないです……今もどうやって空腹を紛らわせようか悩んでて」

「はは、つらいよねぇ。それなら今のうちにお風呂入ってきちゃえば?」

「お風呂?」

「そうそう。夕食が済んでしばらくすると大浴場ってすごく混むの。今なら空いてるはずだから」

「今入ってもいい時間なんですか?」

「そうよ」


 正座のまま聞いた講習にて、寮の最上階に大浴場があるという説明を受けていたが、氷見さんがその話題出した瞬間のざわめきに気をとられきちんと聞くことができていなかったのだ。「大浴場……だと……」「え、え、それって、え、は、裸になるんだよね?」「ということは……」などという言葉とともに湿っぽい視線を一斉に浴び、居心地の悪さに氷見さんの説明も右から左へ抜けていった。


「それにほら、王子様の噂があるでしょ? あんなの気にしてないって人ももちろんいるけど、熱烈な人はすごいからねぇ。わたしのクラスメイトでも、本当に好きになっちゃいそうだなって人もいるし」

「そ、そうなんですか……」

「綾織さんが混んでる時間にお風呂行くのはなんか、ねぇ?」


 名古屋先輩は炭酸飲料を飲みながら目もとだけで微笑む。はじめは意味が分からなかったが、トラブルを心配して早めの入浴を薦めてくれているのだと気づいて頬が赤くなった。


「ふふ、大きなお世話って感じかもだけど」

「いえ! お気づかいうれしいです」

「いーえ。あっという間に混み始めるから今がチャンスだと思うよ?」

「ありがとうございます!」


 わたしはジュースを買う暇も惜しんで自室へ戻り、入浴に必要な一式をつかんで階段を駆け上る。なんて優しい先輩だろう、ようやくまともな人に出会えた。そんな喜びに胸を高鳴らせ、わたしは大浴場を目指した。



 我ながら呑気な人間だったと、今となっては思う。



----------------



「ほんとに誰もいない……」


 脱衣所にはやわらかく上質な畳が敷き詰められ、浴質は清潔で高級感のある黒のタイルで囲まれている。さらに名古屋先輩が言っていた通り誰もおらず、タイルも桶もさっぱりと乾いていた。


「気分いいなぁこれ!」


 旅館に見劣らないほど立派な設備を一人占めできることなんてなかなかない。壁沿いにぐるりと配置されたシャワーブースのど真ん中を陣取り、熱い湯をがんがん出しながら髪や身体を洗っていくと、気分も高揚してベタながら鼻歌もこぼれる。そのとき、脱衣所と浴場を分けるガラス戸ががらりと開いた。


「あれ、せんぱい……」

「こんばんはぁ」


 入ってきたのは名古屋先輩で、大きな白いタオルで前を隠しながらわたしの隣りへやってきた。そうか、バスタオル――綺麗で広い大浴場に浮かれて、つい置いてきてしまった。とたんに胸もとや、へその下が涼しく感じられるようになった。


「心配だったから見に来たの。ついでに、清掃中の看板も出してきたから誰も入ってこないと思うよ」

「そこまでしてくれたんですか!? ありがとうございます! 初日からこんな大きなお風呂にゆっくり入れるなんてうれしいです」

「そ? 感謝してる?」

「はい! 先輩のおかげで……」

「そう、感謝してるのねぇ」


 その瞬間、熱い湯から立ち上る蒸気を感じているのに、なぜだか寒気を覚えた。身体が冷えてしまったのかもしれない、早く湯に浸かろうと泡を流して立ち上がると、名古屋先輩に腕を引かれ前のめりになった。


「な、なんですか……?」

「ね、どのくらい感謝してる?」

「え? あ……えっと、すごく」

「ふぅん。先輩によくしてもらったときはちゃんとお返ししよっか?」

「え、あ、ありがとうござ……」


 つかまれた二の腕に、ぴりぴりと緊張と痛みが響く。振り返って見た名古屋先輩の目は、様々な感情がいっぱいにつまり渦を巻いているために深く、重く、まるで読みとれない色をしていた。それが第一印象とあまりにかけ離れたものだったので混乱しているうち、いつの間にか迫っていた名古屋先輩のくちびるがついにわたしのくちびるに重なってむにゅりと特殊な感触がぶつかった。


「――っっ!!?」


 思わず顔を背けた拍子に、わたしは足を滑らせその場に尻もちをついてしまった。むきだしの尻にタイルの硬さは直に響いたが、痛みに顔を歪めるひまもなく両足を開いた姿勢になっていることに気づいて足を閉じ、名古屋先輩を見上げる。


「ちょ、な、なにするんですか!?」

「ん……やあらかいくちびる……かあいいねぇ……」

「は……!?」

「あやおりさん、おくちぷにぷにかわいいねぇ。ちゅっちゅしたくなるおくちだねぇ」

「な、なに言ってるんですか先輩……!」

「パパとママのとこ離れてさみしいでしょ? わたしに甘えていいのよ、まんまもねんねも一緒にしようね?」


 突然子供に語りかけるような口調に変わった名古屋先輩はしゃがみこんで、やはり子供にするようにわたしと目線を合わせ微笑む。名古屋先輩はいつの間にか前を隠していたタオルをとっぱらっていて、それまで服の内側に隠されていた白くもっちりとした胸も、先端のピンクの突起もあらわになっていた。わたしは尻とてのひらでずりずり後ずさりをしながら、どうにか拒否の姿勢をあらわすため必死に首を振る。


「あれれ、どこ行くの? ひとりじゃからだ洗えない? しょうがないなあ手伝ってあげるね」

「わたしそろそろ出ますから……!」

「なに言ってるのぉ。まだあったまってないでしょ? からだ冷えてるもの。風邪ひかないようにあっためてあげるからね」

「あ、あの、こういうのよくないんじゃないですか、人が来たら誤解されますよ……!?」

「人なんか来ないよ? 清掃中の看板出してあるもん。だからずーっとふたりっきり」


 正しい人だと思っていたのに――いや、正しい人だからこそ、名古屋先輩はずるささえ持ち合わせていたのだ。知らないあいだに逃げ道を塞がれ、いよいよ言葉を失ってしまう。名古屋先輩がにじり寄り距離をつめるたび、先輩の荒く乱れた吐息が冷えた首をくすぐる。



「遠慮しなくていいのよ、綾織さん」

「遠慮なんかしてな……!」

「もーっと『よく』してあげるからねぇ?」



 先輩を構成する、やわく、甘く、しとやかな要素のすべてが、一瞬のうちに怖くて奇妙でたまらなくなってしまった。



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