第十七話 砂糖菓子の弾丸に撃ち抜かれた
カフェテリアの窓際の席で、いつもの四人で朝食をとり空いた皿を片づけたあともしばらく談笑にふけっていた。こはるちゃんはあちこちへ飛んでいく話題とともにころころと表情を変えながら楽しげに話していて、ちかげちゃんはそんなこはるちゃんをなだめながら前よりもずっと露骨に荒い語感をつかいこなしている。しのちゃんも今日ばかりは「清掃をしましょう」「片づけましょう」とは言わず、笑いながら彼女たちに付き合っている。
「ちょっといいかしら?」
そこへ顔を見せたのは小倉先輩だった。正面に座っているちかげちゃんの顔色が変わり、隣にいるしのちゃんも一瞬で緊張したことがわかったので、わたし自身もそうした感情を無理に隠すことはやめた。
「……すみませんわたし今忙しくて忙しくて手が離せないので……」
「そうなの? わたくしとお話する時間も作れないほど忙しいようには見えないけれども」
「どっから来るんすかその自信」
朝一番でありながら巻き髪もメイクも身だしなみ完璧な小倉先輩は、右手に赤い小さな紙袋を持っていた。セレブさまは朝から優雅にどこかへお出かけなのだろうかなどと考えていると、ふいにその袋の中からなにかを取り出し、わたしの目の前に差し出した。上品なコバルトブルーの包装紙に、淡いトーンのリボンがかけられた細長い小箱だ。見上げた小倉先輩は、よく見るとはりぼての自信の裏側に戸惑いの色を隠している。冷たい指先で、箱をわたしの手に握らせた。
「良かったら皆さんで召し上がって」
「……受け取れません」
「どうして? パリの名匠が手掛けた、一日限定一点のみのマカロンなのよ?」
「いや……どこの誰が作ったとかはどうでもよくって、理由もなく受け取れないんですそういうもの」
「理由ならあるわ。詫びの品だもの」
「詫び?」
「先日、綾織さんにもお友達にもずいぶん下品なことを言ってしまったでしょう。侮辱するようなことも含めて。それを謝罪したいのよ。だから受け取って」
「……」
「別に、捨ててもらったっていいのよ。ただ受け取ってもらいたいの。本当にごめんなさい」
小倉先輩は立ち去り際、両手を前で重ねてふかぶかと頭を下げた。きれいな髪を揺らして甘い匂いをあたりに残し、静かに立ち去っていく。一触即発の空気は強制終了、脱力感が残る。
「……なんだよ、しおらしいんだな」
「緊張しましたね……やはりセンパイというものは目の前にいるだけで高圧感があるんですね……マンガの中でも暗めのトーンでいつも影を背負っていたのを覚えています……」
「ねぇ、なっちゃん。それ捨てちゃうの?」
去っていった小倉先輩への印象を語るふたりにまぎれ、マイペース極まりないこはるちゃんはと言えばわたしの手に収まった小さな箱に目を奪われている。
「いや、いや別に、問題はないと思うようん。なっちゃんがもらったものだからすべての判断はなっちゃんに委ねられてるっていうか! うん、いやもうその通りでそれ以上でも以下でもないんだけどでもわたしは、わたしはね? わたしはですよ? どんな人から受け取ったものであれ食べ物を捨てるっていうのはなんだかちょっと抵抗があるっていうかなんていうか、ほらあれです家庭の教育で食べ物は魚の皮でもブロッコリーの茎でも粗末にできないように育てられてきたから気になってしまって、もし、もし本当にいらないのであればわたしは処分のお手伝いができるとおもうの!」
明らかに興奮を隠し切れていないこはるちゃんの前で、そっとリボンを解き包装紙を剥ぐ。ジュエリーボックスのような蓋をゆっくりと開けると、光沢ある金の中敷きの上に彩り鮮やかなマカロンが等間隔に五つ、整列していた。
「わー、高そうなやつだね~」
その場にいた全員が感じたであろう率直な印象は、その四人の誰でもない人の口から洩れた。いつの間にか、どこからともなく現れた人は、テーブルに顎と両手をちょんと載せわたしたちの会話に参加していた。
「うわっ、びっくりした、名古屋先輩なにやってんですかこんなとこで!」
「小倉ちゃんがあんまり元気ないから心配して見に来ちゃった」
「心配って感じじゃなくないですか……」
「いやいや、心配してるよほんとに。綾織さん、あの子の腕を乱暴に振り払ったんだって?」
「え!? いや、そんなことしたつもりは……!」
とっさに否定してしまったが、心当たりがひとつ――先日の、トイレ清掃時の一件だ。身体を動かせないフラストレーションと、こはるちゃんとの間でのもつれで荒っぽくなっていたちかげちゃんは、先輩の馬鹿にするような言葉と強引さに激怒した。それはまあ稀にみる激しい怒りで決して軽くも細くもやわらかくもないデッキブラシの柄が知らないあいだにあまりに見事に真っ二つになっていたほど。しのちゃんは顔を真っ青にして「ひ、ひあぁ……」と小さく呻き、そのまま足をがくがくさせてお漏らしをしてしまうのではと心配になるような怯えっぷりで、それは小倉先輩も当然人ごとでないのだった。
「なんなんだ偉そうに」「お前知らないだろ」「綾織さんのことを本当に思ってたらそんなこと言うわけない」その他いろいろ、とにかく強い調子でまくしたてたちかげちゃんはデッキブラシもゴム手袋もびしゃびしゃのタイルの上に投げつけトイレを出て行った。
わたしは、すごくすごく爽快な気分でちかげちゃんを追いかけた。足の速い彼女が少しのためらいのあいだにも遠くへ行っていることに気付いていたから、ほとんど振り向きもせずに先輩の手を、たぶん「乱暴に振り払った」のだと思う。覚えてないけど。
「小倉ちゃん、それがそうとうショックだったみたい。綾織さんの前では上品で汚れない憧れの先輩、っていう風に振舞っていたかったつもりだから、必死になって周りのお友達から奪おうとしたのに裏目に出ちゃって、さすがにやりすぎたって反省したんだろうねぇ」
「そう……なんですかね……」
「菓子折り持って謝りにくるなんて健気よねぇ、許してあげて? それにしてもこういうお菓子とかってどこで仕入れてくるのかねぇ? パリのなんちゃらのかんちゃらでしょ?」
「あぁ、前にお父さんが差し入れてくれるって言ってましたよ」
「えー? あの賭博馬鹿の50代ニートのお父さんが?」
「……え?」
「うちのバカ親父と小倉さんちのお父さんってお友達なんだけど、二人とも酒も女も賭博も好きで、どっちもまあまあのクズなのよねぇ。父親同士が出会った場所も競艇場だって言うし。わたしはそういう奴なんだなー、って思ってるんだけど、小倉ちゃんはお父さんに対して抱えてる気持ちが大きいみたいだから見栄もはっちゃうもんなのかねぇ。とにかくそういうものを総動員させてでも、綾織さんの気持ちをたぐり寄せたいんだと思うから許してあげてねっ」
「……そんなこと、本人がいないところでべらべら喋っちゃっていいんですか?」
「あー、だめかもねぇ」
「いや、だめかもねぇじゃないでしょ個人情報だだもれじゃないですか」
「だーいじょうぶ大丈夫だいじょうぶ! いつもみたいにぶち切れられたらチュ! って唇ふさいであげるだけで喜んで大人しくなっちゃうから小倉ちゃんは」
「え……!?」
「ははは、うそだよ~。もー綾織さんったら本気にしちゃってかわいいねぇ。ん? ちゅーしてほしいの? それならそう言ってくれればいつでもしてあげるのにー。んー! ちゅー!」
「やややめてください!」
「うそうそ。そんな怖い顔しなくっていいのよぉ。じゃあね~」
去って行く名古屋先輩の背中を見ながら怖い顔なんてしていただろうか、と首をかしげていたのだが、顔をあげると正面、隣、斜向かいの三人は確かにそれぞれ目を見開き吊り上げ血走らせ、怖い顔をしていた。わたしの視線に気づくとすぐ普段通りのやわらかさを取り戻す素早さに少し狂気性さえ覚える。
「やば……僕も素が出ちゃった」
「なんなのあの人~! なっちゃんにちゅっちゅしようとして! ずるいー!」
「センパイはやっぱり怖いですね……勇気を持って立ち向かわなければ……」
女の子がどこかぴりついたときのための、大事な潤滑油はわたしの手の中にあった。ぶつぶつと言い合う三人をまとめるべく、テーブルの中心にきれいなマカロンが収まった箱を置く。
「とりあえずコレ、みんなで食べようか? もらっちゃったし」
「い、いいんですか……? わーいたかそー! あまそー! おいしそー! ありがとうなっちゃん~!」
「それにしても、わざわざ菓子折りを持って謝罪だなんて確かに律儀ですよね、タムロのセンパイにも人の心があるのですね、安心しました」
「え? あの人タムロ先輩っていうの?」
ちがうよ小倉先輩だって何回か教えたでしょ、と言う暇も挟まず、ちかげちゃんは淡々と話を続けていく。
「でもわかる気がするなあ。自分のだめなところを見せちゃった相手って、なにをどうしたって繕いたくなるよね。僕はかっこ悪い人間だけど見捨てないで、って、そのための菓子なら安いもんなんじゃないかな」
名古屋先輩の話を聞くだに、ちかげちゃんと先輩のあいだでは物の価値、とりわけ価格というもののとらえかたはずいぶん違いそうだが、共感できるところが見つけられたらしい。体力作りのために食べ物にはこだわりの強かったちかげちゃんも、薄桃色のマカロンをつまんで口へ運んだ。
「あ、美味しいなこれ。タムロ先輩いいもの知ってるな」
「いやだからタムロ先輩じゃないんだって……」
マカロンは確かに美味しく、前歯で噛むとさっくりと軽い口当たりとともに繊細な生地が崩れ、奔放な先輩に親近感を覚えた。自分でもよく説明のできないタイミングだ。「あああ~おいしすぎるよぉ~」「こ、これは革命ですね……!? もなかかと思ったらそうでもなく、形容しがたい感動です……! す、すごすぎる……!」などそれぞれの感想を交えながら気に入った色のマカロンを味わっていると、ホームルーム開始まではまだ少し時間があるというのに頭上で鐘が鳴った。
『生徒の呼び出しです、高等部一年綾織なつさん。綾織なつさん。至急職員室まで来てください』
聡明そうな、知らない女性の声だった。あからさまに不穏な気配。同じテーブルの三人も、周囲を通りがかった人たちでさえも同じ気配を感じたのかわたしを振り返って見ている。
「な、なにしたんですかなっちゃん……!」
「なんかやらかしたの?」
「なつさん……人には誰にでも過ちがあるものです、誠意を持って謝れば許してもらえるんですよ」
「なんもしてないってば!」
やめてほしい。案外びびりなんだからやめてほしい。小学一年生から続く学生生活の中で、放送での呼び出しは初めての経験だった。しかも授業が始まる前、朝一番。やめてほしい泣きそうになる。
「し、失礼しまーす……」
「あー、きたきた王子のご来場~」
緊張しながら職員室のドアを開けると、そこで待っていたのは緊張感もなにもない毎日見ている人だった。わたしを見つけ子どものようにぶんぶん手を振っている先生のデスクへ近付く。
「さっきの放送って千駄ヶ谷先生ですか?」
「ん? そーよぉ。なんで~?」
「いや、声が違った気がして……」
「うそ! うれし~! やっぱり効果あるんだあ~!」
「……効果?」
「これこれ!」
千駄ヶ谷先生は雑誌だとか写真だとかその他およそ学校運営にも授業にも無関係そうな私物ばかりが広がるデスクから、色んな書類が乱雑に積み上げられたタワーの一番上に置かれていた一枚のチラシを手にとり、わたしの目の前に広げる。チラシにはやはり、というべきか否か、先生が反応を禁じ得ないあのワードが散らばっている。
「インターネット経由の一日60分のレッスンで、ズェンヌ顔負けの女優になれるっていう特別講座! 発声練習から演技指導まで、元ダガラズガ講師の方がみっちり指導してくれる特別レッスンなの~! 最近毎日これでズェンヌの発声方法と滑舌矯正トレーニングやってるから、学内放送でも効果が出てるんだね~うれし~!」
「こ、これ……価格……ほんとうにこの値段なんですか……」
「ん? そうだよ。一か月たったの十万円! これで少しでもズェンヌたちに近づけるなら惜しみません!」
「うわー……大人ぁ……!」
大丈夫なのぼったくりじゃないの少なくとも非公式でしょ、と言いたくなってしまうがすっかり気をよくした千駄ヶ谷先生はエヘンエヘンと喉を鳴らしながら「マママママ~」という小学校の音楽の授業でさえ習った発声練習を得意げにはじめてしまう。
「で、呼び出したのはなんでですか?」
「いやいやそれはあとでいいからとりあえず一緒にこのDVD見よう? 発声方法とかセリフ回しも意識して見るとすんごい参考になるから~!」
「そんな理由かよ帰りますよわたし!」
「ちえ~ケチ~」
千駄ヶ谷先生はくちびるを尖らせながら、チラシやDVDをその場で片づけて改めてわたしへ向き直った。本題はきっちりとしたもの。しかし怯える必要はなにもないようなもの。
「呼んだのはね、部活についてのお話がしたくて」
「あー……」
「もう仮入部届けもほとんどの子から回収して、あとはあなたただ一人なの。朝から放送で呼び出すなんて申し訳ないけど、なるべく早く提出してほしくて。どう? 入りたい部活、決まった?」
「あの……実はまだゆっくり部活動見学できていなくて……」
「うちの学園は寮制だし立地柄ほかに近くでできる活動もないから、新入生にはなにかの部活に必ず入ってもらうことになっているのは知ってる?」
「はい……すみません」
「とは言ってもねぇ。この状況でなにか部活を選べっていうのも酷だとは思うんだよねぇ」
「え?」
「だってさぁ、どこの部活も綾織さんを獲得したくて血眼になって、勧誘も日ごと露骨に激しくなっていったじゃない? 最終的にひーちゃ……氷見さんが他の活動を促して終息はしたんだけど、あのまま放置していたらみんな力づくででも自分の部活に入れようとしたと思うの」
「そ、そうですかね? そこまでしますかね」
「案外みんな自分勝手っていうか、大人なんだか子供なんだか……プライベートの時間はお互い尊重っていう暗黙のルールに則ってはいるけど、だからこそ授業や部活でどうにかして綾織さんと近づきたいんだよねぇ。あなたも大変だと思うから、早く部活決めなさい! とも言いづらくてね~。もう最悪、ひーちゃ……氷見さんとかほかの先生方には黙ってるから仮入部届け白紙で提出したっていいよ? 周りの人には『混乱を避けたいから非公開にしてる』とか言っちゃえばいいし」
くちびるに人差し指を当て、にしし、と笑う千駄ヶ谷先生のいたずらめいた表情は、次の一瞬で消え失せてしまった。
「ゆるふわァ!」
「きゃあああ!」
職員室のドアをふすまかよと言いたくなるほど気持ちよくスパーンと開け放し、大きな声と竹刀を打つ音とともに今日も華麗な登場でありますひーちゃんこと学園の真の主氷見さん。誰かがなにか企めばそれがどんなに些細なことであろうと聞こえているのかと思うくらいいつでもどこでも絶妙なタイミングで登場するのだ。彼女とポイントシステムとその他もろもろ学園のよくわからない点とどれほど密接に関係しているのかはわからないが、いつかのちかげちゃんも漏らした「見張られている」という言葉は彼女の存在で信憑性を増していると思う。千駄ヶ谷先生は飛び出しかけた心臓を手で胸元に押し返しながら、いまだ目を見開いている。
「あ? なんだその悲鳴は」
「び、び、びっくりしたぁ……いきなり入ってこないでよぉ……」
「なんだよ人を着替え中に入ってきた変態みたいに言って。ゆるふわのゆるみちらかした身体なんて見てもなんにも面白くないっつの」
「ちょっとぉ~ついでみたいにディスるのやめてよ~!」
「それにしても、なんださっきの放送は」
「え、えぇ? なんで? だめだった?」
「学園中に響く放送だっていうのに、あんな芝居がかった気色の悪い声出しやがって!」
「な、なんてこと言うのー! いくらひーちゃんでもズェンヌにかかわる問題を馬鹿にすることは許されないんだからねぇ! ひーちゃんはわたしを怒らせた! わたしのことはディスってもいいけどズェンヌのことはディスらないでください!」
「はぁ? ズェンヌの話なんて今してないだろーが、あんたの声がくっそ気持ち悪いって言ってるんだよ」
「だーかーらー! 前にも言ったでしょ今このプログラムでズェンヌに近付いてるんだからわたし! わたしをディスることはズェンヌをディスることなの!」
「うわほんとにこれやってんの? どう考えたってぼったくりだし少なくとも非公式なよくわかんないもんになんでこんな大金出せるんだよ馬鹿じゃないの? あととりあえず落ち着けって最初と言ってること変わってるぞ」
「うーるーさーいーなー! もー!」
(自分の中の)秩序と常識に厳しい氷見さんと、確かに「ゆるい」ために生徒にとっては親近感が強く身近である千駄ヶ谷先生はこうして時折喧嘩をしている。生徒の喧嘩であれば氷見さんが止めに入ってくれるが、氷見さんと千駄ヶ谷先生の喧嘩を止められる人なんているはずもなく、唯一その権力を持っているはずの佐和さんはと言えば今日も学園長室で遊んでいるのか、変な格好で散歩をしているのか都合よく通りがかったりしないし、仮にこの場に居合わせたとしても「おーいいぞいいぞーやれやれー!」と雑に煽るばかりだろう。改めて考えてみるとほんとにとんでもない学園だ。綺麗な外観と女学園という上品なイメージのはったりがなければ運営もままならないだろう。わたしはため息をつきながら、生徒にできる最善の術としてそっと職員室をあとにした。
さて、職員室に呼び出されたのなんて初めての経験、むしろ職員室に足を運んだこともはじめてだ。いまだに広すぎる校舎内には足を踏み入れたことのない場所も多く、ここから自分のクラスまで戻るにもどのルートが最短なのかなんてまるで分からない。そうしているあいだにホームルームがはじまってしまえば遅刻として扱われてしまうだろうから、とにかくやみくもにも歩きはじめる。
「なんかさ、あいつ寮の部屋も個室なんだって。さすがに、は? って思うよね。ちょっとそろそろ本気で腹立つんだけど」
声は空き教室と思われる、何年何組と記す札が下がっていない教室から聞こえてきた。知らない校舎、知らない教室。なんのための場所で誰がなにをしているのだろうと、興味は単純なものでだからこそ後悔はあまりに大きい。軽い気持ちで教室を覗きこむと、いつぞやラウンジでポテトチップスをつまんでいた女生徒三人が、あのときよりも感情的に何か言い合っていた。
「ああ、わかるかもー。ほんっと最近腹立つんだよね」
「ね、だよね? ていうか皆言わないだけで本当は思ってるんじゃないの?」
「それあるよね、絶対あると思うよ」
「わたしだって最初っからそう思ってたわけじゃないしさ。でもなんか少しずつ、あれー? みたいになってきて、今はもうすれ違いざまに顔見るだけでオエーってなる」
「あーめっちゃわかる~。なんかよく見ると顔ムカつくよね? 性格悪そうなのにじみでてるっていうか」
「そうそうそうまさにそれ! 考えてみればはじめっからあんまり印象よくなかったよねぇ」
「そうなんだよねー、でもやっぱ周りが騒いでるからさあ。なんかそれだけで流されちゃった感じ? 別に個人的にかっこいーとかかわいーとかあこがれーとか魅力感じてたわけじゃないしさ。周りがキャーキャー言って気に入られようと必死になってるから自分もそれに乗っかってたけど、よく考えたらそこまでしてあいつに気に入られても別にうれしくなくない? みたいな」
「それ! ほんっとわかる。ちやほやされていろんなものもらったりしても当然、みたいなあいつの対応もシャクだしさぁ」
「今朝も先輩に高そうなマカロンもらってたけど『理由もなく受け取れない』みたいなこと言ってたんだよね。でも結局受け取ってたし意味わからん」
「うっわ、感じ悪ぅ」
「ほんとそう。調子乗ってんじゃねーぞって感じ。特別扱いされることに慣れ過ぎなんだよ」
「もー放送で名前聞いただけでアレルギーでそうなんだけどー、腕かゆいー」
「なにそれやばいうけるー」
心臓の動きが速い。内臓がじくじくと音を立てながら萎んでいく。わたしの足はわたしの心と同じくらい、いやそれ以上にあまのじゃくだからこういう時まったく動かず、理由もなくその場に縫い付けられていた。
「なんかさ、噂なんだけどあいつって学園長の親戚らしくて、この学園に入ったのも入学式でスピーチしたのもコネらしいよ?」
「はー!? まじ!? ありえないんだけど、出来レースじゃん。それで王子とか呼ばれてちやほやされて調子乗ってんの? いい加減にしろよ!」
「まじでむかつく」
「ほんとね、いつかまじでぶん殴りたいわ、綾織なつ」
決定的な言葉とともにようやく感覚が冴えた足は自分でも驚くほどよく動き、わたしは息を切らしながら教室へ戻ることさえ忘れ真っ白になってただただ廊下を走っていた。聞こえた言葉を洗い流すために、食道をせりあがる遠い昔に押し込めた感情をごまかすために。まだ職員室でくだらないやりとりをしているのだろうか。こういうときに限って氷見さんは現れず、わたしは広い学園内で本当の独りぼっちになってしまう。