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第十五話 カラマーレタの穴兄弟

「な、なんか誤解してませんか先輩。わたしたち別になにか用事があって来たわけじゃ……」

「もー、言い訳しないのー。普通トイレに用もなく来ないでしょー?」


 いざという時本当にこれっぽっちも出てこないのだぐうの音ってやつは。赤羽さんはいまだ首をかしげるばかりで、わたしたちのやりとりを理解できていないだろうことに安心しながら、同時に名古屋先輩の自由な唇が決定打をうちやしないかと不安も募る。


「ここのトイレ人が滅多に来ないからえっちなことするのにうってつけ、って有名な話だけど、こんなに早く嗅ぎつけてくると思わなかったなあ。やらしい子に育っちゃったんだねぇ綾織さん。なんだかママは悲しいなー」


 不安はたったの一秒で取り返しのつかないものへ変わる。やたらに身をくねらせ泣き真似までしはじめる名古屋先輩を前に、赤羽さんはついになにかを察し蒼ざめた表情になった。


「ど、どういうことなんですか綾織さん……」

「あ、ち、違うの赤羽さん。先輩はなんか訳わかんないこと言ってるだけだから、連れ込んだとかそういうのじゃないから」

「こんなにお若いお母様がいたんですね……色々と苦労なさっているのでは……?」

「あーもうほら純粋さが斜め上なんだから赤羽さんは!」


 わたしの嘆きを聞きつけたのか、人を受け付けない薄暗いトイレにまた一人誰かトイレへ入ってくる。正しさと厳しさを気品を持ち合わせた人が、似合わない場所へ入ってくる。


「貴女たち、こんなところでなにやってるの?」

「お、小倉先輩こそ……」

「わたしはそこのバカ女を探していたのよ。教室に姿が見えなかったから、まただれかはべらせてるのかと思って心当たりを回っていたらやっぱりここにいたのね」

「やだなー。はべらせるなんて人聞き悪い。もう浮気なんてしないで綾織さん一筋だよ?」

「お黙りクソビッチ」


 ぴしゃりと言い放つ小倉先輩に、名古屋先輩はためらいもなく話かける。バカ女もクソビッチも聞き慣れているのだろうか、先輩二人は仲がいいのか悪いのかも定かでない。


「なんかねぇ、綾織さん、そっちの大人しそうな子をここに連れ込んだみたい。相手の子はここがどういう場所かよく分かんないまま連れてこられたんだって。かわいそうねぇ」

「だ、だから違うって言ってるじゃないですか! わたしたちはただトイレの清掃をしに来たんです!」

「清掃~? なんで?」

「清掃活動を強化するって放送、あったじゃないですか!」

「あ~、なんかあったかも。でもあれって綾織さんを『モノ』にするためのレースでしょ? なんで綾織さんが参加する必要あるの? しかも掃除の必要がありそうな場所なんて他にいくらでもありそうなのに、よりによってここ?」


 淡々と詰め寄られると脳の裏っかわがかさついていく感じ。清掃活動がわたしをどうこうするレースというのはかなり語弊があるけれど、なんで参加するのかと言われれば「周りの人が熱心にやっていたからなんとなく」というぼんやりした答えしか返せないし、なんでこの場所を選んだのかと言われればそれは先導してくれた赤羽さんにしかわからない。



 赤羽さんが何を考えているか、そのとぼけた表情が演技か否かそれさえも、わたしにわかるはずなど。



「あ、もしかして連れ込んだ側って綾織さんじゃなくってそっちの子? 綾織さんは騙されて連れてこられちゃった感じ? それならおねえさんたちと一緒に四人で遊ぼっか~?」



 名古屋先輩は左手の人差し指と親指とをくっつけてできた丸の中に、右手の人差し指をつっこむというあまりにオヤジくさすぎるジェスチャーをしながら、にやにや笑っている。


「そういえば」


 そっと零れた声の静かな調子に、主である赤羽さんを見た。静かで、ぶれも戸惑いもないのが、かえって不自然だったからだ。


「綾織さん、午後は移動教室でしたっけ」

「あ、そ、そうかも」

「今から取り掛かっても片づけの時間を考慮するとほとんどなにもできませんね。別の機会にしましょうか」

「あ、うん」


 ごく自然な様子に面食らう。まるで二人の先輩が視界に入っていないかのように呟き、 実際見向きもせぬままトイレを出て教室への道を歩きはじめたのだ。背筋の伸びた背中を追いかけると、トイレから離れたあたりで緊張も解けたのか、赤羽さんがぽつりと声をもらした。


「綾織さん、ごめんなさい。貴重な昼休みの時間を無駄にするかたちになってしまって。清掃は授業後、場所を変えてやり直しましょう」

「いや、それは全然問題ないけど……」

「もっと事前に調べておけばよかったのですが。でもまさかあのトイレが、センパイガタムロスル場所だったんて――」

「……え?」


 まったく予想していなかった言葉に、思わずすっとんきょうな声が漏れる。赤羽さんは制服の胸元をきゅうっと握りながら言い募った。


「しょ、正直なことを言うとすごく怖かったのですが……何事もなく帰ってこられて本当に良かったです。実は一度、母の目を盗んで少女マンガを読んだことがあるのですがひと気のない場所には怖いセンパイガタムロシテイルことをそこで学んでいましたので、冷静に対応したつもりです。マンガからも学べることはあるのですね……!」

「あ、赤羽さん……」

「綾織さん、もう怖がる必要はありませんよ」


 使命を遂げさっぱりとした表情からも、元来の性格からも、その言葉が本心であることを想像するのはたやすかった。緊張の糸が一気にとれ、脱力してしまう。


「い、一緒にいたのが赤羽さんでほんとよかった……!」

「え……!?」

「ちょ、ち、違うから! そういう意味じゃない! 頬を赤らめるな! またすぐ噂になるんだからこういうのが!」


 その日の午後、低気圧が街を侵して雨が校舎を濡らした。季節柄か、標高の高い土地がそうさせているのか、入学以来晴れも雨も曇りもいつも平等にわたしたちを襲う。とは言え登下校という習慣から切り離されたわたしたちにはほとんど関係ない。一部の人を除いて。


「あーっ身体動かしたい!」

「青梅さん、もうどのくらい部活できていないのですか?」

「なんだかんだで一週間くらい……晴れの日もあったけど、グラウンドが湿ってたから結局できなくって……あーもうなまってしょーがないよ!」

「わたしも今日は部活のない曜日なので放課後に清掃活動をするつもりなのですが、よかったらご一緒にいかがですか? トイレ掃除も思い切りやると疲れるくらい運動になるんですよ」


 授業が終わり多くの生徒にとって解放される時間が到来したが、青梅さんにとってはフラストレーションが爆発する時間らしい。今もしとしとと降り注ぐ雨を眺めながら「これっぽちの雨で部活が休みなんてありえない!」と暴言を吐く。赤羽さんがなだめるように提案してようやく、少し落ち着きをみせる。


「さて……と。今日も先輩に怒られる前に部室行かなきゃ〜」


 そんな一部始終に居合わせた(と言っても、席が近いため本当にたまたま居合わせただけにすぎないのだが)葛西さんは、なんだか不自然な独り言を残しそそくさと教室を出ていった。わたしと赤羽さんが気まずさ顔を見合わせる横で、青梅さんは「掃除ってどこやんの?」となんでもなさそうに言うばかり。


「青梅さん、どうして葛西さんと喧嘩をされているのですか。よくないと思いますよ」

「ちょ……赤羽さんそれは直球すぎるからほんと」

「いや別に喧嘩ってわけじゃないけど……」


 あのトイレへ行けばまた面倒になると分かっていたので、比較的使用者が多くかつ掃除のし甲斐があるトイレを見つけ三人で乗り込み、それぞれにゴム手袋をつけホースやデッキブラシを手にした。トイレにこだわっていたのは赤羽さんで「人がやりたがらないことをやってこそ価値がある」と熱弁をふるう。同じ熱さでわたしたちに水を出してくれゴミを捨ててくれと指示を出しながら、まったく同じ調子でいとも簡単に青梅さんの核心にまで触れてしまった。重要なことにはうまく気づかないのに、だ。


「こはるはちょっと、勝手なところがあるから」


 青梅さんの響きは妙に冷たく耳にするだけで痛みを伴うようで、彼女たちの仲たがいの根深さを知る。青梅さん自らが、零した愚痴をかき消すようブラシをがしがしと強くこすりつける音の向こうに、足音が聞こえてきた。


「あら、またやってるのそんなこと。よく飽きないのね、感心させてもらうわ」


 相変わらず気品と他を寄せ付けないオーラをまとって登場した小倉先輩に対し、赤羽さんが「で、でましたね……」とつぶやいたのが耳に入って思わず吹き出しそうになった。赤羽さんの中で小倉先輩は、校舎裏に主人公を呼び出しては「アンタ生意気ね、やっちまいな!」と手下を誘導する少女マンガのいじわる先輩そのものとして映っているのだろう。そして青梅さんはと言えば、小倉先輩のなぜだか攻撃的な対応を本当に気に掛けずさらりと受け流す。


「誰?」

「……先輩の小倉さん」

「あー、前なんか化粧品配ってた人か」


 それだけ言ってまたブラシを動かすことへ戻っていく青梅さんのクールさがかちんときたのかなんなのか、小倉先輩は少し語気を強めながらわたしへまっすぐ近付いてきた。


「綾織さん、また掃除なんて付き合わされているの?」

「付き合わされているわけじゃないんですけど……」

「貴女みたいな綺麗なお嬢さんが、そんな作業する必要はないわ。それよりお父様からベルギー産のショコラを差し入れで頂いたの。良かったらわたしのお部屋へ来てくださらない? お夕飯まで時間があるし、お茶にしましょうよ」


 そしてわたしの二の腕のあたりをつかむと、こちらの意志などおかまいなしに出口までぐいぐい引っ張っていく。強引、かつ他人を蔑む態度に、一瞬視界に入った赤羽さんが悲しげにうつむいていたのも当然のことだ。


「あ、あの。必要があるとかないとかじゃないと思うんです!」

「どうして? わたしみたいな家柄に産まれれば、メイドたちがこなしてくれる仕事なのよ? 貴女だって本当はやりたくないでしょう。十八になったら、うちに来なさいな。汚いことや力仕事や、わずらわしいことなんてみんなメイドたちに任せて、美味しい食事とお茶で優雅な生活をしましょうよ。嫌なことなんて何一つない生活ができるわよ」


 誰もがあこがれる優雅な暮らしに対して、わたしだって夢を描いていないわけではない。苦労なく生きられればそれが幸せだろうなと考えたことだってある。しかしだからと言って、今ここで小倉先輩について歩き、ブラシを投げ捨てゴム手袋を外してしまったら何か取り返しのつかないことになるような気がするし、ではそれはどんなことかと言われても説明はできないし、取り返しのつかないことなんて世の中にひとつもないような気もするし、いっぽうむしろ替えのきく出来事のほうがあり得ないような気もするし、よく分からないけれどとにかくわたしは世間知らずでろくな経験もないし何も決められない今言いたいこともうまく言えないそうしているあいだに小倉先輩に引きずられていく何か言いたい。


「ふざけんじゃねぇ!」


 怒声は、バキッと鈍い木材の折れる音とともに響いた。振り返ると声の主である青梅さんが、真っ二つに折れたデッキブラシの柄を両手に握ったまま眼を吊り上げて立っていた。ああこれはバトルの予感。だって、少女マンガで見たことのあるシーンだ。

 



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