魔術師と弟子
魔術師が一人いた。とはいっても彼は才能が無かった。立派な魔術師を目指して修行したものの、彼の力は三流で、誰かに雇われるとか仕事を依頼されるということは無かった。旅芸人のように魔術を披露して日々の生活費を稼ぐ。魔術師にできるのはその程度だ。
ある町で少年に出会った。
「僕に魔法を教えてください」
貧しそうな子供はそう言った。
「魔法を教えてほしい? なぜ私なんだ? 胸を張って言うことではないが、私の力は弱い。もっと有名な人のもとで学んだほうがいいと思うぞ」
「有名な人に教えを請うにはお金がかかります。その点あなたならあまりお金はかからないだろうと思ったのです」
正直な少年のようだった。
「お金はかからないとは言っても、タダで教える訳にはいかない。授業料は払えるのか?」
「これだけあります!」
少年はそう言ってボロボロの袋を渡してきた。その中には確かにお金が入っていたが少なかった。せいぜい魔術師の一日の稼ぎくらいしかない。
魔術師が黙っていると少年が頭を下げてきた。
「これでも足りないのは分かっています。ですから身の回りの世話をしながら勉強させてください。炊事や洗濯……その他にも命令されれば召使のように働きますから、どうか僕を弟子にしてください」
少年があまりに必死なので、魔術師はどうして少年が魔法を習いたいのかに興味がわいた。
「なぜそこまでして魔法を習いたいんだ?」
「………」
少年は魔術師の至極当然の質問に、ずいぶんと長い間沈黙した。
「……自分一人でお金を稼げるようになりたいからです」
長く沈黙した割にはシンプルな理由だった。魔術師はその答えは嘘だと気付いた。嘘だとは分かったが少年を放っておけないとも思った。
「私の世話をしても給料は出せないぞ。飯くらいなら何とかしてやるが、お前の仕事ぶりが悪ければ途中で捨てて行く。それでもいいなら私についてくると良い」
「はい! ありがとうございます!」
少年はこうして魔術師の弟子となった。
少年は魔術師のもとで働きながら魔法の勉強をした。魔術師も自分に魔法を教えるなんてことができるのか不安だったが、少年に魔法を教え始めると、実際に魔法を使うのと魔法を教えるのは別物だということが分かった。
魔術師だって一通りの魔法の勉強はしたのだから、理論だけは分かる。本を見ながら指導すれば、教える分には全く問題なかった。
少年に才能があったのも幸いした。魔術師がかつて躓いたところを少年は簡単にではないものの、確実に乗り越えて行く。次第に少年は師である魔術師を超える力を身に着けていた。
魔術師は少年がどんどん腕をあげて行くのを心から喜んでいた。かつて自分が夢見たことを、自分の弟子が叶えてくれる。それがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。
少年の方は少年の方で、自分の魔法の腕が魔術師を越えてからも、少年に対する尊敬を忘れなかった。それは、魔術師がただの魔法の師としてだけではなく、人生の師でもあったからだろう。
少年は無教養だった。幼かったのだから当然なのだが……。だから魔術師が字を教え、本を買い与え、教養を与えた。だから少年は、魔術師を先生と呼んで、尊敬していた。
「先生、復讐についてどう思われますか?」
ある時少年がそんな質問をしてきた。
「唐突だな。どうしてそんな質問をするんだ?」
「世の中では復讐は悪だということになっています。しかし、私はそうは思わないのです。何か悪行をして、それがもみ消されてしまったらどうでしょう? その悪行をした人を裁くことはできなくなってしまいます。その人によって傷付けられた人は泣いているのに、それをした人は笑っているのです。そんな理不尽が許されていいのでしょうか?」
魔術師は少し考えてから答えた。
「なるほど、お前の意見も分かる。私も復讐が完全に悪とは思わない。そこに何かの正義があることもあるだろう。しかしもし復讐をするというなら、誰も悲しむことのない方法でしなくてはならないぞ?」
「誰も悲しむことのない方法? それはいったいどんな方法なのでしょうか?」
「その者のした悪行と、それによって自分がどれだけ苦しんだかを紙に書き、それをその者に手渡すのだ。それによってその者は自分のしたことを嘆き、悲しみ、苦しむことになる」
少年は納得できないようだった。
「ですが、相手がそれで反省しなかったら? 鼻で笑って紙を破り捨てるような人間だったら意味がないのではないでしょうか?」
「ならばなおのこと復讐したことになる。そのような者は、もはや人ではなく怪物だ。人としての心を失ったものほど、悲しい存在は無い。自分を苦しめたのは憐れな怪物だったのだと理解できれば、それで復讐したことになる」
「……よく分かりません」
「分からなくて良い。これは所詮私の考え方だ。ただ、私の下で学んだものとして、そういう考え方もあるということは頭の片隅に置いておきなさい」
少年は納得したような、煙に巻かれたような顔をしながら考え込んで、その日は終わった。
それから数年が経って、少年は青年になっていた。魔術師は青年に頼まれて、青年の故郷の町を訪れていた。
最近は、魔術師の稼ぎよりも、弟子の方が金を稼げる。そろそろ、自分から巣立たせるべきかと魔術師は寂しげに思っていた。
青年の故郷に留まった次の日の朝。魔術師は青年がなかなか起きてこないので、青年の部屋まで迎えに行った。そして魔術師はそこで信じられないものを見る。
「ああ、先生。おはようございます」
真っ赤な血をかぶった青年がそう挨拶をする。青年の前には、多分男と思われる人間の死体が転がっていた。
多分思われるというのは、顔が無くなっているからだ。それだけではない。死体はあちこちで、内部から爆発したような傷がいくつもあった。普通に殺したのではこうはならない。魔法で殺したのは明らかだった。
「お前……まさか」
「殺しましたよ。僕が、魔法で」
青年はあっさりと認める。魔術師が言葉を失っていると、青年が続ける。
「こいつはこの町じゃちょっとした資産家なんです。それもただの資産家じゃない。裏で色々汚い奴と繋がっていて、他人の財産を奪うようなことも平気でする奴なんです。なぜ国や町はこいつを裁かないのか? 裏で金を渡しているんですよ。議員になるのだってこいつが手を貸してることが少なくない。だからこいつは無視されてるんです」
魔術師はどこかで聞いたことがある気がした。確か、復讐についてどう思うか聞かれた時に……。
「俺の家族はこいつの不正を暴こうとしていた。それでこいつに目をつけられてしまった。驚きましたよ、国はこいつのことを知らんぷりしてるだけじゃなくて、こいつに手を貸したりもするんですね。両親は殺されたうえ、財産は奪われて、俺は一人ぼっちになりました」
青年は死体の頭を蹴る。
「俺が魔法を習いたかったのはこいつに復讐するためですよ。ただ殺すだけじゃ足りない。魔法を使えば普通じゃない殺し方をいくらでもできるじゃないですか。腕を切り落としてもそれを綺麗にくっつけることができる。そしてまた切り落とす。昨日の夜は静かだったでしょ? でも本当はこいつの悲鳴が一晩中響いてたんです。音は部屋の外にもれないように魔法をかけましたから。こいつを殺したのはついさっきです」
長く沈黙していた魔術師は口を開く。
「私が唯一得意な魔法があるのは知っているな?」
「転移魔法ですよね? 物や人を遠くに飛ばす魔法。まさか、死体の隠蔽を手伝ってくれるんですか?」
「いや、飛ばすのはお前だよ」
そう言って魔術師は杖を青年に向けた。青年は奇妙な浮遊感と共に意識を失った。
青年が目を覚ますと、見覚えのない森の中に倒れていた。
「何処だ……ここ」
青年は立ち上がって、歩き出した。すると、割とすぐに飛ばされた町とは別の町が見つかり、かなり遠くまで飛ばされたのだということが分かった。
青年は急いで、自分の生まれ故郷まで戻った。あの事件がどうなったのか気になったからだ。戻れば罪人として捕まるかもしれないが、最初から覚悟していたから怖くは無かった。
しかし、町に着いた青年が捕まることは無かった。犯人は別の人間ということになっていたのだ。その別の人間とは青年の師匠。魔術師だった。
青年は絶望した。魔術師が理由なく魔法を用いて人を殺せば死刑になってしまう。青年が町に着いた時には、すでに魔術師は死刑になった後だった。
青年は町を放浪し、やがて歩き疲れて座りみ、その場所で泣きだしてしまった。
そうしていると、魔術師の知り合いを名乗る人が、自分宛の魔術師の手紙を渡してくれた。青年は手紙の封を開けて中身を読む。
『長々と書いている時間は無いだろうから、必要なことだけをかく。
弟子の不始末は師匠の責任だ。私はお前の心の闇に気付いてやれなかった。それに気付いてお前を指導できていれば防げた悲劇だった
これは私の罪だ。お前は悲しむ必要はない。私は真実自分の罪によって裁かれ、自分の罪によって死んでいくのだから。お前の代わりに死ぬのではない。
だが、だからお前の罪はまだ償われていない。お前は罪を犯した。お前の復讐には正義があるとお前は信じているだろう。しかし、それを上回る復讐をお前はしてしまった。お前はそのことに気付き、悲しみ、苦しむことだ。
そして、人を殺めることに使ってしまった魔法を、今度は人を癒すことに使いなさい。それは私の夢でもあった。私は、お前が怪物ではないと信じている』
短い手紙の字は青年の涙で滲んだ。青年はその後幾度も自殺を考えた。しかし、そのたびに手紙の最後の文字が自殺を思いとどめた。
「先生。私は怪物ではありませんか? ただ復讐のために魔法を学んでいたのです。そんな魔法で人を癒すことなどできるのでしょうか?」
『できる。そしてそれがお前の罪滅ぼしになる』
心の中の魔術師がそう答え、青年は立ち上がった。