第1話 転生しましたけど、いやちょっと待って
※本作は異世界×スポ根×師弟ものです。
拳しか信じてこなかった天才女子ボクサーが、異世界で“教える側”になる物語。
軽めのノリで進みます。
負ける気なんて、一ミリもなかった。
「——万丈すぎな選手、お願いします!」
控室のノックも、スタッフの緊張した声も、全部いつものルーティーンの一部にしか聞こえない。私はストレッチをしながら軽くシャドーを始める。グローブが空気を切る音は、私にとって心臓の鼓動みたいなものだ。
今日の相手は、北朝鮮。
アジア大会の予選とはいえ、向こうは“国の威信”を背負ってくる。勝てば英雄、負ければ処分。そんな世界から来る選手は、だいたい目つきが違う。
でも、あたしは怖くなかった。
だって——無敗。
男子だろうが女子だろうが、殴るのは同じ。倒すのも同じ。
物心ついたときから、私の家にはサンドバッグとグローブしかなかった。
父も母もボクシング経験者で、幼稚園児の私がグローブをつけたら、家族全員がめちゃくちゃ褒めてくれた。
「天才だわ、この子は」
「世界とるぞ、すぎな」
「うへへ〜見てろ世界〜!」
褒められたら嬉しい。
嬉しいからもっと努力する。
それがそのまま強さにつながって、小学生の大会では男子すら全員倒し、中学では誰も私の相手にならなくなった。
ただし——恋は別だった。
『いやすぎな、恋愛対象としてはちょっと……怖い』
『殴られたら死にそうじゃん俺』
これ、マジで全員に言われた。
だから私は、恋も青春も体当たりでリングの外に放り投げた。
「世界とるから。ボクシングで全部証明してやる」
オリンピックで金をとり、それをベガスのプロ契約に繋げる。
そのつもりで今日の試合に臨んだ。
控室を出ると、相手の控室が半開きで、中が一瞬見えた。
北朝鮮の女子選手が、異様に鋭い目でこちらを睨んでくる。
『あなたの無敗記録、今日で終わりです』
通訳を通して聞こえたその一言で、普通の選手なら萎縮するかもしれない。
けど私はむしろ嬉しくなった。
「へぇ……いいじゃん。やろうよ」
リングに足を踏み入れる。
その瞬間——
(……ん? なんか滑る?)
リングがぬるっとした感触。
どうやら前の試合が終わった後、何か細工が施されたみたいだ。
嫌な予感はした。けど、今さらブツブツ言っても試合は始まる。
ゴォォンッ!!
ゴングが鳴る。
相手のジャブは鋭い。けど、タイミングは読める。いつも通り。
(いける。三ラウンド目で倒す)
そう思った矢先。
ずるっ——。
「っ!?」
足が大きく滑った。
上半身のバランスが崩れたところに、相手の右が飛んでくる。
(まずい!)
頭は避けた……つもりだった。
でも、避けきれず、勢いはそのままコーナーポストへ——
ガッ!!!!!
「あ——」
後頭部に直撃する衝撃。
視界がぐにゃりと歪んで、音が遠のく。
(やば……これ、マジの……)
意識が、落ちた。
***
「……青い」
最初に見えたのは、やけに鮮やかな青空だった。
体育館の白い天井じゃなくて、本物の空。
雲がふわっと浮いていて、太陽が容赦なく照りつけてくる。
「え、外……? なんで?」
ガバッと上体を起こすと、ザラザラした石畳が目に入る。
鼻には土と香辛料みたいな匂い。
私はまだ、試合用ユニフォームのまま。
汗で湿ったスポーツブラも、グローブもつけたまま。
「……いやちょっと待って。ここどこよ?」
辺りを見渡す。
石造りの建物に、木製の看板。
馬車が通りすぎていき、通りには露店がずらり。
(え、ヨーロッパの観光地……ではないよね?
ていうか見たことない服装……なんか時代が混ざってる?)
通行人が、私を見てヒソヒソ言ってくる。
「なんだあの格好……」
「肌を出しすぎだろ……」
「どこかの部族か?」
「部族じゃねーよ!」
思わず突っ込んだけど、意味なかった。みんな避けていく。
とりあえず話しかけてみる。
「すみませーん! ここってぇどこすか!? 」
「怪しい者め、離れろ」
「は? 怪しいのはそっち——」
「触るなっ!」
キレイに拒否された。
むしろ怖がられてる。
「……なにこれ。いやもしかして、ほんとに……」
頭を抱えたまま、深呼吸する。
(これ、異世界転生ってやつ……?
試合中に事故って……気づいたら異世界……?
いやそんなバカな……)
でもスマホもない。見たことない文字の看板。
オシャレな路地裏カフェなんて存在しない。代わりに焼きたてパンの匂い。
じゅる……。
その匂いを吸った瞬間、胃袋がきゅーっと縮んだ。
「やっべ……倒れる……」
計量終わってもリカバリーしか食ってないし、試合前の緊張で水もろくに飲んでない。
まして異世界転生(?)直後。
エネルギーはゼロ。
さらに追い打ち。
「……のど……かわいた……」
ヤバい。
本気で、ロープに倒れ込む寸前の選手みたいな状態。
ついに膝をつくと、視界が揺れた。
(マジでこのまま異世界初日に死ぬとかやめてよ……
チャンピオンベルトどころか、自己紹介もできてないのに……)
前のめりに倒れそうになった、そのとき。
「——あ、あのっ!!」
背中の方から声が飛んできた。
ふり返る気力は……ない。
けど、近づいてくる足音がやけに軽い。
(誰……?)
視界が暗くなる。
やばい、本気でまず——
と、そこでふっと体が支えられた気がした。
温かい腕。小さめの手。
「だ、大丈夫ですか!? 歩けます!?」
少年っぽい声。
けど、優しい。
(なんか……すごい必死な声……)
完全に倒れ込む直前で、私はぎりぎり目を開いた。
そこにいたのは——
大きな瞳で私を見上げる、子犬みたいな少年だった。
(……つづく)




