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異世界恋愛「ざまぁ」短編集 ~不遇令嬢と、彼女を見抜く最強の理解者~

偽りの聖女と契約印の在処~追放された「無能」令嬢は、王家の禁書庫で婚約破棄の不誠実を断罪する~

王立アカデミーの卒業記念パーティー。


その年の社交界において、最も華やかで、そして最も残酷な夜。


魔力光をふんだんに使ったシャンデリアが、磨き上げられた大理石の床を照らし出す。


着飾った貴族たちが交わすお世辞と、その裏に隠された牽制。 甘美な音楽と、高価なワインの香り。


その全てが、この国の若きエリートたちの門出を祝っていた。


だが、その喧騒の中心から遠く離れたホールの一角。


公爵令嬢セレスティアは、ただ一人、静かに壁際に佇んでいた。


(……騒がしい)


彼女の唇から、ため息未満の息が漏れる。


白磁のような肌。 完璧に整えられた、夜空色の髪。 感情の起伏を一切見せない、瑠璃色の瞳。


その完璧すぎる美しさと無表情は、いつしか「氷の人形」と揶揄されるようになっていた。


「まあ、ご覧になって? セレスティア様よ」


「あんな隅にいらして……。婚約者であるジュリアン殿下は、あちらで大人気ですのに」


「殿下も不憫だわ。あんな魔力も才能もない『無能』な令嬢を婚約者にお持ちなんて」


くすくす、と。 扇の影で交わされる、棘を含んだ囁き声。


セレスティアの耳にも、それは明確に届いている。 だが、彼女の視線は揺るがない。


(愚かなこと)


彼女が求めているのは、周囲の理解でも同情でもない。 ただ一つ、計画を実行するための「時」が満ちる、その瞬間だけ。


彼女が「無能」を装い、この冷遇に耐え続けてきた理由。 全ては、今夜、この場所で、けじめをつけるために。


その時だった。


会場の音楽がふと止み、貴族たちの視線が一斉にホールの入り口へと集まった。


「ジュリアン殿下のお成りです!」


声高な従者の宣言と共に、喝采が巻き起こる。


現れたのは、この国の第二王子ジュリアン。 金色の髪を輝かせ、自信に満ちた笑みを浮かべる、傲慢なまでの美貌の青年。


そして、彼の腕に庇われるように寄り添う、小柄な少女。


「……リリア様だわ」


「男爵令嬢の……本当に殿下のお気に入りなのね」


色素の薄い髪。 庇護欲をかき立てる、潤んだ大きな瞳。 男爵令嬢リリア。


最近、「聖女の奇跡」とやらで突如として社交界に現れ、ジュリアン王子の寵愛を一身に受けている女。


ジュリアンは、リリアの腰を馴れ馴れしく抱き寄せ、勝ち誇ったように会場を見渡す。

その視線が、壁際のセレスティアを捉えた。


ジュリアンは、嘲るように片方の口角を上げる。 一方のリリアは、セレスティアの視線に気づくと、怯えたようにジュリアンの胸に顔をうずめた。


「ああ、ジュリアン様……わたくし、怖い……」


「大丈夫だ、リリア。私が必ず君を守る」


そのわざとらしい仕草に、周囲の貴族たちは同情的な視線をリリアに送る。


(茶番ね)


セレスティアは内心で呟く。


リリアの使う「奇跡」とやらが、微弱な回復魔法に過ぎないこと。 そしてジュリアンが、その「奇跡」を政治的に利用しようとしていること。


全て、セレスティアの調査通りだった。


ジュリアンは、リリアを伴ってまっすぐに壇上へと歩み寄る。


楽団がファンファーレを奏でようとしたのを、彼が手で制した。


「皆、静粛に!」


朗々と響き渡る声。 会場の喧騒が、ぴたりと止む。


何が始まるのかと、誰もが壇上の二人を注視する。 国王や王妃も、来賓席から訝しげに息子を見つめていた。


ジュリアンは満足げに頷くと、リリアの肩を抱き寄せ、高らかに宣言した。


「今宵、私は王国にとって、いや、この世界にとって最も重大な発表を行う!」


ゴクリ、と誰かが唾を飲む音がした。


「皆も知っての通り、近年、我が国は魔物の活性化や凶作に悩まされてきた!」


「だが、神は我らをお見捨てにならなかった!」


ジュリアンは、リリアの体を皆に見せつけるように掲げる。


「ここにいる男爵令嬢リリアこそ、神が遣わしたもうた真の『聖女』である!」


おお、とどよめきが起こる。


リリアははにかむように微笑むと、そっと手のひらを掲げた。 淡い、本当に微弱な光が彼女の手のひらに灯る。


(……あれが、聖女の奇跡)


セレスティアは冷めた目でそれを見つめる。


(王家の魔力炉心から供給される魔力を、ただ光に変換しているだけ。それも、恐ろしく効率の悪い術式で)


だが、魔力に疎い貴族たちは、その「偽りの光」に熱狂していた。


「聖女様だ!」


「なんと神々しい……!」


ジュリアンは、その熱狂を確かめるように会場を見渡し、そして、再びセレスティアに視線を固定した。


その瞳には、侮蔑と、勝利の確信が浮かんでいた。


「だが、皆に知ってもらわねばならないことがある!」


「この清らかなる聖女リリアは、ある邪悪な女によって、その尊い心を深く傷つけられてきたのだ!」


会場が、再び静まり返る。


ジュリアンの指が、まっすぐに、壁際のセレスティアを指さした。


「公爵令嬢セレスティア! お前だ!」


全ての視線が、非難と嘲笑の刃となってセレスティアに突き刺さる。


「お前は、自らの婚約者である私とリリアが親しくしていることに嫉妬し、リリアに対し、陰湿ないじめを繰り返してきた!」


「身に覚えがありませんわ」


セレスティアは、初めてその日、声を発した。 鈴の音のように凛とした、しかし一切の感情を含まない声。


ジュリアンは、その反論を待っていたかのように、さらに声を張り上げる。


「まだ言うか! この悪役令嬢め!」


「聖女リリアは、お前の無能を指摘したことなど一度もない! それなのに、お前はリリアの家柄を貶め、夜会でドレスを汚し、階段から突き落とそうとまでした!」


「ジュリアン様、もうおやめください……!」


リリアが涙ながらにジュリアンの袖を引く。


「わたくしは大丈夫です……セレスティア様も、きっと殿下を取られてしまうと思って、不安だっただけなのですから……」


その「健気な」姿に、貴族たちは完全にリリアの味方となった。


「ひどい……」


「公爵令嬢ともあろう方が、なんと嫉妬深い」


「無能なだけではなく、心まで醜かったとは」


セレスティアは、その罵詈雑言の嵐の中で、ただ静かにジュリアンを見つめ返していた。


(……よし。証拠も証人も、全て揃った)


彼女は、この瞬間のために、リリアの自作自演の証拠を全て揃えていた。 だが、それを今出す必要はない。


ジュリアンは、決定的な一言を放つために、大きく息を吸い込んだ。


「お前のような嫉妬深く、無能で、心の醜い女に、私の婚約者、ましてや未来の王妃が務まるものか!」


「よって私は、真実の愛の相手である聖女リリアを選び!」


「公爵令嬢セレスティア! お前との婚約を、今この場をもって破棄する!」


ついに、その言葉が放たれた。


会場は一瞬の静寂の後、王子の「英断」を称えるような拍手さえ起こり始めた。 リリアはジュリアンにしなだれかかり、勝利したかのように恍惚と微笑んでいる。


国王と王妃が慌てたように何かを言おうとしているが、この熱狂の中では届かない。


(……ようやく)


セレスティアは、ドレスの袖に隠した冷たい魔導具の感触を、そっと確かめる。


(ようやく、言質を取った)


(ジュリアン・フォン・エルクハルト第二王子)


(あなたは今、公の場で、二国家間の『古代魔法契約』の破棄を宣言した)


(その『不誠実』の代償を、今、支払っていただく)


セレスティアは、嘲笑の嵐の中で、ゆっくりと一歩、前へ踏み出した。 その瑠璃色の瞳には、冷徹なまでの「断罪」の光が宿っていた。


嘲笑と非難が渦巻くホールの中央へ。


セレスティアは、冷たい大理石の床を踏みしめ、ゆっくりと壇上へ向かう。


彼女が一歩進むたび、その瑠璃色の瞳の輝きが増す。 それは「氷の人形」と呼ばれた無感情な光ではなく、絶対的な自信と、揺るがぬ意志を宿した「断罪」の光。


「な、なんだお前……その目は」


ジュリアンが、彼女の豹変した雰囲気に一瞬たじろいだ。


「セレスティア? 何を企んでいるの! 往生際が悪いわよ!」


リリアが甲高い声を上げる。


セレスティアは壇の数歩手前で立ち止まると、その冷徹な視線でジュリアンとリリアを射抜いた。


「ジュリアン殿下。リリア様」


凛とした声が、先程までの喧騒を切り裂いて響き渡る。


「今一度、確認させていただきます」


「殿下。その宣言は、我が公爵家と王家の間に結ばれた『古代魔法契約』の破棄を意味すると、ご理解の上での発言でございますか?」


「……は?」


ジュリアンは、何を言われたのか分からない、という顔をした。


「こだい……まほうけいやく? 何を言っているんだ、お前は」


セレスティアは構わず続ける。


「王家と我がクレシドラ公爵家は、建国時より『古代魔法契約』によって結ばれております」


「その契約とは、王家の血筋が国の安寧を祈り、我が公爵家が国の魔力基盤である『魔力炉心マナ・リアクター』の制御を担う、というもの」


「そして、その契約の『証』こそが、両家の血を繋ぐ『婚約』です」


「婚約破棄は、すなわち、契約の破棄。 我が公爵家による魔力制御の責務を、王家が不要と宣言したことに他なりませんが」


セレスティアの淡々とした説明に、ジュリアンは鼻で笑った。


「馬鹿馬鹿しい! いつの時代の埃を被った伝承だ!」


「古い契約だと? そんなもの、神が遣わしたこの『聖女』リリアの奇跡の前では、何の意味もない!」


リリアも勝ち誇ったように胸を張る。


「そうですわ、ジュリアン様のおっしゃる通りです! わたくしの『奇跡』こそが、この国を救うのです!」


「古いしきたりに固執するセレスティア様とは違うのですわ!」


(……愚か者が)


セレスティアは内心で断じる。


(その「奇跡」とやらが、どこの魔力を使っているかも知らずに)


「結構です」


セレスティアは、ジュリアンの言葉を遮った。


「ただいま、王家第二王子ジュリアン殿下より、『古代魔法契約』は不要であり、聖女リリア様の『奇跡』を優先する、とのお言葉をいただきました」


「公の場での、明確な『契約違反』の宣言と受け取ります」


「な……!」


「その『不誠実』、我がクレシドラ公爵家は見過ごすわけにはまいりません」


セレスティアは、ドレスの袖に隠していた右手を静かに掲げた。 彼女の手には、黒曜石で作られた、手のひらサイズの冷たい魔導具が握られている。


それは王家の禁書庫の最深部で、彼女だけが解読した古代の制御キー。


「契約は、絶対です」


セレスティアが魔導具に魔力を流し込む。


「あなた方が今行った『不誠実』な契約破棄宣言により、守護者たる我が家は、王家への魔力供給を停止する権限を行使します」


「何を……っ!」


ジュリアンが叫び終わるより早く。


セレスティアは、その魔導具を起動させた。


瞬間。


パリンッ、と甲高い音が響き渡り、会場を照らしていた全てのシャンデリアが一斉に消灯した。


「「「きゃああああああっ!」」」


完全な闇がホールを支配し、貴族たちの悲鳴が上がる。


だが、異変はそれだけではなかった。


ゴゴゴゴゴゴゴ……!


地響きのような、重い振動が王城全体を揺さぶり始めた。


「じ、地震か!?」


「いや、違う!」


闇に慣れてきた貴族たちの目に、信じられない光景が飛び込んできた。


パーティー会場の壁、天井、床。 その全てに、赤黒い光を放つ無数の古代文字ルーンが、まるで血管のように浮かび上がっていたのだ。


「ひっ……!」


「な、なんだこれは……!?」


それは王家の禁書庫と連動した、国の魔力炉心を制御する、巨大な魔法術式そのものだった。


セレスティアの魔導具は、その術式の「緊急停止」を命じたのだ。


「ジュリアン様っ! ジュリアン様、光が……!」


壇上から、リリアの悲鳴が響く。


彼女が「聖女の奇跡」として掲げていた手のひらの光が、チリチリと火花を散らし、まるで風前の灯火のように消え失せていた。


「なに……!? なぜだ!?」


ジュリアンが狼狽する。


「リリア! 光を! 聖女の奇跡で闇を払うんだ!」


「む、無理ですわ! わたくしの力が……力が……!」


リリアは必死に両手を掲げ、何かを祈るように叫び始める。


「おお、神よ! 聖なる力よ、今こそ……!」


だが、彼女の手に光が戻ることはない。 当然だ。彼女の力の源だった魔力炉心マナ・リアクターからの魔力供給が、今、絶たれたのだから。


赤黒いルーンが明滅する中、王城の振動はますます激しくなっていく。


その時だった。


「国王陛下! 国王陛下! ご無事ですか!」


血相を変えた一人の男が、衛兵をかき分け、国王が座る来賓席へと駆け寄った。

銀縁の眼鏡の奥に、鋭い知性の光を宿した男。


王立魔導師団長にして、王家の禁書庫の管理者。 アークライト。

彼はセレスティアの唯一の協力者であり、彼女の真の才能を知る人物だった。


「アークライト師団長! いったい何が起こったのだ!」


国王が、震える声で叫ぶ。


アークライトは、国王の前に跪くと、絶望的な事実を報告した。


「陛下! 緊急事態です!」


「たった今、王国の生命線である『魔力炉心マナ・リアクター』が、その活動を……停止いたしました!」


「な、なんだと……!?」


「原因は不明です! いえ……」


アークライトは立ち上がり、赤黒いルーンが明滅する闇の中で、ただ一人冷静に佇むセレスティアへと視線を向けた。


「……セレスティア様」


アークライトの呟きに、国王もジュリアンも息を呑む。


アークライトは、壇上を見据え、全ての貴族に聞こえるよう声を張り上げた。


「国王陛下! この異常事態……魔力炉心が不安定化しています!」


「制御できるのは、禁書庫の古代契約を完全に解読し、その管理権限を掌握された、ただ一人の人物!」


「公爵令嬢、セレスティア様ただ一人にございます!」


アークライトの言葉が、地響きの中に響き渡った。


「な……」


国王は顔面蒼白となり、壇上で立ち尽くす愚かな息子を睨みつけた。


「ジュリアン……! 貴様、まさか……!」


「ち、父上! わ、私は……! この女が……!?」


ジュリアンは、今や赤黒いルーンの光に照らされ、まるで冥府の女神のように厳かに立つセレスティアを指さした。


(不誠実な者たちへの、当然の報い)


セレスティアは、狼狽するジュリアンと、床にへたり込んで震えるリリアを、冷たく見下ろしていた。


アークライトの言葉は、絶対的な事実として、パニックに陥っていた貴族たちの耳に突き刺さった。


「な……」


「セレスティア様が……?」


「あの『無能』と噂されていた……?」


信じられない、という表情で、誰もが赤黒いルーンの光に照らされるセレスティアを見つめる。


彼女は、先程まで嘲笑と侮蔑の対象だったはずの令嬢。


その令嬢が今、この国の生命線を、その手一つで握っている。


「ジュリアン殿下」


アークライトの冷たい声が、ジュリアンの言い訳を遮った。


「あなたは先程、公の場でセレスティア様との婚約を破棄なさいました」


「それは、王家とクレシドラ公爵家が結んだ『古代魔法契約』の破棄を意味します」


「違いますか?」


「そ、それは……! だが、こんな……こんなことが許されると……!」


「許されるか、ではありません。これは『契約』なのです」


アークライトは眼鏡の位置を押し上げ、その知的な瞳で愚かな王子を見据えた。


「セレスティア様は、契約の守護者として、王家の『不誠実』に対し、契約に定められた正当な権限を行使されたに過ぎません」


「ふ、不誠実だと……!?」


「ええ」


アークライトは、ゆっくりとセレスティアの傍らへ歩み寄る。


そして、彼女の前に立つと、片膝をつき、恭しくその手を取った。 それは、主君に対する騎士の礼。


「セレスティア様」


「あなたは、この私が知る限り、最も『誠実』なお方だ」


「な……!?」


ジュリアンだけでなく、その場にいた全ての貴族が、アークライトの行動に息を呑んだ。 王立魔導師団長が、あの「無能」令嬢に、膝を折っている。


アークライトは、セレスティアの手をに握りしめ、顔を上げた。 その瞳には、ジュリアンやリリアに向ける冷たさとは正反対の、深い尊敬と、隠しきれないほどの熱意が宿っていた。


(ああ、ようやく)


(ようやく、この方の真価が、世に示される)


アークライトは立ち上がり、国王と、狼狽する貴族たちに向き直った。


「国王陛下! 並びに、皆様方!」


「あなた方は、公爵令嬢セレスティア様のことを、何もご存じない!」


「彼女が『無能』? 『氷の人形』?笑わせるな!」


アークライトの怒気を含んだ声が、ホールに響き渡る。


「セレスティア様こそ、王家の禁書庫に眠る『古代魔法契約』の、失われた条文の全てを解読された、この国で唯一の頭脳!」


「彼女は、その若さで、我々魔導師団の誰一人として成しえなかった偉業を、たった一人で達成されたのです!」


「彼女がアカデミーで魔力を示さなかったのは、『無能』だったからではない!」


「その膨大すぎる知性と魔力を、魔力炉心の解析と制御という、国家の最重要機密に注ぎ込んでおられたからだ!」


「彼女こそが! この国が今まで平和でいられた『本物の守護者』だったのですよ!」


「……!」


アークライトの暴露に、貴族たちは言葉を失う。 ジュリアンは「ありえない」と首を振り、リリアは「そんな……」と顔を青ざめさせていた。


彼らが「無能」と侮り、嘲笑っていた令嬢。 その令嬢が、自分たちの生活の基盤そのものを、影で支え続けていた。


国王が、震える足で一歩、前に進み出た。


「せ、セレスティア嬢……! まこと、か……?」


「……」


セレスティアは答えない。 ただ、その冷徹な瞳で、王家の者たちを見つめている。


「おお……! なんということだ……!」


国王は、事態の深刻さと、自らの息子の愚かさを、今ようやく完全に理解した。


「ジュリアン! 貴様という奴は……!」


「ひっ!」


「今すぐ、今すぐセレスティア嬢に謝罪しろ! 婚約破棄など、取り消すのだ!」


「そ、そうだ! 父上の言う通りだ!」


ジュリアンは、まるで蜘蛛の糸にすがるように、慌ててセレスティアに手を伸ばした。


「セレスティア! すまなかった! 私が間違っていた!」


「だから、国のために残ってくれ! 魔力炉心を元に戻してくれ!」


「婚約は、そのままだ! お前を未来の王妃にしてやろう!」


その、あまりにも身勝手な言葉。


先程まで「悪役令嬢」と断罪し、石もて追わんばかりの態度だった男が、今や掌を返し、彼女の「価値」にすがりついている。


セレスティアは、その伸ばされた手を、冷ややかに見下ろした。


そして、静かに首を横に振る。


「……遅すぎますわ、殿下」


「な……!」


「あなた方は、私を『無能』と侮り、その誠意を『古いしきたり』と一笑に付された」


「その『不誠実』の代償は、今さら謝罪でどうこうなるものではございません」


セレスティアは、国王に向き直った。


「国王陛下。魔力炉心の緊急停止は、契約違反に対する正当な措置です。ですが、国そのものを滅ぼすことは、私の本意ではありません」


彼女は懐からもう一つ、小さな魔導コンパスを取り出した。


「これは、魔力炉心の『最小安定稼働』の術式です。王城の機能は停止しますが、領民たちの生活に必要な最低限の魔力供給は、三日間に限り維持されます」


「み、三日……!?」


「その間に、あなた方王家が、どれほどの『誠意』をもって、我が公爵家との『再契約』に臨まれるのか」


「見せていただければと」


セレスティアは、アークライトに向き直った。


「アークライト師団長。後のことは、お任せいたします」


「……セレスティア様」


アークライトは、セレスティアの意図を察し、深く頷いた。 彼は、この瞬間を待っていた。


「かしこまりました」


アークライトは、国王とジュリアンに向かって、高らかに宣言した。


「国王陛下! ジュリアン殿下!」


「セレスティア様は、その類稀なる才能と知性を、あなた方のような『不誠実』な方々のために、これ以上お使いになる必要はない!」


「陛下が魔力炉心の再契約に奔走されている間、セレスティア様の御身は、我ら王立魔導師団が、最大級の敬意をもってお預かりする!」


「な、何を言っている! 師団長!」


「セレスティア殿!」


アークライトは、今やセレスティアを「様」ではなく、一人の人間として、熱のこもった瞳で呼びかけた。


「いや……セレスティア」


「どうか、その素晴らしい知性を、私のために、我々魔導師団のために使ってはいただけないだろうか」


「私は、ずっとあなたの研究と才能を尊敬していた」


「王城のしがらみなど捨てて、我々と共に、古代魔法の真理を……!」


それは、彼女がずっと夢見ていた申し出。


彼女の知性を「無能」と貶める者たちのためではなく。 彼女の知性を理解し、必要とし、そして「尊敬」してくれる場所からの、熱烈な誘い。


「……王立魔導師団の、最高顧問として」


アークライトが、そっと手を差し出す。


セレスティアは、狼狽するジュリアンと、顔面蒼白の国王を一瞥した。


(さようなら)


(私の不遇だった日々)


(私の、不誠実だった婚約者)


彼女の唇に、この数年間、誰にも見せたことのない、微かな、しかし確かな笑みが浮かんだ。 それは、解放感と、自らの研究が認められた静かな喜び。


セレスティアは、迷うことなく、アークライトの差し出した手を取った。


「喜んで、お受けいたしますわ。アークライト師団長」


「ああ……!」


アークライトが、感極まったように彼女の手を握りしめる。


「セレスティア! 待て! 行くな!」


「国を捨てる気か!」


ジュリアンや国王の必死の叫びが、背後から飛んでくる。

だが、セレスティアはもう振り返らなかった。


彼女の真価を理解する唯一の協力者からの「溺愛(尊敬)」を手に入れた彼女は、アークライトに導かれるまま、赤黒いルーンが明滅する混沌のホールを、毅然として後にした。



◇◇◇



あの混沌の卒業記念パーティーから、三ヶ月が過ぎた。


場所は、王城とは一線を画す、知の砦。 王立魔導師団の本部。


その最上階にある「最高顧問室」は、以前は王家の禁書庫の片隅で研究を続けていたセレスティアにとって、夢のような場所だった。


床から天井まで続く書棚。 自由に閲覧できる、国宝級の魔導書。 そして、最新鋭の観測機器と、解析用の魔導具。


「……なるほど。この術式は、炉心の安定化ではなく、魔力の『増幅』を目的としていたのね」


セレスティアは、古代語で書かれた羊皮紙の写しを熱心に見つめている。


「氷の人形」と呼ばれた頃の、無表情な姿はそこにはない。 その瑠璃色の瞳は、知的好奇心に満ち溢れ、生き生きと輝いていた。


コン、コン。


控えめなノックの音。


「どうぞ」


「失礼するよ、セレスティア。研究の進捗はどうかな?」


入ってきたのは、王立魔導師団長アークライト。 その手には、湯気の立つティーカップが二つ。


「アークライト師団長。わざわざお運びいただかなくてもよろしいのに」


「君の上司であると同時に、君の共同研究者でもあるつもりだからね」


アークライトは、そう言って悪戯っぽく笑うと、一つのカップをセレスティアのデスクに置いた。


「それに、君が研究に没頭すると、食事も忘れてしまうことを私は知っている」


「……お見通しですわね」


セレスティアは、少し照れたように微笑んだ。 アークライトの淹れるハーブティーは、彼女の集中力を高める特別なブレンドだ。


この三ヶ月。 アークライトは、セレスティアを「最高顧問」として丁重に遇し、彼女の知性を何よりも尊重した。


彼にとって、セレスティアの存在そのものが、探求すべき古代魔法の真理にも等しい「宝」だった。


その尊敬の念は、いつしか、一人の男性としての一途な好意へと変わっていた。


(ああ、美しい……)


アークライトは、羊皮紙と向き合うセレスティアの横顔を、眩しそうに見つめる。

ジュリアンや他の貴族たちが「無能」と貶めた姿。 それは、彼らに理解できないほどの高みにいる、孤高の知性の輝きだった。


彼らの「溺愛」が、庇護欲をかき立てるリリアのような「見かけ」にしか向かない、浅はかなものであったのに対し。


アークライトのセレスティアへの想いは、彼女の「本質」である知性、そして不遇の中でも責務を果たし続けた「誠実さ」に向けられた、深い深い「尊敬」に基づいていた。


「師団長?」


「……いや、すまない。君の解析に見惚れていた」


「もう。からかわないでくださいまし」


「本心だよ」


アークライトは、真剣な眼差しで彼女を見つめる。


「君という才能が、あの王城で腐らずに済んだことを、私は心から神に感謝している」

その真っ直ぐな言葉に、セレスティアの頬が微かに赤らんだ。 彼女の知性を、これほどまでに評価し、必要としてくれる場所。


こここそが、彼女の本当の居場所だった。


「私の方こそ、感謝しておりますわ。アークライト師団長」


「あなたがいなければ、私は今も『氷の人形』のまま、あの不誠実な場所で耐え続けていたかもしれません」


「……セレスティア」


アークライトが、そっと彼女の手に自分の手を重ねようとした、その時。


コンコンコン!


慌ただしいノックの音と共に、部下の魔導師が駆け込んできた。


「師団長! 最高顧問! 先日解析していただいた古代術式、王都西部の水路浄化システムへの応用実験が、先ほど成功しました!」


「本当か!」


「はい! これで、長年領民を悩ませていた水質汚染が、劇的に改善されます!」


「……やりましたわね、師団長」


「ああ。全て、君の功績だ、セレスティア」


二人は顔を見合わせ、誇らしげに微笑み合った。 彼女の知性は今、国の基盤を揺るがす「断罪」のためではなく、民の生活を豊かにする「未来」のために使われている。


これ以上の幸福が、彼女にあるだろうか。


一方、その頃。 セレスティアが去った後の、エルクハルト王国。


あの夜、セレスティアが残した「三日間の猶予」の後、国王はクレシドラ公爵家(セレスティアの父親)に泣きついた。


魔力炉心マナ・リアクターは、セレスティアが設定した「最小安定稼働」のまま。 王城の機能は麻痺し、貴族たちの生活は困窮を極めた。


「再契約」の交渉は、公爵家の一方的な勝利に終わった。


王家は、魔力炉心の制御権限の大部分を公爵家に明け渡し、さらに今回の「不誠実」に対する慰謝料として、王家資産の半分を差し出すことになった。


国力は、見る影もなく没落した。


そして、事態を引き起こした者たちの末路は、さらに悲惨なものだった。


「偽聖女」リリア。 彼女の「奇跡」が、魔力炉心のおこぼれを利用しただけの「偽り」であったことは、アークライト師団長によって徹底的に暴かれた。


聖女詐称、並びに王家を騙った「国の基盤を揺るがした罪」により、彼女は全ての魔力を(公爵家の手によって)強制的に剥奪された。 魔力と共に、人を惑わせた美貌も急速に衰え、今は北の修道院で、一生を祈りに捧げる(という名の幽閉)生活を送っている。


第二王子ジュリアン。 彼もまた、国の基盤を揺るがし、守護者たる公爵家への「不誠実」を働いた罪で、王位継承権を即刻剥奪された。


そして、父である国王から、ある「罰」を与えられた。


「お前が『古いしきたり』と侮った、魔力炉心の管理を、生涯かけて行うのだ」


彼は今、王城の地下深く、セレスティアが残した「最小安定稼働」の術式が刻まれた制御室に、たった一人で幽閉されている。 彼にできることは何もない。ただ、術式が正常に動いているか、毎日確認するだけ。


「なぜだ……! 私は、真実の愛を選んだだけなのに……!」


「聖女が……奇跡が……!」


彼は、今も理解できていない。 自らが見かけの「奇跡」に騙され、本物の「守護者」を侮り、そして手放したことの愚かさを。


国王もまた、心労がたたり、早々に第一王子に王位を譲って退位した。 没落した国のかじ取りを押し付けられた新国王が、公爵家に頭を下げ続けなければならないのは、言うまでもない。


「不誠実」な行いは、必ず報いを受ける。 そして、見かけや噂で人を侮ることは、自らの破滅を招く。


あの夜、セレスティアが突きつけた「断罪」は、その普遍的な真理を、王国中に知らしめる結果となった。


「……それにしても、セレスティア」


魔導師団の最高顧問室。 アークライトが、紅茶を飲み干しながら、ふと呟いた。


「あのジュリアン王子は、なぜ君の本質を見抜けなかったのか。私には不思議でならない」


「簡単なことですわ、師団長」


セレスティアは、窓の外に広がる、活気を取り戻しつつある王都を見つめる。


「あの方々は、『氷の人形』という見かけしかご覧になっていなかった」


「そして、『聖女』という甘い響きに、心を奪われていただけ」


「本質を見ようとせず、自らの責務(契約)に対して『不誠実』だった。ただ、それだけのことです」


彼女の言葉には、もはやジュリアンたちへの怒りも、侮蔑もない。 ただ、冷徹な「事実」があるだけだった。


「……君は、本当に」


アークライトは、愛おしそうに目を細める。


「では、最高顧問。次の研究テーマに移るとしようか」


「はい、師団長。ぜひ!」


セレスティアの知性は、もう誰にも止められない。


彼女の真価を理解し、深く「溺愛」する協力者と共に、彼女の物語は、今まさに始まったばかりだった。

お読みいただいてありがとうございます!


思ったより面白いじゃん!(*'▽')(*'▽')


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