ソロの本心
「ああ、どうして今日も俺は……!」
ソロは溜まった書類仕事を片付けながら、1人頭を抱えていた。先ほど仕事から帰った時の場面を思い出す。満面の笑みでお帰りなさいと出迎えてくれた妻に、俺はまたとんでもない態度を取ってしまった。
わかっている。自分でもよくわかっている。こんな態度をする夫は最悪であるということ。いつ愛想を尽かされても文句は言えないということ。常に笑顔を向けてくれる妻が無表情になり、自分から離れていく姿を想像して勝手に絶望感に浸った。
妻であるニファとは、実は7才の時に出会っていた。当時の俺はとにかく外で遊ぶことが好きで、よく隙を見ては屋敷を脱走して大人たちを困らせていた。そんなある日のことだった。
家庭教師が帰ってから夕食までの自由時間、本当は行くなと言われている近くの森へ内緒で向かった。当時そこには木のうろに作った秘密基地があって、嫌なことがあったら1人で過ごすのが日課になっていた。
その日は確か、父にも教師にも叱られて相当気分の悪い日だった。秘密基地に着いたら存分に泣こうと思っていた。なのに到着したら、先に誰かがいる気配がした。
「おい、誰だよお前。」
自分の領域に侵入した存在に腹が立って、貴族教育なんて忘れて感情的に言い放った。木のうろの中を覗くと、そこには自分と同い年くらいの女の子が座っていた。
「あなただあれ?」
まんまるの紫の瞳をキラキラさせて、銀髪の女の子が不思議そうに言った。
「だれって、お前こそ。」
「あら、待って、ちょっと待ってね。」
女の子はそう言ってうろから出た。着ている服からして貴族の令嬢だろう。自信に満ちた顔でぎこちなくカーテシーをして見せた。
「ニファって言うの。今のは淑女の挨拶よ。」
胸を張ってそう語る彼女の銀髪には葉っぱが付いている。思わず俺は吹き出した。
「淑女のくせに、髪に葉っぱが付いてるぞ。おっかしい。」
「あなたも笑ってないでやって見せてよ。」
「やるわけないだろ!」
「ええ、どうして?」
またもや不思議そうな表情のニファが顔を覗き込んでくるのが恥ずかしくて、俺はそっぽを向いた。
「あなたの名前も教えてよ。」
「やだね。それよりお前、見たことないけどどこに住んでるんだ?ここは俺の秘密基地だぞ。」
「今はお母様たちと別荘に来てるの。住んでるのはもっと遠いところよ。散策してたらここを見つけたの。」
「ふーん。」
「あなたの秘密基地、素敵ね。」
えへへ、と屈託なく笑う彼女の顔を、俺はしばらくぼーっと見つめてしまった。白い頬が笑うと赤く染まって、目がキラキラしていて、なんだかすごくそわそわした。
「またここに来ることがあったら、あなたに会えるかな。」
「お前のことなんてきっと忘れてる。」
「なんでそんなこと言うの。また会えたら、今度はお名前教えてね。」
そろそろお母様たちが心配するから、と彼女は手を振って帰って行った。
***
今思えば、あの時の感情が初恋だったのだろう。でもあまりに淡く儚くて、その思い出はずっと埋もれたままだった。そして時が過ぎ、俺は大人になった。座学が苦手だったので自然と騎士の道を選んだ。社交界だの婚約だのが自分と無関係ではなくなってきても、次男だからと面倒ごとは放っておいた。ひたすら騎士としての訓練と実戦に打ち込むうちに気づけばそれなりの立場を得たが、知り合いと言えば家族と屋敷の使用人、そして職場の同僚たちで、同年代の女性とはほぼ関わらずに生きてきてしまった。したがって誰かに恋愛感情を抱いたり、付き合ったり、ましてや男女の関係になったり、そういったことを一切経験しないままここまで来てしまったのだ。
「お前にも縁談が届いてる。少しは興味を持って、真剣に考えてくれ。」
父は俺に甘いところがあったが、流石に見て見ぬふりは出来なくなってきたようだ。あらゆる家門から届いた封筒を渡してくる。
「ルークが家督を継ぐから問題ないとはいえ、お前もそろそろ婚約するべきだ。」
「父上、しかし私は騎士団員としての任務を王直々に拝命している身です。いつ命を落とすかわからないのですから、妻を娶るなど…」
「言い訳はいい!届いた縁談の中から選ぶか、自分で持ってこい!3日以内だ!!」
封筒の束を押しつけられ、部屋から追い出されてしまった。
渋々中身を開けて、それぞれの家門の令嬢たちの肖像画を眺める。身内に美形が多いせいか、綺麗だとか美しいだとかの基準が最早よくわからない。それに本来一番重要なはずの内面なんて、外見以上に判断できない。こんなの一体どうすればいいんだ。そう頭を抱えていた時にふと、あの木のうろで出会った少女のことを思い出した。
俺が唯一、まともに話した同年代の女の子。おそらく貴族の令嬢。名前は確か、ニファ。
調べたところ、運良く本人と思われる女性に辿り着くことができた。銀髪で紫の瞳。年齢は18歳で名前はニファ・オズボーン。伯爵家の長女。まだ未婚、らしい。
あの時、不機嫌だった子どもの俺に臆さず、笑顔で話してくれた女の子。きっと悪い子じゃない。そう思い、半ばやけくそになりながら父に伝えて縁談の手紙を送った。結果了承を受け、すぐに彼女と会うこととなった。
会った瞬間、あの子だと確信した。成長して女性らしく美しくなり、貴族女性らしい気品が備わっていたが、豊かに伸びた銀髪はあの頃のように滑らかで、紫の瞳はあいかわらずキラキラ輝いていた。久しぶりに対面した彼女は俺を見るなり、白い頬を赤く染めた。ああ、あの時と変わらない、彼女もやっぱり俺のことをおぼ…
「ひゃ、わ…は、はじめまして…」
……憶えていなかった。俺は何故かそのことにひどく落ち込んだ。それでもなんだかんだで婚約は決まり、そして俺たちは夫婦になった。




