僕の母の話 前日譚
『僕の母の話』本編より少し前の話です。
主に母がどういう状態だったのかを綴っています。
これまで記してきた母の話は、実際にちょうど40年前に起きた母の死に際して起きたことを当時の私目線で綴ったものであり、節目でもあるから供養及び成仏のためという思いを込め書いた話であった。しかし、もしここまで全部読んでくれた人がいたとして、こう思われる方も多いと思う。
「なんでそんな急に自死したの?」
一言で言えば、当時で言う育児ノイローゼ、今で言う育児うつであった。これには様々な原因があるが、実は私は子供の頃からかなり手のかかる子供で、外出すればほぼ迷子、車にのればすぐ酔う、幼稚園では制服の棒タイを色々対策したにもかかわらずほぼ1日1本ペースで紛失(だから無くさず帰ってきた日は母子揃って大喜びしていた)等、自分が親ならげんなりするような育てにくい子供だったと我ながら思う。加えて、妹は偏食が酷く(一時期マヨネーズご飯しか食べなかった)、僕についてきて無茶して縫うような大ケガをしたり(ちなみに未だに自分は縫合経験なし)、こちらもこちらでかなり手のかかる子供だった。そして母は母で、ストレス耐性が高くない、むしろ低いタイプの人間だった。
詳しい理由は書けないが(すみません)私の母は家庭内の『いろんな』事情により、母親(つまり僕のばあちゃん)に病的に溺愛されて育ったらしい。父曰く、結婚してから炊事洗濯掃除何一つ出来ないのを知ったそうだ。完全な箱入り娘だった。
そして、当時それなりの大企業の中堅で30代半ばという働き盛りだった父は、当時転勤と出張を繰り返し(この時点で5回は引っ越してた)仕事は多忙を極めており、家庭の事に構っている余裕も時間も無かったらしい。当時はバブル直前だったから、そういった事情も関係していたのかもしれない。さらに、この当時住んでいた街がかなり治安が悪かったらしく、僕が順調に成長したとして通う予定の公立中学は、有名な悪名高い荒れた中学校だった。(これを聞いた時には、まだ小学2年になったばかりなのに気の早いことだなと正直思った)
こういう、様々な状況が複雑に折り重なっていった結果、母は確実に疲弊し病んでしまったらしい。
そして、その影響は、僕ら兄妹にも降りかかることになってしまう。
母の事は、実はもうあまり覚えていない。悪いけど顔もあまり思い出せない。そんな中で、逝く前の母で覚えているのは、まずやたらと念押しプレッシャーをしてくる事だった。例えばこんな事があった。
近所の公園での夏祭りで子供会の肝試し企画があり僕も参加予定だったが、当時怖いのが本当に本当に苦手でこの頃放送されていた「あなたの知らない世界」を見た夜は1人でトイレに行けない位だった。そしてビビりで泣き虫だった。だが、母からは「小学生なったから泣かへんよね?」とやたら念押しされた。これがプレッシャーとなり、参加してすぐわんわん泣いて帰ってきてしまった。帰宅後、風呂へ一緒に入りながら「お母さんめっちゃ恥ずかしかったわ!!」とめっちゃ叱られた。同様に、おたふく風邪の予防接種を病院に受けに行かなきゃならず、病院へ向かう道中にまた「小学生なったから泣かへんよね?」みたいに強く何度も念押しされ、最初は「うん、絶対泣かへんよ!」と返していたが、これが同様にプレッシャーになり、結果またわんわん泣いてしまった。帰宅してから母にネチネチ恥ずかしかった、となじられたのは言うまでもない。
母が頻繁に僕にかけていたプレッシャーと母の状態が関係していたかは僕には分からない。ただ子供ながらにとても強い圧力を感じていたこと、そして、毎回言われる「お母さん恥ずかしかった」が何となく寂しく、いたたまれなかった。
またこんな事もあった。ある日母は突然食器や服などいろんなものを家中にぶちまけながら泣き叫び暴れ出した。僕ら兄妹は恐れをなして近付くことができず、離れて見ているしかできなかった。妹は泣いていた。僕は母の姿が心配で少し落ち着いた頃合いを見計らい、恐る恐る近づいて「お母さん…」と声をかけた。振り返りざま茶碗が凄い勢いで飛んできて、僕の顔面に見事に命中した。とても痛かった。僕は泣き出した。母はそれを見ると、近寄ってきて僕を抱きしめ、泣き続けた。それを見て妹も泣きながら近寄ってきたので、母は妹も抱き寄せた。そうして3人で暫く大声で泣いていたのだった。
こうしたことから、母は育児や家事という自身に乗り越え難い苦難に直面し、極めて不安定な状態であったと推察はできると思う。ただ母の亡くなった理由など誰にも分からない。それは母しか知る由もないのだから。
母の当時の状態を説明するため、母のマイナス面とも受け取れる内容ばかりをピックアップしてしまったが、実際の母はちょっと怒りっぽいが普段は優しい人だった。
だが、40年は長い。実はもう母との事はあんまり覚えていない。ただひとつ、鮮明に覚えていることがあった。
これも夏のとても暑い日の、まだ明るい夕方だった。母は和室の扉を締め切ると、和室のエアコンのスイッチを入れた。何をするのかな?と思って僕ら兄妹が母を見ていると、くるっとこちらを振り返りニコッと笑いながら「お風呂入っちゃおうか!」と言い出し、僕らを連れてお風呂に入った。3人ともさっぱりしてお風呂から上がると、母は僕らを連れて和室に入った。
冷えていた和室はとても涼しく、快適でとても心地よかった。和室はベランダに面していて大きな窓があったが、そこには夕焼け空と青空が混じった光景が広がっていた。とても綺麗だった。みんなで和室に寝転がり、「涼しいね〜」と笑いあった。そこで母の用意してくれたキンキンに冷えた麦茶を飲み、「おいしいね〜」とみんなで笑いあった。とても幸せな時間だった。この事だけは鮮明に覚えている。
読んで下さりありがとうございました。
この後、後日譚を綴ります。