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最終話 あなたに薔薇の花束を

 向かう先は決まっていた。

 三日間、通い続けた場所であり、十七年前に住んでいた場所だ。

 その時のようなドレスも着ていなければ、靴も宝飾品もなく、ロザリーは単なる質素なワンピースを着ているだけで、どう考えても宮殿には相応しくない。それでも白亜の城まで、足を止めることはできなかった。

 

 門兵に用件を告げると、不審げに一瞥される。当然のことだ。誰が単なる町娘を、王に引き合わせるというのだろうか。

 ロザリーは言ったのだ。「アルフォンス様にお会いしたい」と。


 無理だろうと思った。自分が門兵だとしても、ロザリーを王に会わせるなどと馬鹿な真似はしない。取り次ぐことさえしないかもしれない。

 けれどもロザリーに諦めるつもりはなかった。何日でもここで待つつもりだった。

 

 せめて彼の無事をこの目で確かめるまでは――。


 だからすんなりと王宮内に通されたことは、意外だった。半ば野宿を覚悟していたロザリーは拍子抜けする。


(こんなに警備が甘くていいの? もしわたしが暗殺者だったらどうするの?)


 もちろんロザリーは暗殺者ではないし、アルフォンスがロザリーだと気がついて中に入れてくれたのだろうとは想像ができたため、いざ彼に会う前に緊張でどうにかなりそうな心臓を落ち着かせるための考え事に過ぎなかった。


「客人の案内はここまででよいとのことです。ここから先は、どうぞお一人で」


 庭園の途中に差し掛かったところで兵士はそう言い、ロザリーを一人置いて去っていく。

 昼間の庭園は、十七年前の記憶と寸分違わない。


(まるで昔に戻ったみたい)


 そんなことを思いながら、ロザリーは、花の間を歩いていった。

 どこへ行けばいいのかは、想像ができた。庭を抜け、最奥にある白薔薇庭園に、迷わずロザリーは向かった。


 やはり彼は椅子に座っていて、視線はしかし、穴の方へは向いておらず、まっすぐこちらに向けられていた。ロザリーはちらりと穴の空いていた場所を見ようとしたが、新たに薔薇の木を植えたらしく、すでに地面は塞がれており、その正確な場所さえ分からなかった。


「アルフォンス様、あの――」

 

「なぜ来た?」


 厳しい声だった。

 彼からの言葉はいくつか想定していた。「やあ」「こんにちは」「久しぶり」「変わりないか?」――だがそれのどれでもなく、第一声が咎めるような言葉だったことに、ロザリーは思わず言い訳めいた口調になってしまう。

 

「わ、わたしだって、あの時はこれで終わりだって思っていたんです! おしまいにした方がいいって……! なのに、あなたが何度も花を贈ってくださるから!」


「君は何を言っているんだ?」


 不審そうに眉を顰め、アルフォンスが立ち上がる。


 ――ああ、本当にわたしは何を言っているんだろう。

 やっぱり、来なければ良かった。


 ロザリーは顔を真っ赤にして下を向いて、小声で同じことを囁いた。


「だってアルフォンス様が、花を贈ってくださったんです」


「ああ、弔いのつもりで」


 声の近さで分かってしまう。彼がすぐ近くにいるということを。

 意を決して顔を上げると、やはり目の前に彼が立っていた。


「わたしはここにいるのに! 死んでなんていないのに! 花を贈るくらいなら、会いに来てくださればいいのに! それか、会いに来てくれって、たったひと言、そうお手紙をくだされば、そうしたらわたし、どこにいたってすぐ飛んで行くのに!」


 身勝手な言葉が口から出てしまうのを、自分では制御できない。アルフォンスは当惑したように突っ立っている。

 

「わたしがどんな思いであの花の世話をしていると思っているんですか!? あなたを諦めた方が良いって、そんなこと分かりきっているのに、だけど、忘れることがどうしてもできませんでした! 

 だって、薔薇の花が一つ枯れる度に、あなたまで少しずつ遠くに行ってしまうみたいに思えて、とても怖いんです! あなたが寿命なんてくれるから……! わたしは死んだって良かったのに、あなたがいつ死ぬか分からないから、毎日毎日ヒヤヒヤするし、薔薇の花束が次に届かなかったらどうしようって、そんなことばかり考えるのが、もう嫌なんです」


「気にするなと言っただろう。あれは私の我儘だ」


 アルフォンスの声は冷静に思えた。それがますますロザリーを焦らせる。


「だがすまなかったな。君が困っているのなら、もう花束は渡さない」


「違う!」


 ロザリーは叫んだ。アルフォンスは何も分かっていなかった。


「わたしは、あなたが好きだから! あなたの側にいたいと思った! そう言っているんです!」


 勢いに任せて、遂に言ってしまった。

 誰かに聞かれたら不敬罪で殺されるだろうか。それとも頭のおかしな娘の盲言として大目に見られるだろうか。頭の片隅でそんなことまで考えたが、ロザリーは至って真剣だった。


「どうして花束だけで、他には何もないんですか? わたしのことを、もう好きじゃないの? アルフォンス様は、何を気にされているんです――身分の差ですか!?」


 眉間に皺を寄せたまま、アルフォンスは異様なものを見るが如く、ロザリーを凝視していた。

 

「いや、そうではなく――」


「それでは年の差ですか!? ――だったらわたしはちっとも気にしません! そもそもオフィーリアの記憶だってあるんだもの。十五足す十七で、考えてみたらわたし、三十二歳だわ! アルフォンス様のご年齢と丁度いいと思います!」


「無茶苦茶な理論を作らないでくれ。違う、違う――いや、年の差は確かに気にしていない訳では無いが……」

 

 珍しく、アルフォンスは狼狽しているようだった。口の中で唸ったかと思うと、腕を組み、苦渋に満ちたような表情で下を向き、長考するかのような間の後で、小さな声で言った。


「……………………君が言ったんだ」


「わたしが? 何を?」


 食い気味にロザリーは問いただしてしまう。またしても訪れた少しの沈黙の後、観念したかのようにアルフォンスは言った。


「君がオフィーリアにはなれないと言ったんじゃないか! 私の結婚相手にはなれないと。 

 だから私は諦めようと――諦めきれずに未練がましく花など贈ってしまったが――それでも諦めようとしたんだ……!」


 怒っているような口調だった。


「年の差もあるし、私の残りの命がいかほどか、私にさえ分からない。そんな中で、あんな風に君に思い切り振られて、どうしてまた一緒に生きてくれと言えるんだ? 諦める努力を重ねていたのに、何故こうして現れた! これでは諦めきれなくなるだろう!」


 確かにアルフォンスは怒っていた。怒られているにも関わらず、ロザリーの顔はますます熱くなる。


「あなたを振ってなんていません! 結婚相手にはなれないとはもっと言っていません!」


 アルフォンスは強情だった。


「そういう言い方だった」


「絶対に違います!」


 いや、もしかするとそういう言い方だったかもしれない。それでも主張を譲る訳にはいかなかった。


「絶対に、そんなこと、ない……」


 言いながら、これでは結婚したいみたいじゃないか。そう思ってロザリーは口を閉ざした。代わりに口を開いたのはアルフォンスの方だった。


「それは、卑怯じゃないか。そんな風に言われると、まるで私は君を諦めなくていいと言われているように感じる」


 そう言っているのだから当然だった。


「先日の別れの際も、口付けを額で我慢した。褒めて欲しいくらいだ」


「唇にしていただいても構いませんでした」


 淀み無くロザリーが答えると、アルフォンスはますます眉根を寄せる。


「だが君は前に、泣いて嫌がったじゃないか。君に傷が付くのは耐えられない。もう二度と傷つけたくはない」


「傷ついてなどいませんでした。ただ――わたしは臆病で、覚悟もなくって」


 傷つけたのは、むしろロザリーの方だったと、今になってはそう思う。


「君は、つまりどうしたいんだ」


 その声色は、考えていたよりもよほど穏やかなものだった。ロザリーが答える前に、言ったのはアルフォンスの方だった。


「私の妻になりたいのか?」


 なりたいというか――と、口の中でもごもごとロザリーは誤魔化そうとして、しかし結局は頷いた。彼の瞳をまっすぐに見つめ返しながら、返事をした。


「はい。そう望みます」


 アルフォンスの顔が曇ったのを、ロザリーは見逃さなかった。彼は困っているのだと気がついた。この気持ちは迷惑だったに違いない、そう思いながら泣きそうになり、それでも泣くまいと彼の言葉を待ち続けた。

 やがてゆっくりと、彼は言った。


「どれほど生きるのか分からない身の上だ。私の寿命は短いかもしれない」


 ロザリーは首を横に振る。


「そんなの、誰だってそうだわ! わたしだって、明日死んでしまうかもしれない。オフィーリアだって、その日死ぬなんてまさか思ってもいませんでした! 一秒後にだって隕石が落ちてきて皆滅んでしまうかもしれないわ。生きてる人、皆そうでしょう? だから――」


 だから、二度と後悔をしたくないのだ。

 一度は彼を忘れようとした。だがあの花束を見て思い直した。


 命の終わりなど誰も知らない。

 大切な人に大切だと伝えないまま死ぬなんて、それこそ死んでも死にきれない。愛する人が側にいない人生を生きるのなら、なんのために生まれ変わったのか分からない。


 アルフォンスの呼吸が空気を震わせ、そうして、遂に、彼は言った。


「なって、くれるのか。私の妻に? 私でいいのか?」

 

 信じられなかったのはロザリーの方だ。その台詞を言うのは、ロザリーの方だ。

 目を丸くしてアルフォンスを見上げる。

 彼の指がロザリーの頬に触れた。まるで大切な宝物を扱うかのような手つきで。


「我ながら執着が恐ろしいほどだが、十七年間、オフィーリアを忘れられなかった。いやもっとだ。幼い頃に出会って以来、私の心の中には、オフィーリアしかいなかった。 

 遠い昔に失ってしまった彼女が目の前にいると思うだけで、気が変になりそうなんだ。君に向かう感情は、君が思っているよりも――――重い。引かれるか……傷つけてしまうかもしれない。それでもいいのか……?」


 確認するような彼の言葉がおかしくて、ロザリーは笑った。


「あなたに付けられるなら、傷だって愛おしい」


 それに、傷つくことにはならないだろうとロザリーは思った。ロザリーがアルフォンスに向ける想いも、同等か、それ以上のものなのだから。

 アルフォンスの瞳が微かに揺れて、それを隠すかのように彼は目を閉じた。


「望みを言ってもいいだろうか」


 ロザリーの頷きを気配で確認した後で、アルフォンスは目を開いた。

 アルフォンスの瞳は宇宙のように広大で、春のように暖かい。無数の光を宿していて、その光の謎を解き明かしたくてしょうがくなる。

 だからロザリーは、その神秘に惹き寄せられてしまうのだ。


「十七年間分のキスがしたい」


 聞いた時には、ロザリーは彼に口付けをしていた。

 もう二度と離すまいと首に手を回すと、それよりも強い力で抱きしめ返された。

 ロザリーの心は満ち足りていた。一度死んだ自分の魂が、過ぎたる幸福を噛み締めているのを感じていた。


(この人に、薔薇の花束をあげよう。小さい頃と同じように――たくさんの綺麗な薔薇を)


 きっとそうしようと、心に決めた。

 彼がくれた溢れんばかりの愛情へのお返しに、それ以上の愛を込めて渡すのだ。


 だからもう、弔いの花束はいらない。 

 白い薔薇はきっとこれからは、二人の喜びの象徴になるのだろうから。




〈おしまい〉




最後までお付き合いいただきありがとうございました!

そのうちに前世をからめた長編を書きたくて、短編を練習のために作ろうとしたのですが、思ったより長い話になってしまいました。

(二十話になってしまいました。全然十数話ではなかった……)

はじめにこの話を思い付いた時は、19話目の花束が枯れておしまいにしようと思っていたのですが、自分がハッピーエンド好きなので、我慢できずに最終話を作ってしまいました。


気に入っていただけたら、評価、ブクマ等いただけたら今後の励みになります!

そのうちまたお話を投稿するので、またお会いできたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
ハッピーエンドの最終話、これでこの物語が大好きになりました。悲恋と思わせてからの強気主人公!本当に大好きです。
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