表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/20

2 ロザリー・ベルトレード

 ――――はっ。


 ロザリー・ベルトレードは、突然脳裏に浮かび上がった映像を、瞬時に理解することができなかった。


(夢……?)

 

 まず思ったのは、この舞踏会に招待された緊張による寝不足のせいで、一瞬眠ってしまったのだろうかということだ。だが妙に思うのは、まるで今見た夢が、自身の思い出のように実感を伴っていることだった。


 言い訳ではないが、先程までロザリーはごく普通の思考をしていたし、別に今だって頭がおかしくなったとは思っていない。だがその人が目の前に現れた瞬間、突如として鮮明にその映像が脳裏をよぎったのだ。蘇った、と言った方が正しいかもしれない。


「なんて美しい方なのかしら――」


 ロザリーの近くにいた、舞踏会に招かれた娘の一人がその人――この国の王、アルフォンスを見つめてうっとりとそう呟くのが聞こえた。

 無理もなかった。会場に現れた王の見目は、この距離でも分かるほど整ったものだったのだから。

 天上の太陽を写し取ったかのような金色の髪に、深海の色を孕んだ青い瞳。のみならず、彼が纏う憂いを帯びた雰囲気が、彼が大陸の至宝と呼ばれるのも納得の妖艶な空気を生み出していた。

 距離のある広間でさえそうであるのだから、近くで見れば、さぞかし魅力的なのだろう。

 

 美しい王だ。――今の白昼夢と同じように。


 ロザリーは眩暈を覚えていた。

 記憶が間違いないければ、彼は今年確か、三十四になるはずだ。だが二十代前半と言われても通用するほど若々しい人に思えた。


 そんな王が遂に結婚を考え始めたと、巷ではもっぱらの噂であった。年頃の娘にばかり招待状が届くこの舞踏会は、そのために開かれているのだと、誰もが囁いていた。

 つまり見目麗しい王は、未だ独身なのである。

 それは彼の身の上に起こった悲恋故だと思われていた。


 不幸なオフィーリア姫の話は、この国の人間ならば誰もが知っている。異国から嫁ぐために我が国へとやって来て、しかし結婚をする前に十五歳で不慮の事故で亡くなってしまった哀れな姫。

 結婚前ではあったが現王であるアルフォンスは彼女を深く愛していたため、十七歳の当時から今日まで未だ独身を貫いているというのが、国民の見解だった。


 だがいくら彼がオフィーリア姫を愛していようとも、死者と子供は作れない。世継ぎ問題解消のためにも、直系の後継を必要としていた。

 貴賤問わず、というのがこの舞踏会の名目だ。実際、ロザリーも爵位どころか親もいない孤児だった。後見人のおかげで両親から引き継いだ魔導書店を営むことができているが、運が悪ければそのへんの道端で野垂れ死んでいてもおかしくない身分の出身だ。


 だからこその好機であり、集められた娘たちの中には我こそは王妃になるのだと息巻いている者もいた。

 だがそれも、王がこの会場に姿を現すまでの話だ。


 今、会場の視線は王に集中していた。色めき立っていた周囲は静寂する。誰もが気遅れしているようにも思えた。

 もしかするとそれは、単にアルフォンスの外見の美によるものだけではなかったかもしれない。


 彼にはあるあだ名があった。


 ――残虐王。それが、いつしか彼に与えられた名だった。なぜなら彼は、近隣国へ無慈悲な戦争をしかけては併合を繰り返していた。王位継承の際も、当時、次期王として最も有力視されていた血の繋がった叔父をその手にかけたとも噂されていた。

 そうしてアルフォンスが滅ぼした国、その中には、オフィーリア姫の祖国もまた、含まれていた。


 ◇◆◇


 そもそも、ロザリーがこの舞踏会に呼ばれたのは、数日前に店に届いた招待状によるものだった。

 数年前に病死した両親の後を継ぐ形で営む魔導書専門の書店は、普段手に入らない珍しい物品を揃えていることも相まって、魔術師の常連も多く、評判もまずまずであり、狭い店舗ではあったが経営は悪くはない。もっとも当のロザリーに魔術の才能は皆無ではあったが。

 舞踏会への招待状は、そんな常連の一人である宮廷魔術師セオ・ワイルズからもたらされた。


「ロザリーさんに招待状が出されると聞いて、こうして預かって来ました。この前注文した本も受け取るついでに」


 肩まで伸びた赤毛を軽やかに揺らし、人懐っこい笑みを浮かべるセオの前で呆気に取られながら、ロザリーは手元の招待状に視線を落とす。

 ――我が国の王が結婚相手を探すため、娘達を招き舞踏会を開催する。貴賤問わず。

 端的に言えばそのようなことが招待状には書かれていた。


 王の名で舞踏会が度々開かれているという話は、ロザリーも知っていた。

 王に妻をあてがうため、側近たちが彼が気に入りそうな娘を見繕っては片っ端から招待状を出しているのではないかという噂があったのだ。だが当の本人である王は乗り気ではないようで妻の候補さえ見つからず、故に舞踏会は幾度となく開かれている。


 舞踏会に招待されるのは結婚適齢期の美しい娘達という話だったから、ロザリーはまさか自分の元にもこうして招待状が届くなど、考えてもみなかった。

 もしかすると美しい娘たちは皆既にお呼びがかかっていて、それでロザリーにも順番が回ってきたのだろうか。


「でも、あの方は独身主義だと聞いていますわ」


 ようやくそれだけロザリーは言った。セオは静かに笑う。


「陛下に婚約者がいたのはもう十七年も前の話ですからね、世継ぎ問題が出ても頑なに誰も迎え入れなかった方が、ようやく新たなお相手を探すのを許す気になったそうですよ」


 正直言って、少しも心は弾まなかった。派手な場所にも人にもあまり興味が無かったからだ。そんなロザリーの思いを読み取ったかのように、セオは言った。


「気乗りしませんか? 当日は俺も出席しますから上手くあなたを連れ出しましょう。他の男性に声をかけられてしまうなんて耐えられませんからね。あなたと親しくお付き合いしたい男としては」


 この軽い調子に救われた。


「たくさんの女の子たちにそう言っているんでしょう? セオさんには気を付けてって、皆言っていますもの」


 本気ですよ、とセオは軽快に返事をする。

 彼と出会ったのは魔導書を求め、店に訪ねて来た日が初めてだが、その日から来る度にこの調子だ。初めは慣れない口説き文句を真に受けて顔を真っ赤にしていたロザリーだが、次第に慣れて、今では何を言われようとも聞き流している。今年二十歳になるという彼はそろそろ結婚を考える頃だと思うが、多くの娘達をこうして引っ掛けているに違いない。

 だが、知り合いがいるのなら心強いかもしれない。


 ロザリーの後見人になってくれている夫妻にもその話をすると、上手く行けば誰かに見初められて将来の結婚相手を捕まえられるかもしれない、などと軽口を叩かれる。真剣に考えすぎているのは自分だけで、皆にすればちょっと珍しい経験ができる、程度の招待なのだと、ほっと胸を撫で下ろすとともに、結婚なんてしませんと、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 同じ年頃の娘たちはよりよい結婚相手を求めていると聞くが、ロザリーは結婚生活に興味を抱けなかった。ロザリーの幸福は、両親から受け継いだ書店を切り盛りし、親切な人々と交流することだけだったからだ。


(だけど、確かに美味しい料理を食べて、綺麗な宮殿を楽しんで、それでここに戻ってくればいいだけだわ)


 そう思えば僅かだが前向きになれた。

 噂はたちまち駆け巡り、あれよあれよという間に、常連客や親交のある者達からドレスや靴や装飾品を譲り受けた。

 舞踏会は三日間続くらしいが、逆に言えばそれだけの辛抱だ。新しい友人や書店の客が増えるかもしれない。その時のロザリーは、その程度に考えていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ