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16/20

16 三日目の朝

 長い――時間が流れたかのように思えた。生まれて死んで、また再び生まれるほどの、長い長い長い時間が。

 

 だがロザリーが気を失っていたのは、一晩だけだったらしい。

 眩しい日差しを感じて目を開くと、まず目に入ったのは繊細なレース地の天蓋だった。驚いて周囲を見渡すと、自室では考えられないほどの大きさのベッドの上にいた。誰かが窓を開いたのか、カーテンがふわりと揺れ、庭で咲く花の香りがした。


 ロザリーは胸の傷に触れる。そこには包帯はおろか、傷口さえ存在していなかった。

 死んだと思っていた。確実に、死の感覚があった。だがこうして目が覚めた。生きている自分を感じた。


(何が起きたの?)


 困惑しながら周囲を見渡すと、一人の女性が目に入る。彼女は起き上がったロザリーに気がつくと一礼し、愛想よく笑った。


「お体に不調はございませんか?」


 未だ状況が飲み込めないものの、相手の礼儀正しい態度にロザリーも応じる。


「え? は、はい……、大丈夫です……。あの、どなたですか?」


「世話役を申し付けられました。普段は王族の侍女をしております者ですわ」


 夢の続きを見ているのだろうか。だが数度目を瞬いてみても、彼女は消えない。そうしている間にも、彼女はロザリーの寝間着を脱がそうとする。慌ててロザリーは言った。


「き、着替えは! 着替えは一人でできます! きゃあ!」


 しかし無駄な抵抗とばかりに着ていた服は剥ぎ取られる。そもそも気を失う前はドレスを着ていたはずだから、夜の間に裸になり、この寝間着に着替えさせられたということだ。見たところ、絹の上等な物に。

 侍女を名乗った彼女は微笑んだだけだ。

 

「大切な客人であるので丁重に扱えとのご命令ですから」


「だ、誰の?」


 思わず聞き返すと、彼女は平然と答えた。


「陛下のです」


 アルフォンス様の命令――?

 聞きたいことは山程あったが、侍女の方も仕事をしたそうだ。ベッドから起き上がり、用意されていたらしいワンピースに身を包む。

 着替えの手伝いをされるなんて親にしてもらった子供の頃以来で、恥ずかしいやら情けないやらで居心地が妙に悪かった。


「あの、こ、ここはどこですか?」


「王宮でございます」


 予想通りの答えだった。

 

「陛下はどこに?」


「舞踏会のお客様のお相手をしておいでです。最終日ですから」


 そういえば、今日が舞踏会の三日目に当たることをロザリーは思い出した。色々とありすぎて忘れていたが、思えばアルフォンスと再会して、二日半しか経っていないのだ。


「セオさんは――。セオ・ワイルズ様はどこに?」


 侍女は首をひねる。


「さあ、わたくしの担当ではございませんから。ですがご伝言がございましたらお取次ぎいたします」


 会いたい、と伝えてほしいと言うと、彼女は頷き、すぐに別の使用人を呼んでくれたらしい。ほどなくして伝言が返ってきた。

 

 実に端的に、会えない――という返答があっただけだ。

 だがロザリーは喜んだ。


「セオさんは生きているんですね!」


「はあ? はあ。ええ」


 侍女の目が、一瞬だけ不審げに細められた。無理もない、おかしな発言をしているのはロザリーなのだから。だが気にもしていられなかった。

 死んだように見えたセオが生きている。では昨晩起こった出来事は、何もかも全て解決したに違いない。


 ほっと息を吐いたロザリーに、侍女は再び話しかける。


「それから、家へお戻りになられるのなら、馬車を用意するとのことです。陛下がそうおっしゃいました」


 そこまでしてもらわなくてもいいと、ロザリーは思い実際に口にした。


「いいえ、大丈夫です。歩いて帰れますもの」


 しかし侍女も強情だ。


「ですが大切な客人ということですから、言いつけどおりにしないとわたくしが叱られてしまいます。――あと、今晩の舞踏会には、気が進まないのであれば来なくてもよいと。しかし来るのであれば、こちらをお召になればよいと――。陛下がおっしゃいました」


 言いながら彼女が指を指した先には、目が眩むほど美しいドレスがトルソーに着させられていた。確かに先程から目には入っていた。だが自分への贈り物だとは思いもよらなかった。

 考えてみれば昨日まで着ていたお下がりのドレスは汚れ、破けてしまっていたし、着るものはもう持っていない。だが素直に、はい、と言えないのは、あまりにもロザリーの身の丈に合わない金額だろうからだ。

 白地に金と銀の刺繍が施され、胸元には大粒の宝石が煌めいていた。ロザリーの人生では絵本でしか見たこともないほど見事なドレスで当然ながら受け取るわけにはいけなかった。


「い、いえ結構です! そこまで厚かましくありません!」


 すでに王宮で朝寝坊をし、朝の準備を人に手伝わせているのだ。断る口実を見つけないと、とますます焦燥する。


「似合う靴もないし、サイズがきっと合いません! 代金だって、一生かかっても払えません!」


「靴もありますわ。それに、魔術の使える仕立て人も家まで届けて仕立て直すようにと――。もちろんお代なんていただけませんわ。これは贈り物ですもの」


 その先の言葉は想像ができた。


「陛下が、そうするようにとおっしゃいましたか?」


 ロザリーが言うと、はい、と彼女は安堵したように頷いた。

 押し問答をこの哀れな彼女としてもきっと無駄なのだろう。アルフォンスから仰せつかった命令を忠実にこなすことこそが、彼女の役割なのだから。

 結局、折れたのはロザリーの方だった。




 体は疲弊していたが、舞踏会には参加するつもりだった。踊りたかったわけではない。昨晩のことについて、アルフォンスやセオと話したかったからだ。

 そもそも身分の高い彼らと話す機会があれば、ということだが。


(だって、まるで昨日の夜には何事も起こってなかったみたいに普通に物事が進んでいくんだもの)


 身を寄せているハリス夫妻の家で一人、ロザリーはため息を吐いた。夫妻はロザリーの一晩の不在をほんの少し咎めた後で、遊び盛りの若い娘のことだと大目に見ることにしたようだ。奥手なロザリーが遂に積極的になったことを、喜んでいる気配もあった。

 残念ながら彼らが想像するようなことは何一つ起こっていなかったが、ロザリーも多くは説明しなかった。説明する自信もない。


(何もかも夢だったみたい。昨日も一昨日もなにも現実には何も起こっていなくて、全部わたしの頭の中で起こった出来事だったりして)


 だが遅れて届けられたドレスと着付け人が、少なくとも今朝のことは現実であったと物語る。

 

「まあまあ、どこの貴族の殿方からの贈り物かしら?」


 ハリス婦人が目を丸くして、続々と家の中に入る使用人達と、彼らの手で一際丁重に扱われている美しいドレスを見つめていた。

 彼女の質問に、ロザリーは答えることができなかった。


 宮廷の仕立て人の腕は見事だった。二日間の舞踏会ではお下がりの流行遅れのドレスにさえ飲まれそうだったロザリーの姿を、見事に一人の令嬢のように引き上げている。

 鏡には、美しい少女が映っていた。丁寧に結われた髪も、薄く施された化粧も、飾り付けられた宝飾品も、まるで自分の姿ではないようだ。それでもロザリーはロザリーで、オフィーリアに似ているところなど少しもなかった。


 王宮から派遣されたという迎えの馬車まで付いてきているのだから、アルフォンスがロザリーに気を使っていることは確かだった。

 絢爛豪華な待遇に、まあ、まあ、と驚くことしかできなくなったハリス婦人に、馬車に乗り込む寸前で、ロザリーは尋ねた。


 もしかしたら、と、考えていた疑問だった。

 

「ねえハリスさん。聞きたいことがあるんだけど」


 なにかしら、と首を傾げるハリス婦人に、ロザリーは言った。


「ハリスさんは、母のお産の時に手伝ってくださっていたんでしょう? ……もしかして、わたしが生まれた時、最初は死産だったんじゃない?」


 驚いたように彼女は目を見開き、何度も頷く。


「ええ、そう――。生まれた時、あなたは息をしていなかったわ。だけどすぐに息を吹き返したのよ。神様のくださった奇跡だと、皆感謝したわ。よく知っていたわね、誰かに聞いたの?」


 ロザリーの胸のうちに、納得が広がっていく。


 オフィーリアが死んだ直後に、ロザリーが生を受けた。オフィーリアの魂が、行き場を求めて死んだ赤子に転生したのだ。ロザリー・ベルトレードという人物は、初めから存在しなかった。


(だけどわたしはロザリーだわ。大好きな両親と、友達と、お店がある。この人生に満足しているもの……)


 ほんの僅かに涙が滲んだ。ハリス婦人は小首を傾げる。


「ロザリーったら、何かあったの?」


「ううん」否定しかけたが、思い直して首を縦に振った。


「うん。たくさんのことがあったの。だけど結局は、嬉しいことだったように思う」


 自分の存在というものが、突然腑に落ちたように感じていた。

 自分はオフィーリアであり、そうしてロザリーだ。報われずに死んだ姫であり、今を強く生きる一人の娘でもあった。


「なんだか、この数日で急に大人になったみたいね」


 ハリス婦人は多くは尋ねなかったが、代わりにロザリーを抱きしめた。そして体を離すと、優しく微笑む。

 

「いってらっしゃい」


 その笑顔に、ロザリーも応じた。


「行ってきます」


 不安も恐れも、もう無かった。

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