砂塵の正義
灼熱の太陽が容赦なく大地を焼き尽くす西部の町ダストクリーク。この町はかつて銀鉱山で栄えたが、今や枯れかけた井戸と同じく、その繁栄も干上がっていた。
サルーン「ラストチャンス」の開け放たれたバットウィングドアからは、酒と汗の混じった生温い空気が漂い出ていた。店内の喧騒は一瞬で静まり返った。黒のコートに身を包み、広つばの帽子を目深に被った細身の人影が入ってきたからだ。
その人物が帽子を持ち上げると、艶やかな黒髪が肩に流れ落ち、鋭い瞳が店内を見渡した。レベッカ・スウィフト。賞金首を追う女ガンマンとして西部一帯に名を轟かせる存在だった。
「ジン。ストレートで」
カウンターに腰掛けたレベッカは、左手でグラスを受け取った。右手はいつでもホルスターの銃に伸ばせる位置に置いたままだ。
酒の匂いが彼女の記憶を呼び覚ます。父トーマスもこんな埃っぽい町の酒場で、法を守ろうとしていた。10年前、酔った夜の記憶が彼女の脳裏をよぎる。血に染まった父のバッジ。「正義を曲げるな」という父の最期の言葉。
レベッカは深く息を吸い込み、感情を押し殺した。
「あんた、スウィフトだな?」
太った男が酒に酔った足取りでレベッカに近づいた。ビリー・"ザ・ブッチャー"・ジェンキンスだ。この町の保安官代理を務めているが、実際は町の権力者ハリスン・モンゴメリーの手先に過ぎなかった。
「そうだとしたら?」
レベッカは振り向きもせずに言った。
「この町じゃ、よそ者は歓迎されねぇんだ。特に、あんたみてぇな女が男の仕事に首を突っ込むのはな」
ビリーは下品に笑いながら言った。
「ちっぽけな拳銃なんか持って、何ができるってんだ?」
レベッカはゆっくりと顔を上げた。
「知りたいかい?」
その声には冷たい刃が潜んでいた。
ビリーは一瞬たじろいだが、すぐに居直った。
「誰を探しているんだ?」
「モンゴメリーって男を知らない?」
サルーン内が再び静まり返った。モンゴメリーの名を口にするのはタブーだった。彼はこの町と周辺の鉱山、牧場を事実上支配する男だった。
「そいつぁ、死にたいってことだな」
ビリーが嗤った。
「あんたみてぇな雑魚が、モンゴメリーに手出しするつもりか?」
レベッカは内ポケットから一枚の紙を取り出した。
「ウィスコンシンから逃げ続けてるって話だ。三人の開拓民が犠牲になったってね」
「どこで聞いた話だ?」
レベッカは無言でジンを一気に飲み干すと、カウンターに硬貨を置いた。
「あんたみたいな犬には関係ない話さ」
立ち上がったレベッカはビリーに近づくと、低い声で言った。
「彼に伝えてくれ。日没までに自首しなければ、あとはわかるな?」
ビリーの顔が青ざめた。彼女の目には何の感情も宿っていなかった。まるで死神のようだった。
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「なぜそこまでモンゴメリーを追い詰めるのだ?」
モンゴメリーの屋敷を見下ろす岩陰で、レベッカはホセ・マルティネスの質問に沈黙した。ホセはモンゴメリーに土地を奪われた元農場主で、今は町はずれの掘っ立て小屋で暮らしている。
「個人的な理由だ」
レベッカは鋭い目で屋敷を見つめた。
「彼は今日中に町を出るつもりなのか?」
「ああ、夕方の列車でな。この町から搾り取れるものはすべて搾り取った今、次の獲物を探しに行くらしい」
「聞かせてくれ、ホセ。彼はなぜこんな男になった?」
ホセは遠い目をした。
「彼もかつては鉱山で働く一労働者だったよ。だが、苦しい生活に耐えられず、策略で所有者を追い出し、自らが鉱山を手に入れた。『強者だけが生き残る』と口癖のようにいう男だ」
「弱さが生んだ強欲か……」
レベッカは呟いた。
「彼には何人の手下がいる?」
「屋敷には常時5人ほどだ。だが今日は特別らしい。朝から10人は集まっている」
レベッカは唇を噛んだ。通常の計画では太刀打ちできない数だ。
「彼らは皆、モンゴメリーの悪事に加担しているのか?」
ホセは苦々しく言った。
「皆、罪人だ。モンゴメリーは自分の悪事を知る者を手下にし、共犯者にすることで口封じをしている」
「それなら話は簡単だ」
レベッカは立ち上がった。
「彼らには皆、何らかの賞金がかかっているはずだからね」
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ハリスン・モンゴメリーは窓辺に立ち、自分の屋敷から町を見下ろしていた。かつては鉱山の単なる労働者に過ぎなかった彼が、今ではこの町を牛耳る存在になっていた。
「『強者だけが生き残る』……その通りだったな」
彼は自分の手を見つめた。かつては岩を砕く作業で血まみれになった粗野な手が、今では柔らかく、高価な指輪で飾られている。権力と金の味を知った今、彼はもう後戻りできなかった。
「ボス、準備は整いました」
側近が部屋に入ってきた。
「よし、この町ももう飽きた。次の町ではもっと大きな計画を実行する」
モンゴメリーは満足げに微笑んだ。
「あの女は見つかったか?」
「まだです。しかし、町中に見張りを配置しています」
モンゴメリーは眉をひそめた。噂によれば、レベッカ・スウィフトという女性ガンマンが彼を追っているという。普段なら気にも留めないが、その名字が気になった。10年前、彼の邪魔をしようとした保安官と同じ名字だ。
「何か引っかかるな……」
彼は自分の胸に触れた。そこには常にデリンジャーを隠し持っていた。
「あの保安官の時のような失敗は二度としない」
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サンセットクリーク駅は、一日一本の列車が通過するだけの小さな駅だった。今日はその列車で、モンゴメリーが町を去る予定になっている。
レベッカは駅から少し離れた納屋の二階に潜んでいた。ここからは駅全体が見渡せる絶好の位置だ。彼女はライフルを構え、スコープを覗き込んだ。
「父さん、あと少しで……」
彼女の指が引き金に触れた瞬間、手が微かに震えた。ここで引き金を引けば、父の復讐は完結する。自分の手で法を執行することになる。しかし、それは父が望んだことだろうか?
レベッカは深く息を吸い込んだ。幾度となく自問自答してきた問いだ。彼女が選んだ答えは変わらない。
太陽が西の地平線に沈みかけたとき、モンゴメリーの一行が駅に姿を現した。馬車から降りたのは、高級な服に身を包んだ中年男性。その顔には自信と傲慢さが混じっていた。
モンゴメリーの周りを10人ほどの武装した男たちが囲んでいる。彼らは不安げに周囲を見回していた。モンゴメリー自身も、普段の堂々とした態度と違い、落ち着きがない様子だった。
列車の汽笛が鳴り、白い蒸気が空に昇った。足元の砂利が軋む音だけが響く緊張した空気の中、誰もが次の一瞬を固唾を呑んで待っていた。
その瞬間だった。
「動くな! 全員、武器を捨てろ!」
駅の裏手から、20人ほどの武装した男たちが現れた。先頭にいたのは連邦保安官のバッジを付けた壮年の男性だった。
「何の冗談だ!」
モンゴメリーが怒鳴った。
「お前は誰だ?」
「連邦保安官マーカス・フリントだ。ハリスン・モンゴメリー、お前を殺人と詐欺の容疑で逮捕する」
モンゴメリーの心臓が激しく鼓動した。彼の頭の中で、今まで築き上げてきた全てが砂の城のように崩れていくのが見えた。
「そんな馬鹿な……」
モンゴメリーの護衛たちは一斉に銃を抜いた。太陽が沈み、赤い光が彼らの顔を不気味に照らす。緊張が走る。
レベッカは混乱に乗じてライフルを構えた。モンゴメリーの頭部が視界に入る。しかし、撃つ必要はなかった。
突如、モンゴメリーが怒号を上げた。
「待て! 誰も撃つな!」
彼の声は震えていた。
彼は周囲を見回した。
「これは何かの間違いだ。私はただの実業家だ」
目には恐怖が浮かんでいた。
連邦保安官は冷ややかに言った。
「我々は十分な証拠を掴んでいる。お前の犯罪の記録、鉱山での労働者虐待、土地の詐取、そして3人の開拓民殺害の件だ」
「証拠だと?」
モンゴメリーの声はかすれた。
「誰がそんな嘘を?」
「私よ」
レベッカは納屋から姿を現し、彼らの前に立った。夕日が彼女の姿を赤く染め、まるで復讐の女神のようだった。
「お前!」
モンゴメリーの顔が怒りで歪んだ。
「女ごときが、私の邪魔をするとは!」
しかし、その声の下には恐怖が潜んでいた。
レベッカは冷静に言った。
「私が証拠を集めたわけじゃない。私はただ連邦保安官に情報を流しただけさ」
「しかし、あんたは賞金稼ぎじゃないのか? なぜ自ら撃たない?」
混乱したビリーが尋ねた。
「私にも選択があるからさ」
レベッカは微笑んだ。
「待て……」
モンゴメリーの顔から血の気が引いた。
「その目……その名前……まさか、あんたはトーマス・スウィフトの……」
「そう、娘よ」
レベッカの目が冷たく光った。
モンゴメリーの心が凍りついた。10年前、自分の犯罪を暴こうとした保安官トーマス・スウィフト。彼を暗殺したが、そのバッジを持っていくのを忘れたことを思い出した。
「ずっと……お前が影から私を追っていたのか?」
レベッカは彼に近づいた。モンゴメリーの手が震え、隠し持ったデリンジャーに伸びる。
「動くな」
レベッカの銃口がモンゴメリーの額に向けられた。
「3年かけて、あなたの犯罪の全てを追った。父を殺した罪、そして他の全ての罪も」
モンゴメリーは笑い出した。自分の帝国が崩れ去る恐怖に、彼の精神は崩壊の縁にあった。
「撃てるものなら撃ってみろ! お前もスウィフトの血を引くなら、それが運命だ!」
レベッカの指が引き金に触れた。一瞬の静寂。
「いいえ、それが私とあなたの違い」
レベッカは銃を下ろした。
「私は法を信じている。父もそうだった」
彼女はモンゴメリーの胸ポケットからデリンジャーを抜き取り、地面に投げ捨てた。
「あなたは法廷で裁かれる。私は父の死に報復で応えるほど安っぽくない」
モンゴメリーの目に涙が浮かんだ。
「私はただ……生き残りたかっただけだ。この世界では強くなければ……」
「あなたは間違った強さを選んだ」
レベッカは彼に背を向けた。
「彼はあなたたちのものよ」
連邦保安官たちがモンゴメリーと彼の一味を取り囲み、手錠をかけていく。モンゴメリーは肩を落とし、全てを諦めたように見えた。
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一週間後、レベッカはダストクリークを去る準備をしていた。モンゴメリーとその一味は連邦保安官によって連行され、裁判を待つことになった。彼の屋敷は町の人々のために開放され、新たな学校になる予定だという。
「本当に去るのか?」
振り返ると、町の新しい保安官に任命されたマーカス・フリントが立っていた。
「ええ、私の仕事は終わったから」
レベッカは父のバッジを握りしめた。
「我々は君のような腕利きを必要としている。保安官代理として残らないか?」
レベッカは微笑んだ。
「ありがとう、でも私には行くべき場所がある」
「復讐ではなく、法を選んだのはなぜだ?」
レベッカは空を見上げた。
「父は最期に『正義を曲げるな』と言った。私が父の教えに従っただけよ」
彼女は馬に跨った。
「モンゴメリーのような男は他にもいる。法の裁きを受けるべき者たちがまだ多くいる」
マーカスは頷いた。
「君の父親は誇りに思うだろう」
「さようなら、ダストクリーク」
レベッカ・スウィフトは砂埃を上げながら、次なる標的を求めて西へと走り去った。彼女の背後では、解放された町に新たな希望の光が差し始めていた。
今回の任務で、彼女は単なる復讐者ではなく、正義の執行者としての自分の道を見つけたのだった。