とある国の姓事情
日本において、姓が民衆に付けられ始めたのは、明治三年の頃である。より詳しくは、明治三年(一八七〇年)九月十九日に公布された、平民苗字許可令によるものである。
その頃から日本人にもようやく、名前といえば姓と名で構成されるという常識が形成された。しかし、ここで大多数の国との違いが現れたことを、諸兄は御存じだろう。それは、姓を前にするか、それとも後にするかという問題である。むろん、日本は前に付ける。並べると、中国、韓国も同様だ。ヨーロッパではハンガリーが唯一。西アフリカの一部、インド南東部の一部が姓を前につける。つまり、世界的にみても非常に少ないのである。
ここでひとつ、面白い論がある。
それを紹介させて頂こう。
曰く、「姓を前、名を後に置くことは、全体から個へと視点を狭める文化である」。
曰く、「名を前、姓を後に置くことは、個から全体へと視点を広める文化である」。
という論である。
すなわち、何かを考える際の出発点として、全体を始まりとするか、個を始まりとするかという、潜在的な意識の傾向の違いがあるそうだ。成否はともかくとして、基幹の芯が通った面白い論であると筆者は思う。
しかし、であれば、と。
議論を発展させていただろう。
姓を前に付ける国は、全体主義。
姓を後に付ける国は、個人主義。
であれば、特殊な例として、あの国の姓事情を議論すべきだろう。
彼の国の姓は、特殊だ。
一族で継承するのではなく、土地で継承するのである。ある土地で生きてきた一族から、土地を転ずる者がいれば、その者は別の姓を名乗り始めるのである。
歴史的な経緯から、土地を神聖なものとしており、神聖な名を自らに取り入れる行為で、自らを昇華するという精神があるのだ。そんな彼らがどのような主義を持つのかという観点で、本記事は取材内容をまとめている。取材は国の歴史に詳しいご婦人に執り行った。
調査協力、とある一族(○○、××、あるいは△△、等)。
―お名前は?
「○○[個人保護の観点で名は伏せます。以下、伏と表記]です。」
―ご年齢をお聞きしても?
「六十一歳です。」
―ご家族はおられますか?
「ええ、夫と息子が二人、それから先月、初孫が産まれましたわ。」
―息子さんのお名前は?
「××[伏]と○○[伏]です。」
―この家がある街の名前は?
「○○ですよ。」
―隣人の方のお名前は?
「○○[伏]です。」
―一緒なんですね。
「ええ、はい。ここに住んでる人は、全員、○○です。」
この通り。
姓に関することで世界に唯一の特徴を持つ。
○○さんは息子が二人といるが、一人は○○街に留まり、もう一人は××街に移り住んでいることが姓から分かるという面白い特徴が発見できる。
しかし、ここで一つ懸念も想起できる。不便ではないかということである。
姓とは、我々の常識として、家族を表す称号のようなものである。それと同時に、大きな区分けを造ることで、個人をより明確に区分する方法としても用いられる。名が被っていても、姓が被っていなければ、個人は判別がつくのだ。それは、この国では出来ない。同じ地区に住んでいる人々は、名が被ればその時点で、名前が被るのだ。
では、どうしてそのような姓の法が出来たのか、聴取を続ける。
―どうして地名が姓となるのでしょう?
「その理由は、この国の歴史にありますわ。」
―歴史?
「ええ。国教の歴史と言い変えても、差し支えないと思います。私たちの国は、政治と宗教が密接に絡んできた歴史があります。それは、建築物をみても分かるかと存じます。」
―同じような建築様式が多く見かけました(写真1、2、3)。
「そうです。その建築様式には、宗教的な意味を多分に含みます。政府による公共事業はほとんど、宗教的意味と結びつけられるほどなのです。ある種、これこそが政治精神の方向性とでも言いましょうか。政治をするにあたって、聖書を参照する事すらあるのですよ。」
―その精神が、姓と結びつくのでしょうか?
「ええ、はい。この国の住人なら、誰でも学ぶ歴史書にも書かれていることです。約四百年ほど昔のことでしょうか。この国は急な飢饉に襲われたことがあります。これはいけないと、当時の寺院の方々は国をより強力に管理することにしました。そのため、まず第一段階で行われたのが、国民の登記なのです。記録によると、各地方の寺院が担当していたようです。ここで大事になるのが、先ほど申させて頂きました、宗教精神なのです。」
―宗教精神?
「はい。政治は宗教的に正しくなくてはいけませんし、宗教的意義がなくては、難癖を付けて無効にしようとする方々が現れます。登記事業を進めるにしても、同様なのです。そこで、全国民に登記の義務を納得させるため、彼らに寺院からある施し物をしたのです。」
―それが姓?
「はい。名を登記するという国民にとっては受動的な事業を、聖なる名を与えてもらうという、能動的に動く理由を与えたのです。もちろん、当時も信心深かった住民たちは寺院に行き、正式に書の上で神聖な名を与えてもらったことを、素直に喜んだようでございました。その喜びを歌った歌すら伝えられているほどなのですよ。」
―なるほど。だから姓が地名を冠するのですね。
「はい。かれこれ、四百年は続く文化でございます。」
宗教的な理由と言うのはひとつの納得がある。
世界でも唯一の姓事情を持つ彼の国は、世界でも唯一の宗教がある。土着信仰である。その国でしか信仰されていないのは、土地由来の信仰であるから必然ともいえる。その土地それぞれに、長年の歴史が積み重ねられ、土地の名がつけられ、名を偶像として信仰するのだ。
言葉にスピリチュアルを求めるという動きは、世界各地でみられる。こと日本においても同様でありつつ、彼の国と近しい精神があるとすら言えよう。特別な土地には、特別な意味のある、特別な名を付けるのだ。その名は、愛着を持って呼ばれる。
名を偶像と先述した。
名があることで、その土地を想起ができる。その土地に流れる空気や色、あらゆる思い出が名という形で結びついていることだろう。姓として土地の名を持つということは、そのすべての記録を身に宿しているともいえるだろう。しかし、同時に、姓を変えることで、土地の記憶を失うということと同義のような、仄暗い儚さも覚える。
次の質問は、筆者にとっても、その愁いから来る衝動のようなものだった。
―不便ではありませんか?
「いいえ。不便でございません。他の国にはない文化ですし、あなた方にとって不思議にみえることはそうなのでしょう。しかし、私たちにとって、この文化は自然なものです。そうですねぇ。例えば、過去四百年から続けられる家系図なんてみると面白いですよ。」(写真4)
写真4 家系図。写真では、とても長い絵巻に載せられた家系図があった。そこに書かれた名前の全ては、丁寧に姓と名が合わせて書かれている。○○という姓が幾つか連なり、その一番下に××が修正されて書かれていた。また、○○の上には△△なんてあったし、更に上には□□があった。
―なるほど。面白いですね。
「ええ、はい。私の一族が、いったいどういった道を歩いて来たのか、よくわかります。これをみると、いったいどの地方で、どのような仕事をしていたのか分かるのです。」
―こういった家系図は、他の家にもあるのでしょうか?
「はい。これもまた、どうやら四百年前から続く文化のようです。先ほどお話させて頂いた通り、姓は寺院の管理で、土地と結びつけられて付けられますが、各地を転々とされる、旅する方々にとっては一族と離れるような感覚があり、寂しい想いをしたようです。そこで、平民の間で家系図をつくることが、旅をする方々から広まったようでした。」
―一族を守る意識があるのですね。
「そうですね。他の国でも良くある話でございましょう?……ですが、そうですね。他の国よりも、一族の意識というものは薄くもあります。というのも、地域の皆で共通の名前を持つのですから、どうやら精神的距離が近くなるようで、地域が家族のような役割を果たしているのです。そのおかげか、おおらかな性格の方が多いですわね。」
ご婦人の博識さは舌を巻くばっかりで、面白いお話の数々を本記事の文字制限ゆえに添削せざるを得なかったことを、残念に思うばかりである。私は取材の感謝を伝え、街へと躍り出た。そうして、筆者は次の取材へと取り掛かった。若い青年、学徒である。
調査協力、学徒青年(○○)。
―お名前は?
「○○[伏]です。」
―ご年齢は?
「十七歳です。」
―高等学校生ですか?
「はい。第十一学年生(高校二年生相当)です。」
―この国の姓が他の国と異なる仕組みなのをご存じですか?
「はい。知らない人はいないんじゃないかな?小学校の歴史で習いますし、なんなら、習う前から知ってる人なんて幾らでもいますよ。」
―どうしてそのような姓の仕組みをしているかご存じですか?
「え?えーっと、あれ、何だったかな。忘れちゃいました。」
―姓の仕組みについて、何か思うことはありますか?
「うーん、そうですね。正直に言うと何もないですよ。他の国と仕組みが違うって言われても、へーそうなんだって感じでしたし。何なら唯一って言われると、何となく嬉しくありません?何だか特別感があって。」
―地域の結束力は強いと聞きました。
「そうですね。同じ姓もしてますし、地域が家族みたいなもの、というのは良く言われています。それを表した諺もあるくらいなんですよ。子は神の御名である、ですって。」
―どういう意味ですか?
「子どもには神の名が与えられるという祝福がありますから、みんなで協力して守りましょうね。という意味だそうです。実際、私も良くして頂いて、こうして学校なんて通わせていただいていますから。他の国ではないそうですし、良い文化なんだと思います。」
―他の国の名前の仕組みを奇妙だと思うことは?
「うーん、そうですねぇ。何だかんだそういうものかなと、受け入れることは簡単ですよ。ですが、そうですね。……例えばですが、この国では、旅をしてきた方とお話をする時はまず、名前を聞くところからスタートするんです。姓を聞いて、あーあそこかー、と。そうやってその場所はどういう感じがするだとか、何とかいって。話題を展開していくんですよ。この国で、お話を始めるポピュラーなメソッドですね。ですが、他の国の旅人さんにはこの方法は使えませんから、どうしたものかなぁ、とはなりますね。」
―姓の仕組みを改めたいと思いますか?
「特に思いません。だって、姓の仕組みを使って、楽しむ人もいるんですよ」
―仕組みで楽しむ?
「ええ、そうですね。ここで、詳しく説明するよりも、見てもらった方が面白いかもしれません。ちょっとだけ、歩きますけど。付いて来てもらえますか?」
青年に連れられ、筆者がやって来たのは豪邸だった。
この辺りの土地で最も大きな家に思えるほどであり、門前でたじろいでいると、青年は事もなさげに門を開き、その家の中に立ち入った。ここの家の人だったのかと聞くと、違うと言われ、筆者は焦ったのを覚えている。しかし、そういうものらしく、その家には女中の方もいらしたが、挨拶をするばかりで、追い出そうとしなかった。
家に入り、廊下を歩き、そうしてようやく、目的地に着いたようであった。青年が迷いなく戸を開けると、大変立派な白髭をたくわえた初老の男性が座っていた。
「よう、おっちゃん。遊びに来たよ。」
「よく来たなぁユン坊…ん?そちらの方は?」
「初めまして。日本から来ました。記者をしている者です。」
「今日はね、この人におっちゃんの話を聞かせてあげたいと思って連れてきたんだ。」
「話ってなんだよ?」
「ほら、おっちゃんよく、オレァこの国を征服してやるんだぁなんて言ってるじゃん。その話だよ。この人、どうも姓の事情ってやつを調べてるらしいの。」
とんだ物騒なワードが飛び出て来て、心臓が飛び出そうになった。征服である。このような陽だまり豊かな朗らかな空間で出てくるような、世間話として小出しするには、少々重たいワードである。
しかし、気にしたのは、どうやら一人だけだったらしく、初老の男性は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、ガハッと大きな笑い声をあげた。
「あーなんだそういう話かぁ!分かった、分かった。よし、お兄ちゃん。こっちに来てくれ、良いものを見せてやる。とことんオレの自慢話に付き合ってもらうぜ。」
妙に乗り気になった男性に連れられ、さらに家の奥へと歩を進めた。
着いた先は蔵のようで、十分な広さに大量の物が理路整然と並べられている。その中から縦長い箱を引っ張り出して来ると、どうやら先ほどもみた、家系図が取り出されたようだった(写真5)。見るに縦にも横にも広いそれは、大層な家柄を示しているようでもあった。
ここから、筆者は詳細を伝え、取材の形をつくった。
調査協力、とある一族(○○、××、△△、□□、☆☆、等)。
―名前は?
「○○[伏]だ。」
―ご年齢は?
「五十六歳だ。必要か?これ。」
―先ほど言っていた夢とは?
「この国を征服することだ。ほら見てみろ、オレの夢の結晶だ。この家系図があともう少し伸びれば、オレは夢を達成することができるんだ。」
―もう少し詳しくお聞かせください。
「何が分からねぇんだ?…そうだな、まずはコイツを見てくれ。この家系図だ。オレはまあこれでも多くの妻を娶っていてよう、そいつらと仲良くしてるんだが、子どもも多いんだよ。んでもって、ほとんどはもう、成人していてよ、時世もあってあっちこっちに散らばってるのよ。そうしたらほれ、こうして家系図には、あちこちの地名が出てきているだろう?この国で足りない地名は、あと一つだけなんだよ。そうしたら、もう、制覇できるだろう?」
―地名の姓を制覇することが、征服することですか?
「ああ、そうさ、分かってんじゃねぇか!何しろ、お兄ちゃん。他の国の人だってんなら、より知ってるだろう?偉いやつっていうのは支配したヤツのことで、大抵はその支配している場所には、支配しているヤツの名前が付く。逆に言うと、場所の名前が付いてるっていることは、一目置かれる立場にあるっていうことさ。この国では、地名の名が付いてるっているのは普通のことだけどよ。だからこそ逆に言うと、誰もが支配者的であれるということさ。」
―続けてください。
「そうするとよ。より多くの土地を牛耳っている者こそが偉いという事になるだろう。この国は、まあそれなりに広いからよ。まだ二代で全部の姓を揃えたっていうやつはいないのよ。二代に限らなかったらいるわけだけど、そんな奴がこの国では、もてはやされて報道されたわけさ。だがよう、そんだけで満足するたぁ、甘ったれだ!弱っちい!」
―弱い?
「そうさ、弱い。家族っていうやつは、大小様々な形があるとは思うが、何はともあれ子に対すると、親が強いのさ。直系の親がな。祖父じゃダメだ、遠すぎる。子どもは親に頭が上がらねぇし、それが格式ばった家なら尚更だろう。支配的なんだ、親ってのは。」
―支配的。
「ああ。子は親の籠の元で生きて、成長する。オレの子どもなんて特にそうさ。意図していたわけじゃないが、そうなった。今だってオレから援助を求めるし、オレもそうする。ならばこそ、オレの子が持っているものは、ほとんどがオレの物のはずなのさ。勿論、コイツは詭弁だし、法的にも認められちゃいない。しかしよ、家系図にまとめるという自由の権利は認められているし、つまりオレの下に名を連ねることもまた許されているんだぜ?そう、オレの下にあらゆる地名が来るのさ。」
―そうして征服する。
「ああ、土地の名を持つものが支配者なら、あらゆる土地の支配者を子に持つ親は王さ。国を一からそうして支配するっていうことを、人は“征服”と呼ぶだろう?だからこそ、そう言っているわけなのさ。(煙草に火を付ける)…ああ、冗談だぜ?」
―…冗談?
「そうだ、真に受けるなよ?記事にしても良いが、まぁ、言葉遊びみたいなものさ。論理をこねくり回して、何となく、王様気分に浸ってやろうってわけさ。子どもたちも、たまたまばらけていっただけで、特にあっちに行けだとか、こっちに来いだとか命令したこともないしな。……顔が怖いから、誤解されやすいだぁ?ちょっと来い、ユン坊!」
呆気にとられたというべきか。壮大なお話が、唐突に霧散したのだから、その虚無感もひとしおであった。しかし、最後まで聞き入ってしまったのは、その話の流れにはある一定の納得感があったからだった。説得感があったからだった。
振り返ろう。
姓の仕組みを変えたいかという問いは、変えたくないという答えだった。
その理由は楽しむ人がいるからというものであった。今ここで、一つの穿った楽しみ方というものを知れた。いうなれば地名の制覇であり、征服であり、そして支配である。
論の通り、地名を名に持つということは、その土地の重役を表すことが多々ある。支配者であることもあるだろうし、その配下であることもあるだろう。しかし、何ら特別な役割を持たない者が名付けられることもあるだろう。
この国の場合、地姓名は支配的な意味はないし、特別な意味もない。民衆に広く地名が持たれ、そして居住地によって、名前すら変わっていく。むしろ支配的という、牧歌的とすら言えよう。学徒青年だって、家の人でもない家に無断で入ることが許される、そういった風土なのだ。地域が家族であるという諺すらある、そういった風土なのである。
もちろん、地域の名を持つということは、その土地に関する所有感を得ている側面もあるのだろう。○○氏の例は極端であるが、しかし○○青年も、最初の○○さんも、その土地に関する拒否感などなく、むしろ自慢気であるようにすら見受けられた。深層にある精神は、その土地との結束があるようだった。
所有感とはいったものの、そのありさまはむしろ一体感と近しい。
土地に付く聖なる名を冠すること、つまり姓を持つこと。それはつまり、自身に聖なる名を与えることで、精神的に昇華するという側面もあり、一体となりにいっているのだ。土地そのものと、土地に結び付けられた記憶と、土地にある歴史と一体となっているのだ。
彼の国は未だ発展途上国であり、高層ビルのような現代建築はない。各家々は木造であり、そして宗教的な造形ばかりしている。道は土を均したもので、傍をみれば必ずと言っていいほど野生の木が生えている。
結論付けよう。この旅行記のような体感をも与える記事には結論が必要だ。
議題は、つまり、こうだった。
姓を前に付ける国は、全体主義。
姓を後に付ける国は、個人主義。
であれば、彼の国はどのような主義を持つのであろうか?
結論はこうだ。姓を地名とする国は、自然主義である、と。
彼の国はまず、何かを考え始める出発点として、自然を求める。その自然とは神聖なものかもしれないし、宗教上で認められるものかもしれない。顕著な例として、姓が現れる。潜在的な意識の傾向は、全体とか個とかはどうでもよくて、流れのまま身を任せるままなのである。まるで旅をするような傾向とも形容できる。
これは一つ、姓の形態にまつわる議論として、非常に面白い例であると筆者は思う。特殊な歴史的経緯がありつつも、これはこの国に顕著に表れた特質なのだ。地名を姓として持つという、特質なのだ。
以上で、取材に応じて頂いた、○○さん、○○青年、○○氏に敬意と感謝を表明しつつ、締めとさせていただく。この記事を評価されたい方は、ぜひ高評価のほどを、お願い申し上げる。
お読みいただきありがとうございます。
最初に紹介した、姓を前に付ける全体主義の文化と、姓を後に付ける個人主義の文化という論は実際の書物で主張されたものでございます。ここで、その書籍について紹介するべきなのですが、しかし、何と罵られるべきか、私はその書籍の名前も筆者の名前も知らないのです。
非常に面白い論であると感銘を受けたのは良いものの、しかし、表題を確認する隙が(そのときは)さっぱりなかったのです。どうか、読者諸兄の中に、名前を知る人がいれば、ぜひ私にご教示お願い申し上げます。