第陸ノ巻 己の力を信じよ
深夜の街中を風呂敷を背負ったソウは建物の屋根伝いに駆けていた。
巽風の風による移動は神将達が走る速度、通称『神速』よりも早いが距離的に近いことと昌享がいるため本来の速度よりも遅いだろうとソウは踏んでいた。
案の定、先ほど巽風が昌享の符を遠くへ運ぶ風の道を作っていたのを感じることが出来た。
「本当は誰の支援もなしにやるのが理想なんだけどなぁ~」
まぁ、今はこのくらいでもいいか〜、と言っていると人形の符が飛んできてソウの目の前にストンと地面に突き立つように落ちた。
「ヤバイ!」
ソウは慌てて、落ちて来た符を飛び越えた。
すると、唯人には感じることのできない不可視の壁が一瞬にして築かれた。
築かれた結界を見上げながらソウは息をついた。
「ふぅ~、危ない危ない」
昌享になんだかんだと言いながらも、ソウは昌享の実力を知っていた。
今の彼が築いたこの結界をいまのソウが通るのは難しかった。
「さてと、こいつを張ったてことは敵さんと会ったというわけだ……少し急ぐか」
気の抜けた口調で話していたソウだったが、真剣な口調で呟くと再び駆けだした。
その頃、昌享と相手はたがいに対峙したまましばらくの時を過ぎしていた。
昌享は対峙しながら相手の姿を観察した。
大きさはソウよりも一回り大きく前足には鎌のような鋭い爪が3本、大きく立たせている尻尾もまた刃物のように鈍く光っている。
確かこれと似たものを書物で見たことがあったはずだ。
確か……
「鎌鼬」
対峙する昌享と鎌鼬の様子を見ながらそう言ったのは震電で、おもむろに右手を掲げた。
すると右手に雷電が走り徐々に収束していき、一本の太刀になった。
1メートル以上はあろうかと言う長い柄の先に龍が刻まれてあり、その先にある刃は柄と同じくらいの長さで幅は広くうっすらと、青白く発光している。
その太刀は細かな点を除けば、俗に言う青龍刀と言うものと一緒であった。
「普通の奴ならそれほどの相手でもないが、こいつは少し厄介だな」
「ああ、瘴気に当てられ過ぎている……」
青龍刀を構えながら言う震電に相槌を打ったのは巽風で、彼は握り拳を構え周囲に風を纏わせ着かせていた。
二人が言ったように鎌鼬は何かを呟いている。
「カミノ……ナガイ……」
「髪の長い?」
思わず昌享は鎌鼬の放つ言葉を思わず口にしてあわてて口を押さえる。
むやみに口走れば何が起こるか分からない。特に瘴気に呑まれたものの言葉は危険であった。
それでも後ろにいる神将二人は動かず、昌享も再び構えると鎌鼬の動きに注意を払った。
しばらく対峙していると、痺れを切らしたのか先に鎌鼬が動いた。
「――――――――!!」
言葉に表せない奇声と共に、立てていた尻尾を大きく振り自身の名の元になった鎌鼬を繰り出し、昌享へ放った。
昌享は咄嗟に鎌鼬を避け懐から一枚の符を取り出す。
符には八芒星が描かれ、その中央には三爻が記されそれが意味する『巽』の字がその下に書かれており、昌享は詠唱を唱え放つ。
「放ちたるは、悪鬼を滅する、風刃の如し!」
迅速に術を発動させる場合は符を使わないのだが、今回は霊力の消費を極力抑えるため符を多用すること昌享は決めていた。
放たれた符は風刃と化して鎌鼬を襲うが、鎌鼬は飛び上がり前足の鎌で風刃を粉砕し、即座に術を放ち無防備と化した昌享に襲いかかる。
「しまった」
かわせない、昌享が悟離声をあげるがどうにもできない。
「シャアアアアアア!!」
叫びながら昌享を襲おうとした鎌鼬だったが、咄嗟にその身をひるがえした。
そして、先ほどまで鎌鼬がいた場所に青白い雷撃が突き刺さった。
「術後が無防備すぎるぞ、昌享!」
振り返るとそこには、左手に未だ青白い雷電が走る震電がいた。
どうやら先ほどの雷撃は震電が放ってくれたようだ。
「今回、俺たちは直接相手を倒さないんだ、油断するな」
昌享は震電からの叱咤を受け、鎌鼬に視線を向けた。すると突如、荒れ狂う風が鎌鼬を囲みその動きを拘束した。
慌てて、震電とは反対側の方をみると、そこでは巽風が風を巧みに操っていた。
昌享の視線に気づいたのか巽風が笑いかけてきた。
「だけどサポートは出来るからな、やれ!昌享!」
二カッ、と笑顔で笑いかける巽風に頷くと昌享は一歩前に出た。
鎌鼬は、巽風の風によって身動きが制限されている。
昌享は、先ほどと同じ八芒星が描かれた符を懐から取り出す。
今度の符に書かれているのは『乾』という字と、それを示す三爻。
「千早ぶる生矢よ、悪しきものを貫け!」
詠唱と共に符を投げると、その周囲から幾重もの光の矢が放たれた。
光の矢は巽風の風によって動きを制限された鎌鼬を貫く…………はずだった。
「!!」
矢が鎌鼬に当たる寸前、瘴気の気配が急激に濃くなり鎌鼬から放たれる妖気が巽風の風と矢を全てはじき飛ばし、さらに放たれた妖気は昌享を襲った。
「昌享!」
震電は名を叫ぶと同時に、昌享を背にかばい神気を妖気にぶつけ相殺した。
周囲の妖気が落ち着くのを確認し、昌享は震電に背後から出て鎌鼬を確認する。
―――――が。
「いない?」
先ほどまで鎌鼬がいたところに鎌鼬の姿はなく、周囲には気配すらない。
震電と巽風を振り返るが、二人とも首を横に振った。
「駄目だ、瘴気が濃すぎてどこに行ったが分からない」
「チッ、あのタイミングで瘴穴が、活性化するなんて運が悪すぎるぜ」
完全にお手上げらしく震電は困った顔で、巽風は悔しげな顔で舌打ちまでした。
鎌鼬を倒さない様に風の縛りを比較的、弱くしていたのもまずかったらしく、巽風は、苦手な風の微調整を頑張ってしていたのに、と文句を言い始めた。
そんな巽風を見て震電は何か言おうとしたが、考え直したのか言うのをやめた。
昌享は再び周囲を見渡す。
周りには濃くなった瘴気が立ち込め鎌鼬の妖気の残滓すらつかめないが、未だ結界が何ごともなく存在しているということは、少なくともこの結界内にいるということを示しているのが、せめてもの救いだった
三人が深刻に思案している中に突如気の抜けた声が響いた。
「オイオイ、どうしたんだ~?難しい顔をして」
声がした方へ目線を動かすと、ソウがビルの上からスタッ、と着地してきた。
風呂敷を背負ったソウが足元まで来ると、震電が大まかな状況を伝えた。
するとソウはため気を吐いて面倒そうに声をかけてきた。
「なんだ~、取り逃がしたのか?なさけね~な~」
「うるさい!いきなりだったんだから仕方ないだろ!それに何だよその風呂敷は!」
逃がしたことに少しイライラしていたのか、昌享は厳しい口調でソウの背中にある風呂敷を指差した。
ソウは風呂敷に一度、目をやると前足で器用に頭をかきながら答えた。
「昌朗から必要じゃないか?という伝言と共に宵坎から渡された」
ふ~ん、と言いながら昌享は風呂敷を手に取って、風呂敷を開き中に入っている物を確認すると目が据わった。
そしてその反応は周りも同様であった。
「これは…………」
恐る恐る、昌享は中に入っていた物を持ち上げる。
それは……
「カツラだ」
「カツラだな」
「……俺はカツラを運んで来たのかよ!」
気の抜けた表情で巽風が言い、震電が肯定し、ソウは自分が運んできた物に落胆し激怒した。
昌享はそれぞれの表情を見て再び手元のカツラを見る。
それほどいいものでもないカツラは長髪で、別に術が仕掛けられているというわけでもないようだ。
ふと思ってカツラをひっくり返すと、何かかがヒラヒラと地面に落ちた。
「なんだぁ?」
少々ご立腹の様子であるソウが、落ちた物を拾い上げ確認すると、目を見張った。
『昌朗の奴め、これもやらせる腹積もりか……ま、いっか!!』
昌享のためだし、と内心でさらに思いながらその符を昌享に差し出した。
「こんなのが落ちたぞ~!」
「これは……」
ソウから渡されたのは、普通の符より一回り大きい一枚の白い符だった。
その符を見て、昌享の頭の中で何かが纏まり始めた。
今回、ここに瘴穴があるとした理由は通り魔事件。そして、その通り魔事件の特徴は?『夜な夜な髪の長い女の人が襲われているんだって~』
実際ここには瘴気に呑まれ執念で動く鎌鼬がいた……どんな執念?『カミノ……ナガイ……』
最後にソウから渡された符に目を移す。
「………そうだ!」
「どうしたんだ昌享?」
何か思いついたらしい昌享をソウと震電が見つめ、巽風が問いかける。
昌享は一人ずつ三人を見ると、自信ありげに言った。
「良い作戦を思いついた。震電、巽風、手伝ってくれ……後、ソウも」
ちょっと待て、何だ今の間は!?と後付けされたソウが抗議に入るが、震電と巽風は頷いた。
式神である二人は、それが命であればどんなことでもやらなければならないが、抗議はする。
しかし、先ほど見せた主、昌享の目は自信のある、確信的な目であった。
その目を見てしまえば二人には抗議する理由などなく、抗議をしていたソウも最終的には同意した。
瘴気の活性化により、巽風の縛りからのがれた鎌鼬の姿は公園の茂みにいた。
あのまま戦っていれば、あの術者と式神にやられていたと本能が訴え己の妖気を瘴気にかくし、先ほどからずっと身を隠していた。
理性を無くし本能と執念のままに動く鎌鼬であったが、その脳裏にはある光景が映る。
完全に痛めつけられた己と、前足を失ったもう一匹の鎌鼬。
そしてそれを見下ろす影。
遠のく意識を必死にとどめ、鎌鼬はその影を見つめていると、影の持つ長い髪がゆらりと揺れ、満足そうに口元を緩めた。
「カミノ……ナガイ……」
その光景を思い出し、鎌鼬は呻く。
そして、自我のあったころの己が口を開く。
『貴様……』
朦朧とする意識の中、呟いたそれが影に届いたのかこちらを振り向き、何かを言った。
『これが……に必要な、雌……の鎌……ありがたく……行くわね』
影は、己の……愛すべき妻の鎌を持っていった。
そして、去り際に見えた影の顔それは……
「……オンナ」
そう、唯の人間の女ではない奴が己とその愛妻を襲ってきた。
そして、妻を失った己は瘴気に呑まれてでも、あの女に復讐すると誓ったのだ。
「オ、オオ…………」
瘴気に更にむしばまれる苦痛を受け、呻きながら鎌鼬は妻を屠った女への憎しみを強くしていった。
どんな奴でもいい、髪の長い女を襲い続ければ必ずあの女にたどり着く、そのように鎌鼬の執念が纏まっていた。
その時、ガサリと草が揺れる音がした。
鎌鼬がそちらへと目を向けるとそこには……
「カミノナガイオンナ!!」
そう、髪の長い女がいた。
その姿を見た瞬間、鎌鼬は叫ぶと同時に茂みから飛び出し、前足の鎌で女を斬りかかる、当然、鎌鼬の姿を見ることのできない女はそのまま斬りつけられた。
―――――が。
女は斬られると、なんと二つに切られた紙片となってチリ長い髪だけが残された。
「!?」
鎌鼬は突然のことで、思わずその場に止まった。
しかし、すぐにこれは危険だと感じ鎌鼬はその場から飛びのこうとするが、それよりも先に鋭利な声が響いた。
「縛、縛、束縛!霊禁呪縛!!」
その瞬間、鎌鼬の足を風が掬い、さらに先ほどと同じように風が動きを制限し身動きがとれなくなる。
瘴気を陽いて脱出を試みるが、さらに追い打ちをかけるように詠唱が響く。
「縛りたるは、風の鎖なり!」
「シャァァ……」
詠唱を受け取り囲んでいた風が、まるで鎖のようにその身を拘束する。
それでも必死の抵抗で何とか両前足の鎌で、風の鎖を断ち切ろうと唸りを上げる。
「させるか!」
「―――――――!!」
風の鎖離を断ち切らせまいと震電は鎌鼬の間合いへと入り、青龍刀を振り鎌鼬の前足を切断する。
切断された瞬間、雷撃が走り鎌の部分を残して前足は消滅し本体の斬られた個所からは、瘴気に当てられたせいか黒く変色した血が吹き出し、絶叫と共にもがき苦しむ。
「今だ昌享!」
隣で風を操っていた巽風が声を上げ、昌享は先ほどの白い符を取り出した。
取り出された白い符には黄色の字で文字が書かれてあり、昌享はそれを目に前に据えると目を瞑り深呼吸をする。
これから使う術は体力、霊力、共に消費が大きいが今回はあえてそれに挑む。
「勤請し、あまねき諸仏に奉る」
外縛印を結び、周囲へと己の持つ力を研ぎ澄ませ、広げていく。
『本当にやるのか?』
先ほど提案した時にソウが言った言葉がよみがえる。
昌享が提案したのは風神召喚。
「我、諸神、諸仏、諸真人の加護を請うものなり……」
静かに、心を落ち着けながら詠唱をする昌享の脳裏に、先ほどの続きが浮かぶ。
『別にその符を使わなくても、お前の術で鎌鼬は倒せるはずだ。それでも使うのか?』
いつもと違う真剣な口調であったが、昌享は決心していた。
『おじいちゃんはこれを使って倒せって言っているんだと思う。だからこれを使って倒す』
そう言い放つ昌享にソウは、嬉しそうにただ頷いただけだった。
そこまで思い返し、昌享は目を開くと符を天高くへ放ち、内縛印を結び親指を立てる。
「来たれ、幾千、幾万からなされる先鋭なる飛礫よ、幾重にも繋がりし無限の刃よ」
最後の神呪を紡ぎ始めると、鎌鼬を拘束していた巽風の風の一部が符の周囲を取り巻き、符は強い輝きを放ちはじめた。
「今だ!!」
「旋風絢爛、急々如律令!」
ソウの合図と共に昌享は最後の詠唱と共に己の力を解放し、風神を……研ぎ澄まされた真空の刃を拘束された鎌鼬めがけて振りおろした。
コラボ中の神威先生や楽しみしている読者の方には申し訳ございませんが、次回の投稿はだいぶ先になると思います。
詳しくは活動報告を参照。