第肆ノ巻 仕事に備えて・・・
ソウと話をしたのち、昌享は自分の部屋へ戻ると制服から私服へと着替えるとすぐに昌朗の部屋へと向かった。
昌享の家は平屋の古民家で東西に延びていて、この地域では最も広い敷地面積があった。
庭には蔵や小さいながらも池があり、昌享が小さい頃はよく走り回って遊んでいた。
これだけ広いと家自体もそれなりに広く、特に昌享の部屋と昌朗の部屋は家の東西の端、ということでもっとも離れているので少し早歩きで昌朗の部屋へと向かう。
そして昌朗の部屋までもう少し、と言う所で足を止め昌享は空を見上げると、満ちかけた月が昇り始めていた。
「三度目の満月か……」
先ほどソウに言われるまで忘れていたが、今度の満月で昌享は試されるのだ。
フゥ、吐息をつくと昌享は再び足を進め始め昌朗の部屋へと着いた。
「おじいちゃん、入るよ」
「あぁ、入りなさい」
昌朗の許しを得て昌享は部屋の障子を開けると目が半眼になった。
部屋には昌朗と先に来ていたソウがいて、部屋のほぼ真ん中に置かれ、封筒が一つ置いてある座卓のわきに座っていた。
周囲には趣味である囲碁や将棋があり、隅の方には幾つかの占術をするための道具もあるのだがそれは別に問題ではなかった。
昌享が半眼になった理由は部屋を開けた瞬間に感じた気配だった。
「どうしたんだ~、昌享?」
「早く、入りなさい」
半眼になったまま立っているソウが質問して昌朗が促す。
昌享は半眼のままおとなしく従い、部屋に用意されていた座布団に背筋を伸ばし座る。
昌享が座ったのを確認して昌朗はわきにある座卓の上にあった封筒を見せた。
「これが今回の仕事じゃ」
昌享は差し出された封筒を恭しく受け取った。
その封筒は一見何の変哲もない封筒であるが、受け取った瞬間、唯人には感じることのできない力を感じた。
昌朗は座卓に肘を置いて話し出した。
「詳しい内容はそれに書かれてあるが、一言でいえば瘴穴の封印じゃな」
瘴穴の封印……それが現在、陰陽師を目指す昌享の最大の目的である。
瘴穴とはその名の通り瘴気を噴き出す穴のことで、一般的に瘴気に触れると人々は体調を崩すのだが、ここ天埜市周辺で起きる瘴気はなぜか人々には影響は出ず、代わりに妖怪や妖、亡霊などと言った異形の物に力の強化や凶暴化などの影響を与える。
そうなれば一般人にも被害が出てしまうので、その被害を最小限に食い止めるために昌享は修行に明け暮れている。
「分かりました。準備をするから……」
礼をして準備のために部屋を出ようと昌享が立ちあがった時、障子越しに声をかけられた。
「陽野君、昌朗さん、晩御飯の準備ができました」
「ありがとう、堺さん」
そのまま、昌享は障子を開け咲にお礼を言うと二人は、そのまま食卓のある居間へと歩いて行った。
夕飯を食べ終えると昌享はすぐに部屋戻って、今回の仕事に使う数珠や呪符といった道具の確認を始めた。
「え~と、数珠と呪符はこれでいいだろ。あとは……封印用の独鈷杵だけど、これは別にいいか」
独鈷杵は瘴穴の封印において必要ではあるが昌享には宛があったので持っていくのをやめようとしたときソウの大声が響いた。
「ちょぉぉぉっと、待ったぁぁぁ!!」
その大声とともに昌享の背中に衝撃が走り、そのまま道具の入った箪笥に顔面を打ちつけた。
一方、ソウはその見た目の骨格からはではまず出来ないであろう見事な飛び蹴りを披露したのち、一回転して音もなく着地した。
「さっき、言い忘れたんだが……って、昌享~、聞いてるか~?」
顔面をもろに打ちつけた昌享は、うつぶせのまま小刻みに震えていた。
なぜ今日はこんなにも顔面を打つんだ、と思いながら飛び蹴りを食らわせたソウに非難の目線を送る。
ソウは昌享の非難の目線を軽く流して話し始めた。
「今回の共は震電と巽風の二人だけだ」
ソウの一言に昌享の目が点になり、怒りはどこかへと飛んで行った。
「………はい?」
しばしの沈黙ののち、目が点になった昌享が口を開く。
「だ・か・ら。今回、お前が頼っていいのは震電と巽風だけだ!」
「ええぇぇぇぇぇ!!!」
その瞬間、家中に昌享の悲鳴が響き渡った……はずだった。
それは一瞬のことで、昌享が叫ぶのと同時に、唯人には決して聞こえることの無い、雷鳴と風が荒れる音がしたかと思うと昌享の部屋を囲む結界が張られた。
そして、昌享は肌がビリビリと痺れ、まるで電流が流れた様な……否、『雷』が傍に落ちた様な気配が近くに生じるのを感じた。
はっ、と昌享が『雷』の気配がした所に目を向けると一人の青年が昌享を呆れた顔で見つめ、腕を組んで立っていた。
年は18~20歳ほどだろうか?昌享を見つめる瞳は金色で首にかかる蒼髪はざんばら、胸部にから太腿まで伸びる濃い青の布と腰にある甲冑と思しき部分以外は程よく筋肉の付いた腕や足が見えた。
「それほど驚くこともないだろ、昌享」
発せられた言葉は昌享に呆れたものだが、その中には昌享を優しく思う気持ちが込められていた。
「いきなり言われたら驚くよ!震電」
昌享は震電と呼んだ青年に文句を言ったが、このくらいで驚くようじゃまだまだだな、と跳ね返されてしまった。
でも、と昌享は口を開こうとしたが諦めじっと青年を見た。
この青年こそ昌享の家、すなわち陽野家が代々、従えてきた式神『八卦神将』の一柱、震電である。
八卦神将とは八卦に基づいた神々のことで、昌享の前に居る震電も含め、巽風、離蓮、宵坎、召兌、艮皆、蒼乾、黄坤の計、八柱からなる存在である。
震電はその中で『雷』を司る存在である。
昌享が震電を見続けている間、しばしの沈黙が訪れた。
一応、自分が主のはずなのになぜこうも、式神である震電に言われるのだろうか?
沈黙の間、昌享がそんなことを考えていたが突然、響いた声に意識を戻す。
『まぁ、昌享の言い分が、分からないわけでもないけどな』
ガラスを通したような声がしたかと思うと今度は肌が切れるかの様な、鋭い空気の流れが震電の隣に生じた。それはまさに『風』の気配。
そして、その気配がした所に少年が音もなく現れ震電を見上げていた。
見た目は14歳ほど、若草色の髪は震電と同じように、ざんばらであるがそれほどは長くはなく、震電を見上げている瞳は茶色をしており手の甲に黒いバンドを巻いていた。
「巽風!」
昌享は少年のことを呼んで、目を輝かせた。
八卦神将の一柱、巽風。
少年の姿をしている彼が、司っているのは『風』で今朝、電車へ昌享と咲を頬り込んだのは彼の仕業だったりする。
「お前は俺の気持ちを分かってくれるのか!?」
分かって欲しい、と目で訴える昌享に対し巽風は、自分の身長よりも少し高い昌享の肩に腕を回して一言。
「もちろん!」
グッ、と親指を立てる巽風に昌享は心から感謝した。
その気持ちを感じてか巽風は昌享の肩をバシバシと、少し痛い位の強さで叩いた。
痛みに耐えながら昌享は、感動した目で感謝の言葉を述べた。
「ありがとう巽風!お前こそ俺の、本当の式神だ!」
昌享の言葉に、それはいくらなんでも大げさすぎだろ、と呆れた様子で二人を見ているソウと震電と、うんうんと嬉しそうに頷く巽風。
そして、巽風は最後とばかりに、大きく昌享の背中を叩いて一言。
「でも、いい加減なれてくれよ!」
「………………」
昌享の表情が固まり、間が出来る。
どうした、と巽風が表情の硬くなった昌享に声をかけてくるが一切、耳に入っていない。
何度か深呼吸をして、色々せめぎ合う心の整理を行い昌享は口を開いた。
「……なんで?」
さっき、巽風は自分の気持ちを分かってくれると言ったはずだ。なのに何故、慣れろというのだろうか、矛盾していないか?
そのような気持ちを含めた昌享の言葉に、巽風はキョトンとした顔をおり、二人の様子を見守っていた震電は巽風の考えを予想していた。
ちなみにソウは、飽きてきたのか欠伸をひとつした。
しばらくキョトンとしていた巽風だったが、頭を大きく振り口を開く。
「そりゃ……」
何だそんなことか、と言わんばかりに胸を張って巽風は堂々と言い放った。
「叫ばれるたびに、結界を張るのが面倒だから!」
「……………………………………………」
その一言に結界で覆われた昌享の部屋の空気が固まった。
昌享の目は点になり、ソウは片目で様子をうかがい、震電は巽風の予想通りの返答に笑いかけている口元を手で隠し様子を見ていた。
震電からすれば、巽風は結界などを張るのをいつも面倒がっているので大体予想は出来ていたのだがこうも公言するとは……
「ん?何で目が点になっているんだよ!シャキッとしろ、シャキッと!」
そう言って再びガックリと肩を落とす昌享の肩を叩き始めた巽風を見ながら震電はため息をついた。
「まったく……」
昌享と巽風のやり取りを見ていた震電は参った、と言わんばかりに肩を大きく動かす。
基本的に主である昌享に常に従っているのは、自分と巽風なので今回の様な事があれば結界を使うことになるのだ。
確かに、こう何度も驚かれるたびに結界を使うのも大変だが、そのことを理由に驚くなと言う巽風もどうか……、と思う巽風で会った。
しかし、いちいち防音のために結界を使うのはいいのだろうか、という考えは震電にはなかった。
震電がふと目線を移すと、先ほど昌享に一撃を食らわせてから蚊帳の外に居たソウが再び欠伸をしてが部屋を出て行こうとするのが目に止まった。
まずい、このままではなぜ自分と巽風だけなのかを説明する存在がいなくなってしまう。
「二人とも、それくらいにしておけ」
震電はそう言いながら昌享の肩に落とされる寸前の巽風の手を止め、片手で昌享の頭をソウの方へと向けさせる。
いきなり頭を回されたので首が痛かったが部屋を出て行こうとするのを見て、震電への抗議を後回しにした。
「なんで、震電と巽風だけなんだ?」
現在、昌享は全てで八柱いる八卦神将のうち、震電、巽風、離蓮、宵坎の四柱を従えており全員を呼べないわけではない。
なのに、なぜ震電と巽風だけなのだろうか?
昌享の疑問にソウは振り返ると面倒くさそうに答えた。
「んなもん、三度目の満月に備えてだ。離蓮はお前の従えている奴の中では一番強すぎるし、宵坎がいると瘴穴の封印が楽だからな。」
ソウの言うとおり昌享が現在、従わせている神将で離蓮は最も敵を倒す力があり、宵坎は独枯杵なしで瘴穴を封印することができる。
今回の仕事でこの二人がいればおそらく簡単に事を終えてしまうだろう。
それだけ言うとソウは震電と巽風に一端、目を向けると結界を指した。
その動きを見た震電と巽風は二人で張った結界を解いた。
「何事も苦労の実戦をするこったな~、ま~さゆ~き君」
結界が解かれたのを確認したソウはそれだけ言うと結界の解かれた部屋から出て行った。
ソウが出て行くのを見送って、昌享は再び準備を始めた。
「どうするんだ昌享?」
準備を始めた昌享に、頭の後ろに腕をまわした巽風が聞いてきた。
「とりあえずやるしかないだろ。元々、こうする気みたいだったしさ」
そう言って必要なものをまとめた昌享は一端、風呂へと向かうことにした。
陰陽師は隠密行動。
昌朗にそう言われているので、今回の様に瘴穴の仕事に出るのは夜中である。
風呂と言ってもシャワーを浴びただけで、戻って来た昌享はいそいそと着替えを始めた。
昌朗に言われたことを守るため、服装は黒っぽいものであった。そして、その上に昨夜、羽織っていたコートを着込み手に手甲を巻き、呪符や独枯杵をコートに仕舞い数珠を首にかける。
一見すると暑苦しい格好であるが、昌享の身につけているコートには様々な術が織り込まれておりそれほど暑さ寒さを感じることはない。
またある程度の術ならば身につけている術者を守ってくれるらしい。
準備に抜かりがないか昌享が確認していると震電が何かに気づいたのか部屋の外に目を向けた。
しばらくすると廊下を歩く足音がして震電と巽風はすぐに隠形した。
二人の気配が遠のいたのに気づいた昌享が振り返るとそこには咲がいた。
昌享より先に入っていた咲であったが、長い髪は濡れたままであった。
「どうしたの堺さん?」
昌享の質問に咲は少し恥ずかしそうに答えた。
「……さっき、ソウ君から昌享が仕事に行くって聞いたから、その……気を付けてね」
咲は昌朗以外で、昌享がこの様な仕事をしているのを知っている人物。
そして、その危険さもよく知っていた。
だから、ソウから話を聞いてすぐに昌享の下に来たのだ。
「ありがとう。……そう言えば、今朝のことなんだけど…」
今朝のこと。
それを聞いて咲は今朝、昌享にした質問を思い出した。
顔を真っ赤にした咲は首を振った。
「あ、あれは……」
「今日の仕事が終わったらでいいかな?」
「え?」
思いがけない答えに咲は驚いた。
昌享はしどろもどろに、なりながらも話を続けた。
「その……今日の仕事がきちんとできたら、堺さんの質問の答えが出ると思うんだ。だから……その……」
話声はそのまま言葉が切れてしまう。
そして、昌享はそのまま顔を俯いてしまった。
「……いいよ」
昌享がハッと顔を上げると咲は笑っていた。
「だから無事に帰ってきてね」
笑顔で話しかける咲に、昌享は静かにうなずき右手で刀印を作った。
「散」
呪と共に刀印を横に切ると、咲の濡れていた髪から水分が幾分か取れた。
いきなりのことに驚いている咲に、昌享は笑いかけた。
「帰ってくるから、先に寝ていてね」
昌享に言われ咲の頬が、また赤くなった。
以前、髪の毛が乾くまで待っていた、という理由で昌享の帰りを寝ずに待っていたことがあったので、その言い訳をされないために昌享は、わざわざ髪が早く乾くように術を使ったのだろう。
咲はその気遣いに何とも言えなかったが、昌享の思いを考えうなずくと部屋をそっと出て行った。
その後、準備が完了した昌享は庭へと出て夜空を見上げた。
そこには、ほぼ満ちた月が輝いていたが所々に雲が漂っているのを確認し、隠形している震電と巽風の方を振り返った。
「行くよ。震電、巽風」
昌享の言葉に二人がうなずく気配がして、昌享の周りを風が取り巻き始める。
『行くぞっ!』
隠形した巽風の声と共に瞬く間に昌享は渦巻く風に包まれた。
そして、先ほどの封筒に書かれていた内容を思い出す。
「場所は学園の近く。最近、通り魔が起きている場所だ!」
昌享がそう叫ぶと渦巻いた風と共に、庭からその姿を消していた。
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